ノルマンディは侵略の歴史の繰り返し。遠くローマ帝国から、ノルマン侵攻、第二次大戦のナチスドイツの侵略にいたるまで戦火に晒され続けた。今はすっかり復興され、ここを訪れてもその形跡をうかがう事は難しいが、つい50年少し前にはこのあたりは焼け野原と化していたそうだ。
1.モンサンミッシェル |
サン マロを発つにあたって、前日に見損ねた海と外周を覗きに行った。はるかかなたにうっすらとイギリスが・・・見えるはずもないが。替りに陰気な、ひょっとしてあれは牢獄か、と思わせるような建物が沖にあった。ディナン方面に引き返すべく走り出すとすぐに行き止まり、そこにも砦が。これが戦争なら我々はすぐに捕らえられたに違いない。
前日、サン マロへの道中でシードルの醸造元と博物館を目にしていた。それまでに何度かシードルを飲んでいたのでおみやげによかろうということで少し回り道をすることにし、探し当てた所、最小12本単位でしか売ることは出来ないとのこと。送ってもらうというのも面倒だしというと、村の酒屋さんを教えてくれた。よろこんで酒屋さんに行き、値段を見てびっくり。
720cc程入った、コルク栓の、まるでシャンパン(ちょっと言い過ぎ)のような高級品が日本円で約190円。スクリューキャップなら100円ちょっと。コーラ以下なのか。どうりで小売しないはずだ。
モンサンミッシェルは海の中、干潟を通る砂州のかなたに何度も写真で見たことのある姿で鎮座していた。島に入ると参道にはホテルや土産物店がひしめきあい、狭い路地の間からかろうじてあの尖塔を垣間見ることが出来るのみだった。
時間はちょうど昼時。ここまでくればあの名物のオムレツを食べぬわけには行かず、名物になんとやらの真異を確かめることにした。毒喰わば皿までと有名人の来店当時のサイン入り写真の並ぶレストランの方へ上がっていった。さすがに天皇陛下はおいでにならなかったようだが、高松宮殿下ご夫妻の写真の横を抜け案内された席は現ベルギー国王の新婚旅行時の写真の前だった。
料理は案に相違してたいそうおいしく、オムレツはあくまでふんわりと、やわらかなメレンゲのソースがかかり自分で作るものとはえらい違いだった。もっとも、その直前に食べた魚のマリネやシャンピニオンの乗ったカナッペはもっと美味しかったが。
修道院は複雑な迷路状になっており、平日だというのにけっこうな参詣者の数で、あちこち団体の説明をはしごしつつ見てまわった。ところが外観と違いえらく広くていつまでたっても出口が無い。そのうち息子が同じ所をぐるぐる回ってるといいだした。気が付くと、回りは同じ顔ぶれだ。お互い顔を見合わせにっこり笑いあった。"sortie"の標識はいくつもあるのだがいったいどれが本物なのやら、最終出口の螺旋階段の入り口はとんでもなく控えめだった。
2.バイユー |
ブルターニュもそうだったが、ノルマンディーは丘が多く、農場が少ない。水の便が悪いのか、土地が痩せているのか、おそらくその両方なのだろう牧場ばかりだ。それでも急な山は皆無でゆるやかな丘陵地の親玉程度で、道はハイスピードで流れている。そういえば、一度もトンネルという物に出会ったことがない。これなら道路の維持管理に手間は掛からないななどと余計なお節介までしてしまいたくなる。次に来る時は、アルプスかはたまたピレネーか。逆に日本とは比べ物にならぬほど急峻な所を、できれば自動車でなく、自転車で登ってみたいものだと言うと、他の者には、自動車で伴走してあげると言われてしまった。
日が傾きはじめた頃バイユーに着いた。宿を捜しにインフォメーションに行ってみると、ハンサムなおにいさんが、ホテルリストをくれると共に、写真付きのホテル案内の詳細なアルバムをみせてくれた。その上、日本人かと聞かれ、そうだと答えるとなんだか隅っこの方からごそごそと日本語のパンフレットを引っ張り出してきた。
ここも大きな尖塔を持つ聖堂があり、大戦の戦火を被ったにもかかわらずしっかりした骨組みの木造りの家などがあって、ずいぶん長くなった日の中を散策することが出来た。
3.そしてパリ |
旅行の最後はやはりパリで締めくくろうとAUTOROUTEにのっかり、東を目指した。パリには弟が3年前から住んでおり、出来れば会いましょうということで途中のサーヴィスエリアからオフィスに電話してみた。ちょっとした用事を話した後、そちらを尋ねるてはみるが都合はと聞くと、折悪しく日本でのフランス年が始まったばかりということで超多忙、午前中はいるとのこと。勤め先が某県庁のフランス事務所なのでやむおえないだろう。運良く午前中にパリに行ければ会いましょうといって電話を切った。
それにしてもパリは聞きしに勝る車の多さ。なかなか思うように走れない。おまけに道路は広場を中心に放射状に広がり、一方通行とあいまって方向が定まらない。エッフェル塔で見当を付けつつ中心に近づいてゆく。弟のオフィスの住所は解っていても地図上でどこにあるかわからない。電話をかけて聞いても土地鑑の無い私には無駄なので、誰かに尋ねることにした。
ちょっと込み入ったことを聞かねばならないので、はなから英語の出来そうな人を捜しているとおあつらえ向きに若い大学生風の3人連れを見つけた。恐る恐る聞いてみると流暢な英語で答えてくれる。たちどころに在処が分かった。
北へ上がり凱旋門をぐるりとまわるとシャンゼリゼ通り東へ進みコンコルド広場を抜けヴァンドーム広場に行くとそこは目指すオフィスだ。それにしても超高級ブティックの並ぶえらく良い場所にいるもんだなと感心したり、経費を心配したりしつつパーキングの標識を見つけ市営地下駐車場に車を滑り込ませた。
地上に上がり、彫刻を見るとバゲットを持っている。ん?彫刻がバゲット?と見るとなんとかじりだした。人が台の上でお昼の最中だった。おまわりさんにオフィスの番地を見せて場所を聞くと、"la!"と目の前のビルを指差した。
オフィスに入ると迎えてくれたのは少し前に電話で話した、金髪碧眼の美しいパリジェンヌ。すでに時計は1時を回っており、弟は10分前まで待っていたが大事な会議で出ていったとのことだった。オフィスを案内してもらい、外の景色を見ながら、あれがダイアナの泊まったリッツ。少し裏手に行けばオペラ座などと教えてもらった。こちらもインターネットで私のホームページにつなぎ、ちゃっかりブックマークをつけてきておいた。
翌日は1日かけてオルセー美術館にて好きな印象派の絵画を堪能。さらに次の日はフロに行くことにした。
フロといっても風呂ではなく小森谷さんのホームページで教わったレストラン。たまたま激しく降っていた雨の中、歩くのも大変だからとまた車で行くことにした。10区ということは知っていたので、いつものごとくあてずっぽうで家族の非難を受けつつパリの中心に入っていった。おまわりさんに10区の位置を聞き、10区に入ってからは知ってそうな人を物色した。
今度聞いた人は夫婦らしき2人づれ。ラッキーなことにムッシュはフロの場所を、マダムは英語を知っていた。ムッシュの説明をマダムに通訳してもらい無事ちょうど昼に到着することに成功した。
料理は聞いていたとおりとても美味しく、サーヴィスはきびきびして気持ちよく、しかも料金はリーズナブル。約2週間の旅の締めくくりとして本当に楽しい時を過ごすことが出来た。