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「イヴァン・ル・テリブル」

初日の一週間前に舞台稽古を見た限りでは、どう頑張っても好きになれなさそうな作品だった「イヴァン・ル・テリブル」。実際に公演が始まってみると、少しずつ、本当に少しずつ受け入れられるようになったものの、やっぱり感動は少ない。1時間も遅れて始まった上、席の場所も悪かったのがよくなかった舞台稽古がトラウマになったらしい。初日を見た段階で、「ニコラのテクニックを見るのにはいいけど、全体的にはつまんなーい。ガルニエと公演が重なる日は、全部ガルニエに行こう、と思ったくらい。そのガルニエも、12月後半のプログラムは、「イヴァン〜」に輪をかけてつまらないプログラムだったのだけれどね、、、。と、半ばなげやりで「イヴァン〜」に通う。それでも何度も見ているうちに、好きなシーンも生まれてきて、それなりに好意を持てるようにはなって一安心。

全部で3パターン用意された配役。初日を飾りテレビ撮影もされるのは、ニコラ、エレオノーラ、カールの3人。ニコとエレが絶品だ。

ラストシーン、ニコライヴァンの役、ニコにとても合ってる。体も風貌も雰囲気も、まさに、絶大な権力を持つ怖しい大帝イヴァンにピッタリ。役作りも完璧なら、そのテクニックは更に完成度が高い。恐ろしさと愛情深さをあわせ持つイヴァンの演技に心打たれ、ダイナミックでパワフルな技術に息を呑む。初日に思い切り飛ばしていたニコラ、二日目はイマイチだったと聞くものの、私がその後見た2度は、初日に負けず劣らずの素晴らしい出来。31日の出来がひときわ見事だった、と聞いている。きっとこの日の演技がフィルムに残ることだろう。

「アフタヌーン・オヴ・フォーン」といいこの「イヴァン〜」といい、ニコ、絶好調だね。「クラヴィゴ」の出来が嘘みたい。昔のニコが戻ってきたみたいだね。子供も生まれることだし、ウキウキ機嫌よく頑張ってるんだろう。おかげでこちらもウキウキよ。調子いいニコは見られるし、妻を見なくてすむし。

ニコもよいけど、エレがまた泣かせる。どうしてこうも、舞台センスがいいのだろう、彼女。しなやかに柔らかに、時に凛と、時にせつなく、エレが舞う。彼女のあらゆる動きから目が離せない。絶品だ。

「クラヴィゴ」、「アフタヌーン〜」に続き、エレの醍醐味を満喫。成長したねえ、エレ。あとは技術と体力さえ伴えば、エトワールだ!エレに心が震える。

カール?ハハハハ、いつもながら問題外。それでも、2度目に見た夜は、なかなかよかった。前夜、エルヴェが踊るのを見に来ていたカール。エルヴェから何か学ぶことがあったのか、おやまあ、と思わず眉をげる出来だった。のに、やっぱりカールはカール。その後再びつまらない演技に戻ってしまい、始末の悪いことに日ごと出来が悪くなる。顔かたちと雰囲気は、この役にふさわしいのだけれどねえ。

オペラ座でこの作品を初演したとき、カールが踊るクルブスキーの役は、ミカエル・デナールが演じた、と聞く。ちなみに、アナスタシアは、ミテキのママとマチューのママ。デナールが演じたクルブスキー、どんなに素晴らしいものだっただろう。想像しては、目の前の能天気なカールにため息をつく。目を閉じよう、、、。

主役二人は完璧、準主役がペケな第一キャストに比べ、第二キャストは、準主役が完璧、主役二人はまあまあ。

エルヴェ・モロークルブスキーを踊るエルヴェが見事!さすがは(近い)将来のエトワール。やることなすこと全てソツがない。演技力だってたいしたものだ。とは言っても、実は、この配役を見た初日、貴族役の1人に名を連ねているマチューを探すのに没頭し、前半はろくにエルヴェを見られなかった。鬘と帽子をつけた7人の貴族の中からマチューを探すのは一苦労。さらに、どこをどう見ても、マチューに該当する  がいない。いない、でもいるはずだ、探さねば、おかしい、、、と、探し続けるが、やっぱりいない。あとから聞くと、踊ってない、とこの日。む、むなしい。おかげで絶好調のエルヴェを堪能しそこなった。

年が明けて、今度こそはエルヴェをしっかり!と思いながら赴けば、怪我でカールが代わりだと。挫けそう。エルヴェを目的にやってきたのに。こういうときに限って席まで素晴らしい。エルヴェを思い、カールのやりきれない演技に頭を抱える。

