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「アパルトマン」今シーズン一番楽しみにしていた作品に、ピュス大興奮。 |
去年のちょうど今頃、2002−2003シーズンのプログラムが発表された。20以上に及ぶ作品の名前を目にして狂喜したのは、マクミランの「イストワール・ドゥ・マノン」とエクの「アパルトマン」。後半に予定されていたこの2つを心から楽しみにしながら、今シーズンのバレエが始まった。 あれから1年。嬉しい嬉しい「アパルトマン」との再会だ。2年前?ううん、もう3年近く前だ、「アパルトマン」がパリ国立オペラ座のために作られたのは。マッツ・エク。現代バレエ界の寵児。スゥエーデンでクルベリ・バレエを率いる鬼才。惚れてる、私。人間、変われば変わるものだ。エク作品の初体験は、もう7年ほども前になるか、オペラ座がこの世に送り出した類まれなエトワールの1人、モニク・ルドゥレールの引退公演だった。「ジゼル」。バレエ経験なんて、オペラ座の「ロミオとジュリエット」を2回見ただけ、という、何もバレエを知らない私。もちろんルドゥレールが誰かも、彼女がこの日引退することすらも知らずに偶然出向いたガルニエだった。シュールでエキセントリックな「ジゼル」を私は全く理解できず、ルドゥレールの相手がニコラだったのかカデールだったのかすらも覚えていない。ただ、ルドゥレールが最後に、割れるような拍手と紙ふぶきに包まれながら、娘たちを連れて舞台でクルリとジャンプしたのだけは記憶に残ってる。「まだまだ十分に踊れるのよ、私!」と言わんばかりの最後だった。以後、エクの「ジゼル」を私は毛嫌いし、98−99年シーズンに再演されたそれには、一度も足を向けなかった。なんてもったいないことをしたんだろう、、、。 エクとの再会は、3年前。世界初演作品「アパルトマン」を持って、オペラ座にやってきたときだ。はっきりいって、なんの期待もしていなかったこの作品に、私は身も心も完全に奪われた。たった一度しか見られなかった「アパルトマン」は、その夜から私のスタンダードのひとつとなり、いずれ訪れる再演の日を心待ちにしつつ年月が過ぎていった。 そんな「アパルトマン」がようやく始まる。今シーズンのプログラムが決まってから、指折り数えてこの日を待ち焦がれていた。年が明けた頃から気分はソワソワ。トチ狂ったように夢中になった「シルヴィア」が終わった頃には、すっかり気持ちは「アパルトマン」一色。「パキータ」や「ジュワイユー」は、この際もうどうでもいい。あと2ヶ月、あと1ヶ月、あと2週間、あと1日、、、。ひたすらに「アパルトマン」の初日を思う日々だった。 初日のガルニエ。ここで知り合いになったオペラ座常連の面々と挨拶を交わし、「エール」と「アパルトマン」の噂話。今夜の公演はコンテンポラリー・バレエ2種のオムニバス。日本人で初めてオペラ座の舞台に作品を提供することになった勅使河原三郎の世界初演作品「エール(Air)」と、エクの「アパルトマン」。どちらもあまり知られていない作品とあって、ガルニエの客の入りは7割程度。ケッコウ、ケッコウ!おかげでラクチンにいい席にありつける。平行して公演されている「ジュワイユー」が100%を超える集客でチケットなんてどうやっても取れないという状況を見ると、思わず肩をすくめちゃう。もちろん好みの問題なのだけれど、絶対こっちの公演の方が素敵だと思うんだけどな。
オペラ座でももっともきれいで長い腕を持っているミテキちゃん。マリ−アニエス、イザベルの腕とともに、私にとっては三大美腕ダンスーズ。そんなミテキちゃんの腕の美しさを存分に楽しめる作品だ。緩やかな、じれったいくらに緩慢な腕の動きに目が吸い寄せられる。ミテキちゃんにしか出来ないよなあ。この柔らかな動きの中に、どれほどの集中力と計算が入っているんだろう。あまりになにげない動きなのだけれど、その奥の深さを考えると思わず、すごいなあ、とため息。 対するジェレミーは、静寂な炎、とでも形容しようか。氷のような硬さと冷たさの中からじわじわと焦がれるようなパッションがにじみ出てくる。ソロ、圧巻。ジェレミーらしい、硬質でどこか壊れた感じの迫力が静かに静かに伝わってくる。 主役以外は、だれもかれも大して、、、。いいダンサーを「アパルトマン」と「ジュワイユー」に取られているので仕方ないのかもしれないけれど、つまんないよね。いいんだ、別に。大して期待もしていなかったし、この公演は、後半の「アパルトマン」だけを見に来てる、といってもいいくらいだしね。ジェレミーとミテキちゃんの素晴らしさを楽しめるだけでも十分だ。
