12月2日(日)木曜日の、ペッシュとアヴェルティに失望して、もう、どうでもいい状態になっていた「ボリス・コクノへのオマージュ」。あとはもう、カデールが踊るときに2度くらいいけばいいや。なんて思っている時に限って、観る羽目になっちゃったりするんだよね。日本からのお客様をガルニエまで案内して、「じゃあ、楽しんでくださいね〜」と、手をふって、さてワインサロンにでも行くか、と歩き出したところに「やあ!」と、ニコニコ笑顔の友達発見。
「観に来たの?」
「ううん、人の案内。ペッシュ/アヴェルティはもういい。この間うんざりしちゃった。今度はカデールの時に来る」
「まあまあ、そう言わず。チケット余ってるんだ、あげるからもう一度観てみなよ」
「えぇぇぇぇ〜、、、、ありがとぉ、、、」
ほんとはワインサロンの方がいいのにな、、、と思いつつ、アヴェルティのファンの(めずらしいよね(笑))彼に諭され、不本意ながら、木曜日と同じキャスティングの公演を観るはめになる。しかも最前列。あーあーあーあー、カデールの日だったらよかったのに、最前列だなんて、、、。ま、いいか。「7つの大罪」でヴォン・オッターの声を聞くだけでも価値があるしね。とまあ、ほとんどイヤがりながら観ることになった公演だけど、思っていたよりもずっと楽しい時を過ごすことになる。
コクノについてのフィルム、オペラ・ブッファは横において、後半2つの作品について。
まずは「放蕩息子」。
この間、枯れてしまったようなペッシュにがっかりしたけれど、今日のペッシュはかなりいいぞ。昔ほどの迫力はないにしても、それなりに輝き、それなりにつややかな放蕩息子ぶり。もともとの顔の美しさが、放蕩息子にチャーミングさを加えていい感じ。いきいきと、よく跳んでよく回って、なかなかグー。いーいじゃーん、ペッシュ!この間とは別人だよ!本人もそう思ったのか、カーテンコールでは、「やったぜ!」とばかりに、会心の笑みを浮かべながら何度も歓声に答えている。
アヴェルティのシレーヌはまあ、こんなもんでしょ。フアンの友達に意見を仰ぐと、「ま、しかたないよ。こんなもんだよ、彼女の実力は。でも、好きなんだ〜。好きなんてもんじゃないんだよ!」だって。
いつもかわいい大好きなアレッシオ君は、今日も一生懸命踊ってる。それにしても彼は、いつもイマイチいい役もらえないんだよね。同じ時期にスジェに上がった、エルヴェ・モロー君は、「真夏〜」、「ノートル・ダム〜」と、準主役をもらってるし、年末もロビンスの「牧神の午後」を何度か躍らせてもらうはず。対するアレッシオ君は、、、?「ロミオ〜」で一度だけメルキュッシオを踊った以外は、群舞の中のちょっと目立つ役程度。まあ確かに、王子様向き顔とスタイルのモロー君の方が、小柄で縮れた黒髪のアレッシオ君より使いやすいのは確かだ。しかも、悪いことにアレッシオ君は、フィジックの面でジェレミー・ベランガールにかなり似ている。同じタイプのダンサーはなんにんも要らない、とは言わないけれど、ジェレミーという近い未来のエトワール大候補と似ているのは、アレッシオ君にとってはちょっと不幸なことかもしれない。
ストラヴィンスキーの音楽はすてき。ロシア人の音楽を聴くと、心の中を熱い激流が流れていく気がする。バランシンの振付けはさすが。人間の体をこんなに美しくみせるコレグラフもなかなかいない。
木曜日に観たものと、キャスティングの細部にいたるまで全く同じとはちょっと信じがたい。これだから、バレエはやめられないね。
「7つの大罪」。
こちらも、歌手、ダンサーともに、木曜日の再現。まずはなんといっても、アン−ゾフィー・ヴォン−オッターの声。彼女はすごい。ただひたすらに。適度にドラマティックで適度に冷静。ともすれば100%お笑いに走ってしまいがちなこの作品に、彼女の声は、しんみりとした風情と物悲しさを加えてくれる。さすがはオペラ歌手、演技力も抜群。こんな風に、ダンサーとからむヴォン−オッターなんて、なかなか観られないよ。たっぷり楽しんでおこう。
オスタが主役のダンサー陣の方は、別にどおってことないけれど、ダンサーのテクニックとかは考えずに、お笑いの作品に、美しい人たちばかりが出演している、って考えると、かなり楽しく見られる作品だ。クルト・ヴェイルの音楽が、話をきちんと語っていて、なかなかよいんでないの。
2時間半が過ぎて、最後の拍手をし終わる頃には、期待していたよりもずっと高い満足感を持ってる自分に気がつく。木曜日の出来がみんな揃ってあまりにも悪かったのと、あの日が初めて見た日だったから、評価が悪かったんだな。別に、そんなにひどい作品ではないのかもしれない。よし、次はニコラ、そしてその後はカデールで、コクノを楽しんでみよう!チケットをありがとうございました、Hさん。
12月7日(金)
実に7ヶ月と半月ぶりの、ニコラ・ル−リシュである。
4月の、キリアンの「ドゥー・マンソンジュ」が最後だった。6月、「ロミオ〜」の初日で大怪我をしたニコラは、そのまま夏中リハビリを続けていたが、回復は思わしくなく、今シーズントップを飾るはずだった「ノートルダム〜」のカジモドも、エクの「ジゼル」のアルベリッヒも棒に振り、散々な半年となってしまった。ヌレエフ物はまた怪我しちゃうから、と、「ラ・バヤデール」のソローも嫌ったニコラが、復帰役に選んだのが、今回の「放蕩息子」、そして年末にやる「牧神の午後」のロビンス・ヴァージョン。
「コクノへのオマージュ」の初日を飾った、ニコラとアニエスの「放蕩息子」を観た人たちはみな、ニコラを絶賛していた。その、彫刻よりも美しい肢体、その、だれも敵うはずのないテクニックと表現力。そりゃそうだろう、だって、ニコラ・ル−リシュだよ!パリ国立オペラ座の、だれも異論を唱えられるはずのない、スーパースターだよ!