ジョゼ、病む。デルフィヌ、すがるイヴァンを踊るジョゼはそこそこかな。テクニックは素晴らしいし演技もいいのだけれど、ニコラが完璧な以上、比べてしまうとちょっと負ける。体が細すぎるのと、ジョゼ・マルティネスという人間自体が根本的に優しすぎるのを感じちゃう。ロマンティックすぎるし、怖さというか凄みにちょっとだけ欠ける。とは言っても、十分に満足できる踊りを披露してくれる、とびきりのエトワールだ。

この配役のネックはデルフィヌ。ああああ〜、違うんだよね〜、、、、。年を取っているのは100歩譲って仕方ない、としよう。でもやっぱりこの役、あんまり年取ったダンサー向きじゃあない。話に正当性がなくなる。体のラインやテクニックは、こういう役にはデルフィヌ、ピッタリ。でも、役作りというか演技力が、エレと比べ物にならない。要は、エレは泣かせてくれるけれどデルフィヌは自分が泣いてる感じ。

他にいないのかね、この役をこなせそうなダンサー?と、思いを馳せるが、いないんだね、これが(笑)。アニエスが、あと10センチ背が低ければ出来るかも。ミテキもいいと思うな。でもそれくらい。あとは確かに該当ダンサーがいない。デルフィヌを選んだのは、苦肉の策なのかもしれない。

ジョゼ、殺されかける常連がこぞって注目する、一日限りの第三キャストは、イヴァンにステファン・ブイヨン、アナスタシアにマチルド・フルステイ、クルブスキーにマチュー・ガニオという、若手大抜擢。彼らが踊る1月6日現在でこそ、スジェ、コリフェ、スジェだけれど、2週間前までは、スジェ、カドリーユ、コリフェだったそれぞれ。この抜擢を巡って、常連たちの間で喧々囂々いろいろな意見が交わされた。

ジョゼ、怒る個人的には、将来のエトワール、というよりは、将来のオペラ座の至宝、伝説のダンサーになるに違いないマチューは納得するとして、他の二人の抜擢には頭を抱える。ブイヨン、3年前の夏、「ロミオ〜」で空恐ろしいパリスを見てこのダンサーを知って以来、苦手。マリ−アニエスの趣味を疑ったものだ。マチルドも嫌い〜。去年オペラ座に入ったばかりの超若手の彼女を、学校最終年の時にフィルムに収めたドキュメンタリーがある。自信満々で“私は既にエトワールよ”と言わんばかりの(私にはそう見える)振る舞いが嫌い。オペラ座に入ってからたった4ヶ月で、今回のアナスタシアに大抜擢。年末のコンクールでも、当然のように一発トップでコリフェに昇格。ディレクションに大いにかわいがられている。「イヴァン〜」でも、コールの一人として踊っているけれど、大して目を引かないし、あのへっぴり腰は勘弁して欲しい。

とまあ、マチューがいなければ、最前列席に招待されても行きたくない、と思うくらいの第三キャストは、関係者&常連の注目の的。現役ダンサー、旧オペラ座ダンサー、ディレクション関係者、オペラ座学校生徒、ダンサーの両親たち、それに常連たちの姿が多々行き交い、いつにない独特の熱気と好奇心に包まれた雰囲気の中で幕が開く。

感動を通り越してそら恐ろしいくらいだ。マチューの才能を目の当たりにして。その登場からラストシーンまで、マチューの全てに感動のため息をつく。

オペラ座の至宝、マチュー2年前に一目ぼれしたとてつもなく美しくて長く細い首、端正な顔、すらりと伸びる足と均整の取れた体躯。外見だけでも既に類まれな完成度なのに、技術と表現力も外見に負けないくらいにレヴェルが高い。翼を持った天使と見まごうような、高く軽く浮遊するグランド・ジュテをはじめ、その高度な技術に息が止まりそうだ。ソロを踊るマチューを見る機会が今まで一度もなかったけれど、コールの中で抜群に目を引くその踊りやビデオに残った彼の映像、さらに2度のコンクールでの素晴らしい出来を元に、かなりの期待をしていたのだけれど、まさかこんなにすごいとは、、、。息を呑む。目を見開く。体がしびれる。先のコンクールで見せたかすかな緊張感は全く見せず、ひどく自然に優雅に、そして情緒たっぷりにクルブスキーを演じる。

