長年「レスパドン」のシェフを務めていたムシュ・ルゲイが引退したのは去年の夏。後任としてやってきたのは、尊敬してやまないジョエル・ロビュションの子分。「ジャマン」時代のロビュションと一緒に過ごし、この5年は日本の「タイユヴァン・ロビュション」のシェフを務めていた、完璧にロビュションの流れを汲む料理人。ロビュションっ子の私は、秋からずっとこのレストランに来たくてたまらなかったのだが、やっぱりある程度落ち着いてから、と、この時期まで我慢してた。
Mきちゃんが日本に帰っちゃう前にやっぱりね、と、ようやくモーリス・ギルエのヴァージョンのロビュション香を嗅ぎに行く。
想像していたより一回り小さ目のサルには、昼間ならではの外光が満ちている。空をイメージしたような天井が面白い。大きな窓に掛けられたカーテンのドレープや床の絨毯、椅子の感じなど、全体的な雰囲気はロココ調。リッツらしいよね。中央にしつられられたベンチシートの配置が「ローラン」に似てる。そう言えばあそこも、ロビュションの息がかかったレストランだったけね。
全てのものが、かなり年季が入っている感じがする。まるで200年前の状態をそのまま維持しているような、そんな雰囲気のレストランだ。思っていたよりもたくさんのお客様。ほとんどがビジネスランチではあるけれど、そんな中にもなかなか見て楽しい人たちも紛れている。
いかにも常連客らしい、一人で優雅に食事をしているおじい様。いかにもリッツの宿泊客らしい、ゴーシャスな叔母さま達。いかにも貴族の末裔らしい、叔父さまとその息子。皆様それぞれに目を楽しませてくれる。
シャンパーニュをもらってカルトを開くけど、いつものごとく、無駄話に花が咲く私たち。いいよね、これが楽しいんだもの。ゆっくりお喋りして、ゆっくりお酒飲みながら、ゆっくりカルトと語り合う。今日一番美味しいのは、だあれ?
お料理決めて、お酒のカルトに移る。シャトー・ラリヴェ・オ・ブリオンの白を発見。初めて「ル・レジャンス」に行った時、これの赤の飛び切り美味しいのを、ディディエに勧めてもらってから、すっかりここのシャトーはお気に入り。美味しいのかな、白も?試したいね、試してみる?
「白もすごく美味しいですよ。フルーティーでちょっとヴァニラの香りがして。しっかりしてるし。是非」笑顔の可愛いソムリエールさんのお墨付きをもらって、96年を注文。
「お水は?」かぶりを振る二人にニッコリ笑顔を見せて立ち去っていくソムリエールさん。彼女はここの2番手。全部で4人、ソムリエがいるのだそうだ。パンをセルヴィスされ、アミューズの「オマールのムース」が運ばれてくる。それでは、ボナペティ!
ホテルレストランのパンって、ほんとハズレがない。確か一ヵ所、どこだったか二人とも思い出せないけれど、イマイチの所があったはずだけど、上出来な所がほとんと。パンをおみやげに持って帰りたいなあ、って毎回思う。
「オマールのムース」は軽やかでいながらしっかり味。ムースの上にオマールのスライス、上にちょっとだけカヴィアまで乗っちゃって、お昼のアミューズにしては、豪華よね。
お酒が運ばれお味見。一口飲んで、胸がキュ〜ン。思わずグラスにほおずりしちゃう。
「美味しい。いいこれ。すっごく好み。とっても素敵。ああ本当にいいわ。早く飲んで、Mきちゃんも!」
「好き〜!このコク、この香り、とってもいい〜」ソーヴィニヨンの辛さに、セミヨンのかぐわしい甘い香りが纏わりついたようなお酒。
