このキャストの「マノン」を一度しか見ないのはもったいなさすぎる。そもそも、カデールとニコラの共演なんて、どんなに望んでもなかなか叶わないものなのだから。
で、愛しいカデールを眺めに3度目の「マノン」。もう、ね、3度目にもなると、見方にも余裕が出来る。見所を大体把握しているから、どうでもいいところは、カデールしか見なくなっちゃう。って言うか、どうでもいいところですら、例えばニコラとファニーのパ・ドゥ・ドゥーの場面でも、端っこの方にカデールが立っていれば、そっちに目が行っちゃう。左の方で愛を語っているニコラ達に会場中の視線が集まる中、1人オペラグラスで右端に体半分隠れたカデールを見ているいる私って一体、、、?
誰も見ていないはずなのに、カデールはきちんと細かな演技している。しかも目立たないようにほんのかすかにそして美しく。どんな状態であっても「見られている」という状況に慣れきったダンサー。ヤン(ブリダールね)の時にはこの場面、暖炉の上のオブジェをいじくってみたりマノン達の方を大袈裟に振り返ってみたり、なんとなく粗雑な演技になっちゃうんだよなー。踊りではなくて演技の部分だもの、この辺り特に。
初体験のサー・ケネスのよさが、段々分かってくる。情緒に思いきり訴えてくるんだ、彼の振り付けは。ヌレエフが、パワフルにダイナミックにきらびやかに、否定のしようがないくらい強くこちらの心を揺さぶるのに対し、サー・ケネスの作品は、じんわりひたひたと心に染み入ってくる。ついつい舞台の人物に感情移入してしまって涙する。ヌレエフ作品の場合、ダンサーの技術が表現する美しさに血液が興奮するけれど、こちらは、ダンサーの演技力に心が共鳴する。ダンサー、体力的にはらくちんな作品だよなー。
特に男の子。ヌレエフなんて、男の子をいじめてるとしか思えないくらい、めちゃめちゃに体力を要求するバレエばかりで(ああ、カデールにはもう踊れないかしら、、、)、ほんっとに男の子達大変。それに比べると、サー・ケネスの作品は、演技力は要求されるものの、体力の消耗はかなり少ないはずだ。ヌレエフに比べて、半分くらいしか体動かしてないよ、主役以外は。
ルーティーンな動きの繰り返しで飽きてしまう部分も確かにあるけれど、この作品の見所は、なんといっても全篇にちりばめられたマノンたちのパ・ドゥ・ドゥーと、強烈な印象を持ったレスコーの登場場面に尽きる。娼婦たちのダンスもマノンと貴族達の神秘的な踊りもいいけれど、それぞれの幕でしっかり見せてくれるマノンとデ・グリューのパ・ドゥ・ドゥーが美しすぎる。1幕2場、デ・グリューのアパルトマンでの幸せあふれたパ・ドゥ・ドゥーは、ダンサー達がこぞって、この世で一番美しいパ・ドゥ・ドゥーと評価する。アクロバットはないけれど、「愛の歓び」という感情を、演技とダンスだけでこんなにも感じさせてくれるのは、やっぱりすごい。顔の表情や体の動き、音楽は、言葉なんかよりもずっとずっと饒舌だ。太古の昔、人間は感情を表すのに、音と躍りを使っていた。言葉なんかが存在するよりもも、ずっとずっと前の時代に。
オペラ座の舞台裏ドキュメンタリー映画、「トゥ・プレ・デ・ゼトワール」。火曜日のアヴァン・プルミエールに続き、今日から一般上演開始。ねえねえ、行こうよ。カデール、ちょっと虐げられてるけど素敵だから!と、友達誘って、今夜も映画館。
これは記録だ。映画館で映画を見るのが好きではない私の、年間平均映画鑑賞の回数は、2回。なのに、今年は、新作だけで「ビリー・エリオット」(これもバレエ映画かな)に続いて、3ヶ月で3回も映画館に行っちゃった。「トゥ・プレ〜」は、この先多分まだ何回か見るだろうから、今年は一生で一番映画を見るはずの1年になるに違いない。
