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6.バランシンの「アポロン・ミュザジェット−女神を率いるアポロン−」の巻

そろそろジビエに脂が乗る季節だというのに、レストランにそっぽを向き、足繁くオペラ座に通う寒い秋。夏の3ヶ月もの間バレエを観られなかったうさを晴らしているのか、パリに戻って3週間足らずのうちに、3回のバレエと1回のオペラ。土曜日に「フォーサイス」をもう一度観に行くから、ちょうど3週間で4回も、愛するバレエ団に賞賛の拍手を送ることになる。で、その3回目にあたる今夜の舞台は、「バランシン、プレリョカジュ(って読むの?)、ロバン、オッシュ」。4人の振り付け師による4つの作品。

この舞台の最終日。グレーヴ(スト)があるかと心配されていたけれど、無事開演。最近、グレーヴ続きだった国立パリオペラ座。ようやく、グレーヴするのも飽きてきたのかしら。よかったよかった。

atomoオーヴァーの下は黒いワンピースにショール。靴もカバンもしっかりと。バスティーユに行く時には、どうでもいい格好でいいか、って思ってしまうけれど、ガルニエに来る時には、やっぱりおしゃれしてきたい。ロココ調の優雅さに満ち溢れたこの場所に、普段着は似合わない。レストランに行く前のように、ガルニエに行く前には、おしゃれするのが楽しい。

席について、オペラグラスとデイジー・ドゥー(新しくなったデジカメ。今までのはデイジー。今度のは2つめなので、デイジー2(ドゥー)って呼んであげることにした。)を手にして、準備万端。それでは、モダンからコンテンポラリーにいたる作品を楽しみましょう。

バランシンの「アポロン・ミュザジェット−女神を率いるアポロン−」。

atomoクラッシックからモダンに抜け出したばかりの、バランシンらしい上品で清楚な作品。前に、ロランが踊るアポロンを観たけれど、正統的な美しい踊りが、かっちりバランシンにはまっていた。ニコラのアポロンは、もちろん悪くない。素晴らしい。でもなんだか、ずいぶんきかん坊なアポロンだなあ、という感じ。生まれてきた歓びに満ち溢れてるよ。

女神の一人を演じたアニエスが素晴らしい。デルフィンヌもカランも悪くないのに、かすんじゃうよ。清楚、上品、ノーブルなんて言葉は、アニエスのためにあるような言葉だもの。こういう人がバランシンを踊ると、本当に美しい。

指の一番先っぽ、足の一番先っぽのさらに向こう側、そんな部分が本当にきれいに見えるバランシンの振り付けは、ダンサーの体そのものの美しさを存分に引き出す。なにも無理をする必要はない。ゆるやかに正確に、その美しい肢体を動かすだけで、この上なく崇美なダンスが生まれる。

シンプルな青のバックと、時折可愛らしさを覗かせながら淡々と流れるストラヴィンスキーの旋律に乗って、白い衣装に包まれた4つの限りなく美しい肢体が動いている。

プレリョカジュ(だから、なんて読むのってば!)の「アノンシアシオン−受胎告知−」。

んー、相変わらず分かりにくい、この人の作品。昨シーズンの「カサノヴァ」同様、クラッシュ音とバロッククラシック、それに無音をあしらった中に、マリアと天使。「カサノヴァ」を見た時にも思ったけれど、不思議、難解、シュール、テクノ、前衛。こんな言葉で形容したい作品だ。

「これが一番面白かった、音の使い方的に」そう、友達は言ったけれど、私にはちんぷんかんぷん。音の使い方?「カサノヴァ」の方が、まだ聞けた。振り付けに引かれないのか、ダンサーに引かれないのか、それは分からない。なんてったって、踊ったのは、エリザベス・ムランとジェラルディン・ウィアールというスジェのダンスーズ。んー、どうしてムラン、こんな表現力命!みたいな作品を踊りたがったんだろう?クラシックだけにしておけばいいものを。こういうのこそ、オーレリーちゃんやマリ−アニエスがふさわしいと思うんだけど。