なんて表現すればいいかなあ。本当にバランスよく酸味と甘みが溶け合って、口の中ではまろやかに、喉を通る時はたくましく、そしていつまでも口の中に素敵な匂いを残してくれる。好き。好み。こういう白ワイン、完璧にタイプ。ああ、ペサック・レオニャンって、本当にすごい。赤も白も、どうしてこんなに私の好みなんだろう。しかも、このお酒、コストパフォーマンス的にもとっても偉い。
「いくらだっけ?」
「500フラン。どう思う、この値段?ちなみに、ドメーヌ・シュヴァリエとかオ・ブリオン、フュザルは倍してるわよ」
「破格よね、、。これだけの味というか満足感を、例えばブルゴーニュで得ようとすると、3倍くらいしそう」
「ホント。こんなに素晴らしいのにこの値段って、ぜったいすごいよ。赤も安かったよね、確か?」
「うん。ペサックの欄で破格に安かったと思う」
「ほんとに素敵だ、このお酒。スミス・オ・ラフィットも似てるけど、あれだってやっぱり小売価格で700フランとかしてたし」この味でレストラン値段500フランは、信じられない。日本ではエノチカで手に入るらしい。フランスは?確かディディエがなんか言っていた気がするけど忘れちゃった。明日聞いてみようね。
お酒に恍惚としているうちに、アントレの登場。「ラングスティヌ(あかざエビ)のロティ、タプナード風味、セロリ添え」プリンプリンのラングスティヌのじっとりした味が、件のお酒にまたよく合うんだ。ロティされたエビの上に、オレンジの側をオーヴンで焼いたようなものが乗っている。柑橘類と貝や甲殻類を合わせるのは大好き。甘く爽やかなオレンジの甘みがエビに華を添える。
ガルニになっている、セロリのサラダが、なかなかユニーク。レストランでは珍しく、セロリ・ラヴ(根セロリ)ではなく普通のセロリを使ったサラダ。薄切りのセロリをクレームで和えていて、なんだか日本的な感覚。
Mきちゃんの取ったホタテのポワレのガルニになっているキャベツも、フランスらしくなくほぼ生のままの状態で使われている。このホタテがまた、、、。火を通したホタテが嫌いな私の好み。表面だけ強火で焼いただけのホタテを半分にスライスして間にトリュフソースを入れている。表面は香ばしくカリッと、中は完璧に生。こういうホタテなら私も好きだ。
美味しいじゃない、思っていたよりもずっとずっと。お酒のせいじゃないよね、料理が美味しく感じるのは。料理自体が本当に美味しいんだよね?って言うくらい、お酒の方は時間が経つにつれて、更に一層輝きを増す。なんてまあ、本当に素敵なお酒なんでしょう。また、うっとりとほおずり。
プラは「チュルボ(カレイ)蒸し焼き、セロリ・ラヴのジュリエンヌ」。ふっくらしっとり火が通ったチュルボに、あっさり目のソースと、軽く茹でた後にポワレしたようなセロリ・ラヴの細切り。「レ・ゼリゼ」でびっくり仰天したチュルボには及ばないながらも、しっかり噛み締めると味が出てくる、むっちりした食感。軽いソースが魚の甘みを引き立てて美味しい。ああ、やっぱりチュルボって美味しいのよね。「レ・ゼリゼ」にしてもここにしても。
「いかがですか?オイシイ?」仲良くなりはじめたメートルがやってくる。ここの従業員、片言の日本語の出来る人が何人かいる。お客様、日本人が多いかなあ?それとも、料理学校の生徒に教えてもらってるのかしら?