映画を見終わり、また一段と増したパリ国立オペラ座への愛しさを胸に抱えて、家に帰ってパソコンを明ける。
ここ数日、オペラ座のサイトを開くたびにドキドキしてた。変わってないよね、15日の配役。そのままだよね。ああよかった、そのままだ。こんなドキドキを1週間余りつづけ、いよいよ今夜が最後。大丈夫でしょう。お昼に見た時には変わってなかったし、カプリスも起こさずに、彼女が踊るでしょう。と、半分安心しながら15日の配役表見て、真夜中過ぎに思わず悲しい叫びを上げる。
「うっそでしょぉ〜」
ハーッ。やってくれたよ女王シルヴィー。なにが彼女のご機嫌を損ねたのか知らないけど、15日と17日の配役表からシルヴィーとロランの名前は消え、ファニー・ニコラとイザベル・マニュエルのカップルにそれぞれ変更になってる。レスコーは、予定どうりヤン・サイズ。あちゃー、やられた、、、。やっぱり10日の初日を取っておくべきだったか。アニュレ大好きなシルヴィー・ギエムの舞台。いつもなら初日を必ず取るんだけれど、今回は手に入らなくて2回目の公演日のチケットを予約した。最終日はアニュレの可能性大だけど、2回くらいはいつも踊ってくれるしね、と、多少の不安を抱えてながらも、サー・ケネスの直轄カンパニーのダンサーが踊るマノンを楽しみにしてたのに。ま、オーレリ・バールとかエリザベス・ロモリに変わらなかっただけでも、不幸中の大大大幸いだよね。どうせなら、イザベルのが見たかったけど、仕方ない。
パリコレの時期だけは行っちゃいけない。業界人のパワフルで恐ろしい波にもまれて足の踏み場もないから。業界人をみたいならともかく、この時期には近寄らないほうがいいとされる「コレット」に、ガルニエ行く前にちょっと寄り道。昨今のデザイナーズ系レストランのお約束になっているオリジナル・コンピレーションをついに「コレット」もリリース。オープン以来、パリのモードの流れを一手にひきうけている「コレット」のコンピルを手に入れない訳には行かないでしょう。2000枚限定発売の“ No.1 ”を手に入れるため、ソルドの初日の様相と化した「コレット」に勇気を出して入り込み、ざっと眺めただけでそそくさとCDを手にして、美しいおにーさんが微笑むケス(会計)に向かう。
暖かい空気が気持ちい早春の夜。パレ・ガルニエはいつも通り同道と美しく輝いている。正面の階段から中にいたるまで、ダフ屋ではない「チケット売ります」の人がいっぱい。シルヴィーじゃないからねえ。シルヴィーを、とチケット買った人が多いから、彼女が出ないなら見なくていい、ということでしょう。チケットを切るところには、シルヴィーが怪我をしたので配役変更、の旨のアノンス。他の人たちが変わる時はこんなアノンスでないのに、さすがは女王様。特別待遇です。怪我?うそばっかり。いつもそうなんだ。怪我、という名目で降板するけど、実際のところは、もう踊りたくない、というわがまま。今度はなにがあったの?相手のロランは問題ないし、まさか可愛いヤン・サイズのリフトが相変わらずへたくそで、「あんな子に持ち上げられたくないことよっ!」ってお怒りになられたのかもしれない。でも、シルヴィでしょ?ヤン・サイズを指名したのって。
シルヴィじゃないのは残念だけど、でも、思いがけなくニコラのデ・グリューがもう一度見られるし、可愛い可愛いヤンも久しぶりだから、よしとしよう。美しくももの悲しい前奏曲に続き、幕が開いたそこに黒マントでうずくまるヤン。かーわいいよねっ、やっぱり!久しぶりに見る、オペラ座きってのボー・ギャルソンに思わずにっこり。