マチューの輝かしい演技。首の美しさ、見えますか?頭の中が混乱する。マチューの存在は奇跡だ。外見だけでも信じがたい美しさなのに、技術と表現力もあわせ持つなんて、考えられない。しかもまだ19歳だよ。考えられない。この踊りのどこが、19歳のものなのだろう?十分に成熟し、ほぼ完成しきったダンサーのそれでしかない。彼に比べればエルヴェの出来もつまらなく、カールにいたってはその存在すら忘れそう。

目の前に繰り広げられているのは、たった1年3ヶ月のキャリアしか持たないダンサーのソロデビューの踊りではない。未来のエトワールの、しかもたぐい稀なエトワールの歴史のデビューを高らかに祝福するシーンだ。10年後、20年後、この日のことをしみじみ思い出すだろう。マチュー・ガニオという、オペラ座の歴史にその名を残す名エトワールが初めて大役を踊った夜に居合わせた感動は、一生忘れない。今まで何百回とオペラ座バレエを見てきたけれど、これほどまでの感動というか、普段決して得ることのない“なにか”を感じた公演はまずない。マチューは、オペラ座の至福だ。

会場に姿を見せるドミニク・カルフーニに思わず抱きつきたくなる。「ありがとう。こんな奇跡をこの世に生み出し、ダンサーという職業に就く後押しをしてくれて、本当にありがとう」と伝えたい。

に引き換え、斜め前に座るマチルドのママは、どうしてまあ、こんな娘を持っちゃったんでしょうねえ。

想像通りといえばあまりに想像通りの、マチルド演じるアナスタシア。オペラ座に入って4ヶ月しかたっていない17歳(18歳かな?)の子供に何かを期待する方が間違っているのは重々承知。へたくそなのは仕方ない、演技が稚拙なのも許せる。でも、初々しさの全く欠如した、“私は上手なのよ〜!才能あるから抜擢されたのよ〜!ほーら、私、きれいでしょう?”といわんばかりの踊りには辟易する。エレは観客に涙を流させ、デルフィヌは自分が泣いていたけれど、マチルドは自分にう〜っとり。恍惚状態で踊ってるよ、、、、。アナスタシアという役をほんの少しも理解していない。

しかしまあ、とてもきれいな脚を持っていますね、彼女。今後は、脚だけ見て楽しむことにしよう。

ブイヨンの出来が思ったよりもいいのにちょっとびっくり。そりゃまあ、テクニックはしょせんスジェのそれであって、二人のエトワールとは比べられないし、経験不足から来るサポートのヘタさ加減も仕方ない。でも、役作りが全然悪くない。イヴァンというキャラクターに合ってるのかな。鬘をつけた怖しげな風貌は、私が頭を抱えた、美しき青年であるべきパリスなんかよりずっとこのダンサーに似つかわしいし、その狂おしいまでの恐ろしさもよく表情に出ている。たどたどしいところは多々あるし、顔を見せず体だけでの表現力を問われる道化のシーンでは、やはりジョゼとニコとは似て非なるものではあるけれど、オープニングをはじめ、怖しげな演技をする場面は決して悪くない。槍投げなんて、一番上手じゃない(笑)。ジョゼは失敗ばかりだしニコだってかなり角度が曲がってた。ステファンが一番きれいに槍が刺さったね。

思っていたよりも納得できるステファンをちょっと見直す。(って言っても、マチューが一緒に舞台にいるときは、全く視界に入れなかったので、あまり見なかった、と言うのもあるけどさ(笑)。)

一族郎党関係者各位による大きなブラヴォーを受けてのカーテンコールのあと、下りた緞帳の向こう側で、たくさんの拍手とブラヴォーが彼ら若いダンサーたちに贈られる。その拍手の9割9分はマチューへのものであることは間違いないけれど。

主役を語るだけで長くなりすぎたので、コールについての話はカットね。

作品トータルとしては、ついに最後まで大きな感動をくれなかった「イヴァン・ル・テリブル」。所々に気にいったシーンはあるにしても、衣装、舞台、構成ともに、やっぱり私は好みじゃない。重たいし暗いし、マッチョだ。こういうのがロシアのスタイルなのかしらねえ。アクロバットやサーカス、体操を見ている気になっちゃうときがある。

ま、舞台稽古や初日を見たときに、「うわぁ〜、今シーズン最悪の作品だ〜」と思ったのに比べれば、それなりに楽しめたかな。なんと言っても、マチューがいたもの。マチュー・ガニオの出世作品というだけで、この作品は思い出深いものになる。

12,27,28,30 dec. 2003, 5,6 jan. 2004('03 12月〜'04 1月)
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