3つめは、ロバン(ロビンス)の「ア・スイート・オヴ・ダンシーズ」。

atomo殺風景な舞台とバッハのセロ無伴奏に身を投じるのは、マニュエル。真っ赤な衣装に身を包み、クラシックでコケティッシュな一人舞台。華やかなマニュエルのキャラクターは、もちろんこの作品にあっていない訳ではないけれど、これこそニコラで観たかった。実際、ニコラが踊った日もあったんだもの。よかっただろうなあ。でもその代わり、アポロンをやるのがジャン−ギヨームだったはずだから、それはやっぱり観たくない、、。

マニュエルにはソロがよく似合う。これぞマニュエル!目をきらっきらと光らせ、胸を張り、マニュエルならではのオーラを発して、素晴らしい踊りを繰り広げてくれるけれど、4年くらい前に観た、パトリック・デュポンの舞台が忘れられない。

人間じゃなかった、彼は。人間であることを捨てて、天使になってしまったようなダンサーだった。そのまま降りてこないんじゃないかと不安になるような高い跳躍。軸の全くずれないピルエット。俳優顔負けの表現力。ぞっとするほど美しく、そして怖いくらいの舞台だった。

あの日、生まれて初めて見た、パトリック・デュポン。彼の舞台をオペラ座で見ることは、そのあと数度しか叶わなかったけれど、今なお、まぶたの裏に焼きついてしまっている、心に残る体験だった。

ま、オペラ座を去ってしまった人のことを言っても仕方ない。あの恐ろしい事故から、彼は見事復活し、新たに舞台人生を送ろうとしている。また、あの夜のような感動を与えてくれるのだろうか、堕天使のような、ダンサーは。淡々と流れるセロの音と、せわしくステップを刻むマニュエルの足音に包まれて、3つめの作品が展開されていく。

ラストは、オッシュの「ヤム−Yamm−」。この公演のために作られた、世界初演作品。

Yamm、という言葉が意味するのはなんだろう?パンフレットも読んでいないので、全然分からないや。

atomoなにも分からないままに目にするこの舞台は、なんていうか、まあとにかくコンテンポラリーなのね、の一言?特に舞台が素晴らしい訳ではない。色はそれなりにきれいだけれど。踊りがはっとするようなものでもない。衣装?んー、、、。なにがだめ、っていうんじゃないけど、じゃあ、なにがいいの?って聞きかえしたくなってしまう。なんだか全てが、いつかどこかで観たことあるような、、、。そんな感じの舞台だ。
「子供が作った作品、って感じじゃない?」
「あ、分かる。稚拙なんだよね。全てが中途半端というか」思わず、頷きあってしまう。

大好きなヤン・ブリダールが主役を踊ったけれど、ああいう動きの踊りって、ヤンのよさがあんまり分からないなあ。実は彼、クラッシックの方がきれいに見えるのかも。アフリカの人のように、髪の毛を細かく編み込んじゃって、ああ、ヤン、素敵なお顔の魅力が半減しちゃうわ。

大きな拍手を受けながら、珍しくニッコニコ笑顔でヤンが中央で挨拶している。お、今、客席に向かって、一段と笑顔が大きくなったぞ。さっき、オーレリーちゃんがあの辺りに座っているのを見かけた。オーレリーちゃんへの笑顔なのかなあ。ふーん、また仲良しになってるんだー。ちぇ、私の席も、もう少し右側だったらよかったのにな。

「ラントラクト」でお茶していく。
「まーまーだったね」
「うん。ほんとに、まーまー」
「フォーサイスの方がずっといいよね」
「当然。なんでフォーサイスの方が安いんだろう、不思議だ」誰かダンサーが来るかなー、なんて、しばらくいたけれど、オケの人たちしか来なかった。残念。土曜日もここに寄ろう。「フォーサイス」の最終日。ひょっとしたら、カデールが来るかもよ!


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