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bretannyブルターニュを行く


ブルターニュはいささか異質だ。他の地方から入ってくると、町の雰囲気が一変する。人々の衣装は白と黒が多くなり、黒い瞳に黒髪が目に付く。建物や教会、広場のモニュメントは軽い石灰岩質から重々しい花崗岩質に変わり、神秘的な模様が独特の雰囲気を醸し出す。
1.ナントからヴァンヌ

harbourナントはブルターニュの入口、大西洋近くの大きな町だが、歴史的にもナントの勅令で有名なカトリック教会の枢機卿のいらっしゃる町として有名だ。
町に入るとすぐそれと解る大きな尖塔が見える。横にはナント大学。しかしこの旧市街はちょっと危ない。パトカーのサイレンが鳴り響き、いかにもそれらしい人が警官に連れ出されるところを見てほうほうのていで逃げ出した。新市街に行けば近代的な町、これ又面白くない。すぐにヴァンヌに向けて出発した。

ヴァンヌは港町。きれいな城壁や木造りの2階以上が道に張り出した家もあるが、港の桟橋沿いにずらりと並んだ町並も又趣がある。

港には様々なヨットが帆を休めている。私もヨットには少なからず乗っけてもらっているのでついそちらの方に目が行ってしまうのをたしなめられつつ、お昼ご飯を食べるところの物色に取り掛かった。

無論ここまで来て魚料理を食べぬわけには行かない。我々がいつもやる手は、先ず地元の人の流れを見る。時間は少し早目。観光客や、その地に不案内の人は必ず店を物色したり、品書きを見て思案していたりする。地元の人はその様な無駄なことはせず、すっと入って行くのですぐわかる。早い時間に地元の人がどんどん入って行く店は間違いなくうまい。

今回も又そんな店に運良くありつく事が出来た。魚スープに様々な具?を入れて飲むと微妙な味が複雑に絡み合って何とも言えない。このペーストはうにが入っているのかな、これはすずきかそれとも鯛か?等と皆でいいながらついいつものように食べすぎてしまった。

2.オーレイ

ヴァンヌから少し西に行くとオーレイという小さな町があるのをご存じだろうか。その昔14世紀中頃にオーレイの戦いでイギリス軍を撃破できたという、フランスでは有名な戦いだそうだが、現在は城壁は残っておらず、ただ古い有名な石の橋が在るのみだ。

そんな歴史は知るはずも無く、たんに橋のマークの文化財の標識に目を止め立ち寄って思わぬ拾い物をした。駐車した場所は町営グランドの横。そこではやわらかな春の光の中、陸上競技などに混じってチビッコ達の自転車チームが練習をしていた。

私も自転車フリークを自負する者の一人、さっそくコーチらしき人を見つけ、写真を撮らせてもらえぬか聞いてみた。快く承諾を貰ったあと、さらに会話を試みると、彼も英語を話すという。ラッキー!

コーチの話によると毎週土曜日の午後、2時間練習するそうだ。チビッコたちはキッズのカテゴリーで、6才から11才までで構成され。日曜日にたびたび開催される地元のレースに参加するとか。自転車は子供用に本格的に作られた物で、ユニフォームやヘルメットもお揃いだ。グランドでウォームアップし、その後、公園内のクローズドな道路で安全に練習できるという。親たちは車でここまで連れてきて、子供の練習を見ながらおしゃべりに花を咲かせていた。
ひょっとすると、彼らの中からツール ド フランスのイエロージャージーを着る者が出るかもしれない。たまたま彼らに出会えたのは運が好かったのかと聞くと、単に土曜日の午後だからで、どこの町にもこのようなチームがあるそうな。やはりお国柄、こんな良い環境がうらやましくて仕方が無かった。

小高い所に在るグランドから少し下りてゆくと例の橋が見え、そこではカヌーチームが練習していた。なんだかクラシックな帆船も係留して在る。そういえばカルナック周辺は有名な夏のリゾート地で、あちこち、ヨットハーバーや海水浴場が在ったはずだ。

3.カルナックからポール ルイ

stone

海岸線を回ってゆくと、あるある、たくさんのヨット!かわいらしい別荘やリゾートホテル!ないのは人影。やはり季節はずれのリゾート地は何処か侘びしい。カルナックのあたりは巨石文化の遺跡があちこちに見られ、石舞台古墳のようなドルメンや、庭石屋さんの店先のようなストーンサークルが奇妙な雰囲気を漂わせている。

そう言えば、ブルターニュに入ってから、まわりの雰囲気ががらりと変わったように思われた。最初は何処が変わったか解らなかったが、この巨石群を見て納得した。

イルドフランスからロワールにかけてずっと、石造りではあっても明るい色の柔らかそうな砂岩や石灰岩であったものが、ここでは全て灰色の花崗岩に変わっており、その形も不思議な妖気を漂わせたブルトンっぽいデザインになっていた。

なるほど、人々の服装に黒と白の取り合わせが目立ち、黒髪と黒い瞳によく似合っている。ここはケルトの文化圏であることを再確認した。そう、グレートブリテンはフランス語ではグランブルターニュだった。

その夜はポール ルイという町で、ただ1軒しかないホテルに部屋を取った。

大西洋に面したこの町は強固な城壁に取り囲まれ、先端には大きな要塞がある。宿の主人に伺ったところ17世紀にスペインの侵略を防ぐために築かれたそうだ。
その後東インド会社の出帆港として栄えた歴史を持つものの、現在はこれといった産業もなく漁港として、人々は静かな生活を送っている。

ここはもちろん魚介類が新鮮で、実はこのホテルはりっぱなレストランを持ちおいしい魚料理を自慢としていた。しかしながら、お昼を食べすぎた大人たちはどうにも食べることが出来ず、あさりのチャウダーとビールですましてしまった。

息子はというと、さすが食べ盛り。うまい、うまいといいつつぺろりとムニュを平らげてしまった。



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