暗い舞台にアコースティックな弦の音が流れる。マリ−アニエスの存在感ある体が目の前に広がる。ほんっとに目の前。手を伸ばせば触れる。たった一人、ビデと共に。幕が下りたその手前、オケピットのスペースで体を動かすマリ−アニエスの、ただそこにいて動いているだけ、の迫力に圧倒される。ほんっとに信じられないダンサーだ。存在自体がこんなカリスマ性を持っているダンサーは他にいない。魔法を翔られたように一瞬たりともマリ−アニエスから目が離せない。音楽が少しずつ高まり、息が苦しくなってくる。ああ、もうすぐだ、もうすぐだ、、、。 ほんの一瞬、マリ−アニエスと音楽のテンションが下がった瞬間に、幕の下から、なにやら意味不明の言葉を発しながらずるずると這い出て来る、カデール!!!アレッシオ!!それにニコラとロモリ。一瞬ののちマリ−アニエスが同化し、エキサイティングな音楽に乗って、おもむろに踊りだす。 心臓が飛び出ちゃうよ、興奮して。エクっぽいエキセントリックな格好に身を包み、彼らは動く。ダンスというかラップ的な動き。目の前で、ほんっとに目の前で。カデールの体がこちらにせり出してくる。アレッシオの髪が目の前で揺れる。ニコラの汗が舞い散る。ロモリの顔が近すぎてヤだ。3年前は、ロモリの代わりにバンバンだったのに、、、。 カデールの存在感ってなんだろう?舞台外で見る彼は、なんてことない普通の男なのに、舞台に乗ったとたんにすごいカリスマ性が加わって美しいダンサーとなる。眉の動きだけで、小指の動きだけで、舞台を支配してしまう。頭がくらくらするよ〜、あまりに美しくてあまりに魅力的で。気が遠くなりそうだ。ああ触りたい!という気持ちを自制するのが大変(笑)。それくらい、ダンサーたちが近くてドキドキする。 アレッシーも素晴らしい、もちろん。輝くよね、この作品でのアレッシーって。3年前、私はこの舞台でアレッシオ・カルボヌというダンサーを発見して夢中になった。当時はまだコリフェだったアレッシーが今では、プルミエ・ダンスー。すごいよね。これからの成長も楽しみだ。
そしてまた1つ幕が開き、愛するダンサーがキュイジーヌ・シーンに登場する。勘弁してほしいことに、ちんくしゃエトワール嬢と一緒に。新エトワール嬢は見ないように心がけながら、3年前の感動に再度浸る。このシーンのカデールがまた、言葉に尽くしがたく魅力的。パ・ドゥ・ドゥはまあまあとして、間に挟まるソロシーンが圧巻。どうしてこうも“魅せてくれる”んだろうか?視線が釘付け。息をするのももったいないくらいにカデールのあらゆる動きを呆けたように見つめる。
1つずつ幕が上がっていき、気がつくとそこには、ドア、オヴン、ソファ、ビデがぽつんぽつんと配置された“アパルトマン(アパート)”。舞台の奥行きをたっぷりと使ったエクの構築的な舞台演出が見事だ。 振り付けと一緒に、アコースティックな音がラストに向かってどんどん高まり、気分はハードロックコンサートに興奮しているのと同じになってくる。たまらなくエキサイティング。そう、“興奮”という言葉は、エクによく合う。でも暴力的に直接的に興奮するんじゃないんだ、じんわりと理性的に興奮していく感じ。たまらない。
でもまあ、やっぱり第一ディストリビューションの方がずっと質が高いよね。各3回ずつ、6回しか見られなかった。予定では、皆勤するはずだったのだけれど、なんやかんやと忙しくてこんな有様。せめて、第一ディストリビューションをもう一度だけ見たかったという後悔はあるけれど、夜毎目の前で繰り広げられた夢のようなダンサーたちの動きを記憶にとどめていい思い出にしよう。こんなに早く「アパルトマン」と再会できただけで、そしてカデールとアレッシーが怪我もせずに踊ってくれただけで幸せとしなくちゃいけないよね。 興奮と感動に包まれた「アパルトマン」が終わる。エク大好きだ!オペラ座ダンサー大好きだ!!次に「アパルトマン」にめぐり合える夜を心待ちに。カデールがまだ踊っているうちに、その夜が巡ってきますように、、、。
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