homeホーム

グルマン・ピュスのレストラン紀行


ベルナール・ロワゾー(Bernard Loiseau)の死を悼んで

その夜も、レストランで楽しいひと時を過ごした。幸せな気分で家に着き、テレビをつけるといきなり飛び込んできたショッキングなニュース。
「私たちは、1人の偉大な料理人を失いました。ソーリューは「ラ・コート・ドール」(La Cote d'Or)ベルナール・ロワゾーが、今日の夕方、亡くなりました。死因は調査中ですが、猟銃による自殺とみられています。」体が固まった。

火曜日は、テレビに釘付けになった。朝から晩まであらゆるニュース番組で、トップニュースとしてロワゾーの死を報道。特別番組も組まれ、彼の死を巡る問題を考察していた。

ベルナール・ロワゾー。

フランス料理界を代表する重鎮の一人。ポール・ボキューズ、ジョエル・ロビュションらと並び、フランスでもっとも知名度が高いシェフだ。メディアへの登場が多く、話し出したら止まらない、楽しげでおおらかそうなシェフ。表情豊かにいろいろな笑顔を作りながら、熱く熱くフランス料理を語る。彼の料理を食べたことがなく言葉を交わしたこともない私にとっては、そんなイメージの人物だった。

ブルゴーニュ出身の友達は、まだロワゾーが独立間もない時代から彼と面識がある。「ちっちゃい頃から知ってるのよ。まだ彼が、小さなレストランをやってたときから、、、。すごく優しくて、人間として偉大だったわ。ショックがあまりに大きくて、夢を見ているみたい。レストラン批評家が彼を殺したのよね」

彼と一緒にガラ・ディナーを開催したことがあるパティシエは、
「最初はさ、あんなスター・シェフと一緒に仕事をするなんで僕にはできないよ、どうせ息が合いっこないし、って思ったんだ。でも、初めて言葉を交わした瞬間に、自分が間違っていたことが分かったよ。彼は本当に偉大だ。なんてキャラクターだろう。人を魅了することに長けていて、その場の雰囲気をものすごくいい感じに盛り上げてくれるんだ。人徳だね。一度しか会ってないけれど、素晴らしい人物だった。プレスとのコミュニケーションをたくさん利用して自己宣伝に努めていたけど、そのプレスに首を絞められたようなものだ。あんな人物を死に追いやったレストランガイドやプレスは、これから先、そのあり方を考え直さなくちゃいけなくなるだろうね」

「ギッド・ルージュ(旧ミシュラン)」の星にこだわった料理人だった。日本にも確か、「星に憑かれた男」とかいう、彼に関する本がなかったか?ガイドブックの評価にとり憑かれ、最高の栄誉を得て、そしてその代償に命を失った。

フランス料理の歴史上、もっとも偉大なシェフの1人である、アレクサンドル・デュメール。彼が作り上げた名レストラン「ラ・コート・ドール」の厨房にロワゾーがシェフとして立ったのは75年。79年に1つ星、81年に2つ星、そして91年に念願の3つ星を手に入れた。「星が欲しい」と公言してはばからないシェフだった。2つ星から3つ星までの10年という長い時間、彼はひたすらに最後の星を欲しがった。レストランを改装し、ハイクラスなホテルを作り上げた上でのようやくの3つ星。“お金をかけて改装をすれば、ミシュランで星がもらえる”と揶揄されたこともあったと聞いている。

ヌーヴェル・キュイジーヌの旗手の1人といえるだろう。偉大なるフェルナン・ポワンが、「もっとバターを、さらにもっとバターを、常にバターを!」と高らかに謳ったのに対し、ロワゾーは、「バターを少なく、バターをより少なく、常にバターをより少なく!」と叫び、焼き汁を水でデグラセしてソースを作り、“水の料理”を世に送り出した。

「カエルの腿のソテー、ニンニクとパセリ風味」や「サンドル(スズキ)の赤ワイン風味」などが、スペシャリテ。フランス国内はもちろん、世界中から彼の料理を食べに人々が訪れた。フランス料理を、フランスワインを、フランス食材を、愛してやまない人だった。
「フランスの料理人は最高だ。フランスワインも最高だ。フランス素材も最高だ。私たちは、全てにおいて最高のものを手に入れているのだ。なぜ、フランス料理にカンガルー肉を使わなくちゃいけないんだ?シャロレの牛が、ブレスの鶏がいるじゃないか?」誇らしげに、フランス料理文化を語る彼の顔は輝いていた。

厨房に立つシェフだった。食後に客席を巡ることもしない。お客様が席を立つ時間になると受付に姿を見せ、望むお客様とは語らいのひと時を持っていた、という。厨房に立ち、常に最高の料理を出しつづけるために全力を尽くす。プレッシャーはどれだけのものだっただろう?最高の評価を維持していく難しさを、彼はよく知っていたはずだ。どんなに努力を重ね、どんなにプレッシャーと戦い、どんなに悩みぬいていたのか、、、。