料理の話、ムシュ・ギエルと日本の話、パリのお勧め鮨屋の話、ワインの話、窓越しに見えるテラスの話。ちょっとアランに似ているメートルと楽しいお喋りの時間。
「あのテラスは、いつから使えるの?」
「4月からでしょうか。後はお天気次第です」こちらもまた、ロココ溢れる可愛らしいテラス。あんなところで夏の夕食を取れたら素敵ね。
「プティ・デジュネもテラスで食べられるの?」
「いいえ。朝は、こちらのサロンだけです。美味しいですよ、是非いらしてください」パンケーキなどアメリカ的なものを用意するというプティ・デジュネ。アメリカの朝ご飯の素晴らしさに同意している、Mきちゃんと私、思わず目が輝く。今やネクターかとみまごうばかりになったラリヴェ・オ・ブリオン。でもね、神様に捧げるなんてもったいない。申し訳ないけど、私たちが最後の一しずくまで戴きます。
楽しみにしていたフロマージュは期待外れ。二人合わせて6種のフロマージュを味見したけど、まともだったのはリヴァロくらい。サン・ネクテールもカンタルもコンテも、ブリヤ・サヴァランもポン・レヴェックも、これはちょっと、、、というお味。
「イヴァンのコンテの方が、ずっと美味しいじゃない」
「下の学校で出したコンテの方が、ずっと美味しいじゃない」料理学校や「イヴァン」と比べて負けるようじゃ、ちょっと焦った方がいいよ。
フロマージュの失敗をカヴァーするかのように美味なノワとレザンのパンで残ったワインにお別れ。さようなら、また近いうちに、会いましょうね。本当にあなたは素敵だったわ。
デセール選びで、再びカルトとにらめっこ。「本日のデセールとして、ココナッツのクープ、リンゴのタルト、ポワールのガトーがあります」と、トレイに並べられたお菓子たちを運んでくる。下の学校で作ったみたいだわ、このお菓子たち。きっとMこさんが作った方が美味しいよ。カルトからデセールを選択。
しばらくののち、ちょっと離れた所にある配膳台に何やら素敵に可愛いデセールが置かれる。かーわいい!あれはなあに?あれ、こっちに来るよ。えー、私たちのデセールなの?嬉しいな。
Mきちゃんの頼んだ、「爽やかな果物、マントのソルベ添え」とでも訳すしかないようなつまらない名前のデセール。出てきたものは、クープに入った可愛らしいデセール。一番下が赤い果物のジュレ(ゼリー)、その上にココナッツのジュレ。パッションフルーツがそれを覆って、更に上には、マングーとパパイヤのゼリー寄せ。で、一番上にソルベ。
「すっごく可愛い!しかも美味しいのよ、ぴゅすちゃん。これよ、こういうデセールを私は求めていたのよ」
「うん。おーいしー。もう一口ちょうだい。きれいねえ、このマント」
「グラニテって感じね、どちらかというと。どうやってこの色だすのかしら?」
「マント・リキュールって感じじゃない?味的にも」
「ああ、そうね。確かに。それにしても美味しい」
おっといけない、私のデセールを忘れてた。カラメル風味のチュイルの上に乗った、チョコレートのパルフェみたいなお菓子。美味しいの、これも。でもね、でもね、比べると霞んじゃうの。だって、Mきちゃんのデセール、なんだかとってもウキウキするように楽しいお菓子なんだもの。美味しいのよ、パルフェちゃん。でもね、ごめんね、私はあなたよりもあっちの子に心惹かれちゃったわ、、、。
3分の1を残した辺りで、ついにパルフェを食べる手が止まる。
「ごめん、残していい?だめだわ、そっちが気になる。もう一個、頼んでもいいかしら?」
「もちろんよ。私ももっと食べたい。半分こしましょう」
ちょっと仲良しになったメガネ君では役不足。かなり仲良しになったメートルのセルジュの視線を捕まえて近くに来てもらう。
「ウイ、メドモワゼル?」
「このデセール、とても美味しかったんですけど、どうしてもそちらのが気になるの。もう一つ、頼んでもいいかしら?」
「もちろんですとも」
「すっごくすてき、そのデセール」
「お菓子のシェフが喜びますよ」お菓子のシェフ?ん?おじいちゃん先生のことか。そう言えばこれ、きっと、おじいちゃん先生やエリックが作ってるんだよね。
メガネ君が新しくクープを運んで来てくれる。
「真ん中に置けばいいかな?」