嬉しさいっぱい、わくわくいっぱいで、ニコラの舞台を観にガルニエに赴く。そして今日もまた、全然人気のないこの公演は空席が目立ち、最前列に空いていた椅子に座ってニッコリ。これでこの公演、3度とも最前列に座っていることになる。やーだなあ、出来すぎ。こういう時に限って、カデールの時だけ、最前列じゃなかったりしそうだなあ。神様お願い、私の愛するダンサーを、どうぞいちばんいい席で観させてくださいね。
ストラヴィンスキーの情緒ある音楽に乗って、さあ、ニコラが跳んでくるぞ!
「ふわぁ、、、、」最初のニコラの跳躍を目の当たりにして思わず、ほうけたようなため息が、胸の奥の方から溢れてくる。
「す、すごい、、、」知らず知らず、口から言葉がもれる。
これほど説得力のある踊りが出来るダンサーが他にいるだろうか?力ずくで、だれをも納得させてしまう。ニコラの踊りはそんな感じだ。完璧なテクニックに合わせて、その圧倒的な迫力と力強さ。久しぶりに耳にする、彼の派手な着地音が懐かしい。このダンサーは、本当に激しい音を立てて、力強く床に降り立つ。昨日、一昨日と、「ラ・バヤデール」でバールのソローを観ている。音のしないエレガントな、バールの着地を思い出して、思わず笑みがこぼれる。ほんと、いろいろなダンサーがいるものだ。っていうか、ニコラの場合、ヌレエフ物みたいな超アクロバットな振付けをあんなに派手に踊るから怪我してばっかりなんだよ。バールみたいに、程々に慎重に踊ればいいものを、でもそうしてしまうと、ニコラのニコラたる所以がなくなっちゃうからねえ。むずかしいね、迫力と怪我の折り合いをつけるのは。
完璧だ。これだけの技術と表現力を持った上で、ダンサーに一番大切な、カリスマ性というか人の心を鷲づかみにするオーラを備えている。クラシック、モダン、コンテンポラリーを、そしてまた振付家を問わず、どんな役でも出来てしまう、こんなダンサーを擁するパリ国立オペラ座は幸せだ。
アニエスのシレーヌも、期待通りの美しさ。静謐で冷ややかな、凍れる美。アニエスにはぴったりの役ですね。「ラ・バヤデール」のニキヤより、こっちの方が、アニエス・ルテチュスというダンサーのよさが出ているような気がする。
はっきり言って、ニコラを観るのに全神経の95%を使い、5%でアニエスを観ているので、その他についてはなにも分からない。ま、いいんじゃないの。この作品は、題名どおり、“放蕩息子”を観るべきものなのだから。
「7つの大罪」の方は、今日はエリザベス・モランが主役を踊る日。さすがはベテランエトワール。こういう笑える役もとてもうまいんだ、モランは。でもまあ、わざわざモランにやってもらう役でもないんじゃない?もったいないな、モランというダンサーをこの役に使うのは。面白い作品なんだけど、ダンサーの質はあまり問わない舞台の気がする。
今日から、ウルシュラ・ヘッセがアンナを歌う。ヴォン−オッターのあとだけに評価はどうしても厳しくなるけれど、ドラマティックで迫力あるその歌声は、思っていたよりもとてもよく、この作品にはあっている。動きがちょっと、下品、というかワイルドなのがちょっと気になるけれど、声としては、アンナにピッタリで、なかなか楽しく聞けてよろしい。
久しぶりのニコラ体験で、ちょっと頭がくらくらする、そんな夜でした。
8日(土)
頭がくらくらするのは、ニコラのせいばかりでなく、どうやら風邪を引いたかららしい。おととい、ご飯を食べに行ったあとに、ようやくお天気になったから!と、張り切ってシャン・ゼリゼにイルミネーションの写真を撮りがてらお散歩した時に、冷たい夜風に吹かれたのがいけなかったらしい。その前から、どうも体調がイマヒトツだったのが、この夜の散歩で完全に風邪モード。いつも悪くしてしまう喉よりも、今回は鼻と目に来てしまって、つらいつらい、、、。でも今夜は〜!今夜はどうしても出かけたい〜!カデールが放蕩息子をおどる日なんだもの〜っ!