そんな、1人の人間の精神状態を知ってか知らずか、レストラン・ガイドは、冷酷に残酷に評価を下す。なんの説明もなく、星を落とし、点数を下げる。「ギッド・ルージュ」や「ゴーミヨ」など、超有名ガイドブックの評価は、“たかが一ガイドブックの評価、されど一ガイドブックの評価”。たった数人ほどの意見によって決められたそんな評価を気にする必要はないよ、と言うのは、やはり偽善だろう。星を、点数を1つ落とせば、どれだけ経営利益に影響するか。お客様の入りだけではない。“3つ星シェフ”という肩書きで行っているいろいろなビジネスにも、大きな影を落とすはずだ。

2003年、ロワゾーの「ラ・コート・ドール」は、「ギッド・ルージュ」での3つ星を維持した。ただし、“執行猶予みたいなものだ”、“なんとか難をまぬがれた”といったような噂つきで。「ゴーミヨ」の方は、ロワゾーのレストランを、最高ランクの19点からいきなり17点に格下げ。そしてこれが、ロワゾーに、猟銃の引き金を引かせた、と報道されている。

「ゴーミヨ」のディレクターは、インタヴューに答えて、「彼ほど偉大な人物が、’ゴーミヨ’の評価が落ちたくらいで自殺をするなんて考えられない。家庭のことや仕事のことなど、他でなにか理由があったはずだ」と、「自殺の原因になったことに対して抗っているが、誰もが思っている。レストランガイドと批評家が、ロワゾーを殺したんだ、。」と。

自分のビジネスを株式会社にし、「ラ・コート・ドール」、併設のホテル、ブティックのほかに、パリにもビストロを3件所有。夫であり、3人の子供の父親でもあった。これだけの会社と家族を残してまで、自殺という道を選んだロワゾー。「ゴーミヨ」の評価を聞いてからずっと意気消沈していた、と、あるグラン・シェフが語っていた。星に憑かれた男にとって、「ゴーミヨ」での2点もの降格という事態は、耐え難いものだったのだろう。おそらく、3つ星を維持したとはいえ、「今年はまあ、ビジネスに影響をあたえないように、ね。でも来年はね、、、」という含みのある「ギッド・ルージュ」の評価にも、心が萎えたことだろう。

レストランガイド、つまりレストラン批評家は、言葉を、評価を、簡単に扱いすぎる。ジャーナリストはまた話が別だろう。彼らは基本的に事実を伝え(おおむね、よい事実のみを取り出す)、そこに自己の評価というか批判を加えることは少ないはずだ。あくまでも、事実の報告。しかし、レストラン批評家は違う。よい点を評価するが、悪い点も批判する。つまり、批評だ。でも一体、誰にとって“よくて”、だれにとって“悪い”のか?絶対評価など存在するはずがない、いたって個人的な嗜好である味覚という分野。料理だけに限らず、内装やサーヴィス、食器類にしても、絶対評価はできない。あくまでも好みの問題、で片付いてしまうはずだ。

そんな分野に、残酷にも絶対評価を与えてしまう批評家たち。そして、その評価を重要視してしまう私たちゲスト。さらになお、料理人もまた、自身が受ける評価にセンシティヴなことが多い。「評価なんて関係ない。僕は僕の道を行くだけさ」、と言い切れる料理人も確かにいる。でも人間はそんなに強くない。人の評価はどうしても気になってしまう。

常にギリギリの緊張感を持って仕事に向かい、質の維持に努めている、彼らグラン・シェフたち。あまりのストレスと緊張感に嫌気が差し、さっさと厨房を去ったジョエル・ロビュションは、自己防衛本能が働いたのかもしれない。ロワゾーは、そんなプレッシャーを承知の上で、最高の評価を愛し、欲した。依存していた部分もあったのかもしれない。愛し愛され、そして裏切られたとき、彼は生きる意義をなくしてしまったのだろうか。最愛の家族を残してまで生を断ってしまったロワゾーの気持ちを考え、彼をそこまで追い詰めた、レストラン批評という不思議な現象について、改めて考えてしまう。

どうしてレストランを批評するのだろう?同じ芸術でも、画家を、音楽家を、ダンサーを、私たちはランク付けする?するわけない。誰がブルックナーとワーグナーの優劣をつけられる?誰がマティスはピカソより優れている、といえる?誰がマラーコフよりチューズリーが偉大だと決定できる?芸術は絶対評価の対象ではない。あくまでも、1人の人間にとってどれくらいの感動と幸せをくれるか、だけの、ごく個人的で親密な対象であるべきだ。

この金曜日に、ソーリューで葬儀が行われる。ベルナール・ロワゾーの冥福を祈りつつ、彼の死を惜しむ。


lun.24 fev.2003(03年2月24日)



back to listレストラン紀行の初めに戻る


homeA la フランス ホーム
Copyright (C) 2003 Yukino Kano All Rights Reserved.