スジェの一人にしか過ぎないヤン・サイズは、すらりと背の高い美しい肢体と、小さな頭に端正で可愛らしい顔、と、肉体的な条件はこれ以上ないくらいに恵まれているダンサー。たかがスジェにも関わらず、モダン、クラシックを問わず、主役級の役に抜擢されることも多く、振り付け師からもオペラ座のディレクションからも可愛がられているという、抜群の環境で生きている。今回だって、シルヴィーに声を掛けられてレスコー役もらってるし、プラテルも彼を可愛がっていて、引退後の客演公演となった「ライモンダ」で相手役に指名した。
こんな恵まれた環境にいるにもかかわらず、本人の努力が足りないのか、ぜーんぜん上手くならないんだよね、これがまた。5年も前に初めて彼を見た時、バレエを何も知らない私は、その跳躍の高さと与えられた役の重要性をかんがみて、「彼はエトワールなんだ」って思っちゃったけれど、あの夜からほんの少しでも上手くなった?スジェの中ではそれなりに上手いほうだし、跳躍は見事だし、今の段階でも別に楽しく見られるダンサーなのだけれど、ほんの少しバレエのレッスンの努力をすれば、あっという間にエトワールになれるような環境にいるだけに、なんだかふがいないんだ。
そんな、大好きなヤンが、久しぶりにものすごくいい舞台を見せてくれる。悪くないよ、全然。ヤンのレスコー。思っていたよりもずっといい出来。初挑戦の大役を前にして、カデールのヴィデオ見て、たっぷり研究したでしょう?首の傾げ方から、笑いのタイミング、酔っ払い具合まで、見事に似ているもん。ヤン・ブリダールもカデールをもっと研究すれば、あんなひどい演技にならなかっただろうに、、、。今夜はじめて気づいたけれど、ヤン(可愛いサイズね)とカデールってちょっと似てる?2人とも目が印象的な端正な顔している。笑った時に出来る、目と口のしわが同じように出る。笑った時のあごの形も一緒。んー、似てるよねえ、と、オペラグラスを覗き込む。
ヤンが演じるラスコーは、カデールのそれに比べ、まだちょっと粗削りで、派手すぎる動きも多いけれど、全体的には、悪と陽気と上品が交じり合った、いたく魅力的なラスコーになってる。演技派だったのね、ヤンって。2幕の酔っ払い踊りなんて、カデールよりも大きな笑いを誘ってる。
「女の子かかえて、あれだけぐらぐら揺れて、よく落とさないよなあ。上手いよな」と友達は感心するけれど、あれは演技じゃなくて、地だと思う。ヤン、リフトほんとにへたくそで、女の子持ち上げる時って、いっつもぐらぐら揺れてて、いつ落としちゃうんじゃないかと、ドキドキしちゃうもん。こういう、バレエの技術と合わせて演技が評価されるバレエでは、ヤンの欠点がきれいに隠れて、なんだか彼ったら、とても素敵なダンサーに見えるわ。カデールが引退する頃には、この役はヤンのおはこになるんだろうなあ、と思いつつ、手が痛いのを我慢して、拍手を送り続ける。
ニコラとファニーは、いつもながらの情緒にあふれた素晴らしい恋人を演じてくれるし、思っていたよりも全然満足度の高い夜だわ。サー・ケネスのバレエは、触れる回数を重ねる毎に、その美しさを増していくようだ。音楽とストーリーと振り付けが、美しく絡まって出来上がる舞台。舞台を氷上にたとえれば、フィギュア・スケートではなくて、アイス・ダンスに喩えられるだろう。華やかなテクニックではない、ほんの細かなしぐさと表情にたっぷりの情緒を見せる、美しい抒情詩だ。
暖かな夜。オーヴァー着たままで、外でお酒が飲める季節。ロンドンでニコラとシルヴィーが演じたサー・ケネスの「ロミオとジュリエット」を見たうえに、10日の夜のシルヴィーまで見たという友達に、うらやましい話をたっぷり聞かせてもらいながらも、魅力たっぷりのヤン・サイズを思い出してはにっこりして、ま、いいか、と、シルヴィーが見られなかった悲しさが癒えるのでした。
sam.10 jeu.15 mars 2001