カデールの初日は、ほんとうは5日だった。もちろんこの日に行くつもりでいたのだけれど、ロシアから来ているゲストがニキアを踊る「ラ・バヤデール」の出来があまりにすばらしく、彼女の最終日だった5日は、まだ何回も見られるカデールをあきらめるという、ひどく辛い決心をして、次はいつ見られるか見当もつかないロシア人を鑑賞しにいった。本当にすばらしいロシア人に感動しながらも、ああ、今ごろカデールはどんな風に踊っているのかしら?と、ふらふらガルニエに思いを馳せる心をとめることは出来なかったけれど、それにしても、このロシア人のニキアは圧倒的だ。生まれてはじめて、カデールを最優先しなかった夜だったけれど、後悔はない。多分ね(笑)。
そんな訳で、今日が私にとってのカデール初日。でもそれは、だれにとっても同じことだったらしい。5日はやはりバスティーユでロシア人を!と、みんな揃って考えたとしか思えない、それくらい、今夜のガルニエは満員御礼。今まで一日だって、ガラガラでなかった日がなかった「ボリス・コクノへのオマージュ」公演だったのに、今日に限っては、一般のお客様もたくさんいるのに加え、オペラ座関係者たちも数多く顔を見せ、空いている席をどんどん埋めてしまう。
「いやー、びっくりだねえ。つい昨日までは連日、ガラガラだったんだけど、、、。まあ、週末だからねえ」と、案内係のお兄さん。
「あいてる席、ないねえ、なかなか、、、」と、前列の方の空席を探してくれる。ああ、こんなことなら、ちゃんとしたチケットを買えばよかった。ニコラの日じゃないし、きっと今日もガラガラだからいくらでも席替え出来るだろう、って考えが甘かったか。来週の最終日は、ちゃんと買います、チケット。はい。
で、一番観たいダンサーが踊る夜に私が得た席は、この4回の中で最もよくない、前から4列目の偶数側の端。いい席なんだけどね、もちろん。前3回が、最前列の奇数側だっただけに(「放蕩息子」は、奇数側の席の方が、ダンサーの顔がよく見える)、ちょっとがっかり。まあいいか、十分いい席だよ、ここも。それに、まだあと一日、カデールの日は残ってるし。
昨日よりもちょっと舞台から遠い席から、愛するダンサーを堪能する38分間。
どうしてまあ、このダンサーはこんなにも美しくて妖艶なんだろう。目がたまらない。たれぎみの目に、強めに引かれたアイライナーがよく映える。目と対照的にすっとつりあがった眉毛は、目元の色っぽさを最大限に強めている。いいなあ、この化粧、好きだー。素顔の美しさについては定評のあるカデールだけれど、こういう化粧をして、艶っぽさを助長させたカデールも大好きだ。ちょっと太目だ、とみんなが言う首。かなり太目だ、とみんながいうお腹も、別に普通に見えるけどなあ。肩幅からお腹のバランスが、人間らしくてちょうどいいよ。ニコラなんて、あれはもう、ゴリラ?ってかんじだもの。それに、溺愛している彼のふくらはぎ。膝から下がすらりときれいなこのダンサーのふくらはぎを、その端正な顔と共に、私はひどく気に入っている。
踊り?もちろんいいよお!カデールのよさは、もちろんまず第一に踊りにある。顔じゃない!顔も最高だけどね(笑)。テクニックについては、エトワールの中では普通レヴェルかな。っていっても、もちろんすごいのだけれど、やっぱりニコラやマニュエルに比べると、アクロバット的技術は落ちる。でも、演技力というか役作りは、やっぱりカデールがピカイチだ。本当に、すばらしいね。ニコラの息子もいいと思ったけれど、カデールの息子を観てしまうと、とてもとても、、、。息子の欲求、葛藤、喜び、不安、驚愕、失意、恥、嘆願、、、。ストラヴィンスキーの饒舌な音楽を上手くあやつって、ほんとうに見事な演技を見せてくれる。ニコラは、体で表現するけれど、カデールは体と一緒に顔の表情も使って、役を表現できる。「39歳でしょう?放蕩息子、っていうか放蕩おやじになっちゃうんじゃない?」なんて友達は笑っていたけれど、どうしてどうして!ペッシュやニコラよりもよっぽどそれらしい放蕩息子ぶりに、ただただうっとり。
興奮と感動に胸が詰まりそうな、38分。傍らに立つアヴェルティーも、うしろに立つアレッシオ君すらも、目に入ってこない。カデールが舞台に出ると、私の目は、完全に彼にすいついてしまう。
来週火曜日がカデールの最終日であり、「ボリス・コクノへのオマージュ」の最終日でもある。今度は絶対に最前列でカデールを堪能するぞ!と、熱い拍手を送りながら誓うのでした。どうぞ、いい席がとれますように、、、、。
2,7,8 dec. 2001(01年11月)