「うん。喧嘩にならないようにね」改めてクープをつつく。美味しいねえ。固めのジュレも、各種トロピカルフルーツも、気持ち甘く爽やかなマントのソルベも、どれもこれも、何てことないのに、全体のハーモニーがすごく素敵。冬の中に、つかの間の夏を見出したような、そんな愛らしいデセールだ。
メガネ君が丁寧に注いでくれたマント・アンフュージョンを飲んで、デセールに比べるとつまらないプティ・フールをちょっとつまんで、幸せいっぱい。
ここのお茶のセットもまた可愛い。ポットとホットウォーター・ジャグ、砂糖壷、みんなすらっと背が高くてエレガント。いいなあ、これそのまま持って帰りたい。ポットの取っ手を触っていると、メガネ君が注ぎに来てくれる。メガネ君のお茶の注ぎ方は、とても丁寧でいい。ワインの時、最初の何度かを注いだ下っ端ソムリエ君はちょっと雑で、せっかくの美酒が少しナップにこぼれたりしてたし。こういう所が丁寧なセルヴィスって大好きよ。
あんなにいたお客様もあらかた引けて、残っているのは、私たちよりたっぷり1時間以上遅くに入ってきたグループと私たちのみ。あの人たちよりは早く出ましょうね、とラディションを頼む。
「今度は是非、プティ・デジュネにいらしてくださいね。お待ちしてます」
「じゃあ、エミングウェイでヨアン達と朝まで遊んでここに来るわ。何時からですか、朝は?」
「7時からです」
「うーん、エミングウェイ、確か3時までよね?居させてくれるかしら?」
「コリンに言っておきますよ」セルジュに、鮨屋のアドレスを教えながら、最後のおしゃべり。明細チェックしていたMきちゃんが
「ぴゅすちゃん、デセールの値段が付いてないんだけど、、、」
「セルジュ、あの、追加で頼んだデセールは?」
「サーヴィスです。気に入っていただけてよかったです」
「でもそれじゃ悪いわ。払いますよ」
「私の好意ですから。またどうぞ、いらしてください」
ア・ラ・カルトで頼んでるんじゃあるまいし、お昼のムニュを取ってデセールをおまけしてもらっていいのだろうか?しかも初めてのレストランで?ま、いいよね。好意は素直に受け取ろう。
「メルシ・ボクー、セルジュ。とても楽しかったわ」
「アヴェック・プレジール、メドモワゼル」
お昼のムニュは、アントレ・プラ・デセールともに4種の選択。これにフロマージュとカフェまでついて、400フラン。安いよねー。シャンパーニュとラリヴェ・オ・ブリオンを合わせ、総計1500フラン。お値打ちでしょう、やっぱり。
予約の電話対応を含めて、セルヴィスは問題なし。リッツらしい奥ゆかしさと丁寧さを兼ね備えた、きちんとしたセルヴィス。離席時のセルヴィエットの差し替えも椅子の引き方も、距離感もオッケー。あ、一人だけ、椅子の背の部分に手を置いたセルヴールがいたっけね。燕尾服のシッポが長すぎたセルヴール君。お客様の椅子に手を置いてはいけません。(でもそんなこと言ったら、客の横に自分で椅子を引いて来て座り込み、許可も無しに煙草まで吸いはじめるセルヴールがいる「イヴァン」は一体、、、?)
内装は、古いものを丁寧に使い込んでいるという感じ。中央の観葉植物が好みじゃないけど、これはこれで雰囲気ある内装。夜にはハープやヴィオロンの弾き語りが入るし。夏のテラスが楽しみだな。
料理は美味しい。期待以上に美味しかった。ロビュションの香りというよりは、「タイユヴァン・ロビュション」の香りかな、と思う部分が多いけれど、なかなか素敵なお料理だ。
セルジュの語った感じから推測すると、今年の「ミシュラン」では星が一つ落ちるらしい。
「ミシュランは、シェフを新しくすると評価が厳しくなるんですよ、、、」と、ちょっと悲しそうに話していた。どうなんだろう、本当のところ?出版が楽しみね。エリック・フレションの「ル・ブリストル」も昇格したという話は聞かないので、そのままの1つ星?「レ・ザンバサドゥール」に2つ付くなら、ここや「ル・ブリストル」だって、2つ付いてもいいのにね。
期待を大きく上回る素敵な時間をくれた「レスパドン」。どうもありがとうして、リッツの外に出ると、門の前には人だかり。今日はどんなスターが泊まってるのかしら。
mar.22 fev.2000