10時半に2回目でかかった電話。
「レストラン・ボン、ボンジュー!ヌ・キテ・パ(そのままお待ちください)」と、いつもながらの挨拶の後、待たされることたっぷり3分。電話の向こうでは、他の回線に向って話すエセプティ(例の、エマニュエル・プティ似のマネージャー。プティに似てるから、エセプティと呼んじゃえ)の声が聞こえる。今夜の席がない旨、とくとくと説明するけれど、かなりごねるお客様らしく、あーだこーだとエセプティに食い下がっているみたい。
「でも、当日予約のシステムが一番民主的なんです、、、、。ええ、3つの回線に朝9時からの2時間で1000以上のコールが入ってくるんです、、、。そうです、当日だけ、、、。申し訳ないけれど、どうしようもないんです。ええ、ええ。そうですね、スシバーなら何とかなるかもしれませんが。それで、運良く奥が空くのを待ちますか、、?そうなんです。今はもう、好奇心からでやって来る人で溢れかえっていて、、、。ええ、毎晩この状況です、、、」
ようやく電話が切れ、耳にエセプティの声が大きく跳び込んでくる。
「デゾレ、お待たせしました」大丈夫かしら?お昼ももう一杯なんてことないわよね。ちょっと不安を感じながらエセプティに告げる。
「あの、お昼なんですけど、テーブルありますか?」
「もちろんです。ええと、何時ですか、、、、」
電話を切ってほっと一息。ふうぅ、よかった、テーブル取れて。「ボン」に行きたい行きたい!って楽しみにしていたMこちゃんを、これでがっかりさせずに済むわ。
ウキウキしながらシャワー浴びてお出かけの用意。灰色空のパリだけど、今日はお昼からお天気よくなる、ってロランが言ってたもんね。木漏れ日さすボン」のテラスがさぞかし美しいことでしょう。
12時ちょっと過ぎ、「ル・レジャンス」に電話。「ボン」の帰りに寄って、「バー・アングレ」の写真を撮らせてもらう予定。「レストラン、ル・レジャンス。ボンジュ〜ル!」ち、パトリスの声じゃないや。
「ボンジュー、ムシュ。あの、ムシュ・ジャンヌにつないでもらえますか」
「パトリスは食事中。サリュ〜!クリストフだよ。サ・ヴァ?」ちぇ、何で分かる?東洋なまりの下手なフランス語を話す女の人って、そんな少ないのかなあ。それとも、この舌足らずな喋り方?
「サリュ、クリストフ。もう12時過よ。まだ食事してるの、パトリス?」
「うん。そろそろ来るけど。もうちょっとしてから電話してくれる?」
「あ、別にいい。伝えてもらえる?3時半くらいにちょっと寄りますって。いるよね、パトリス?」
「いるよー。僕もいるよー」
「オッケ。じゃあ、後で。お仕事、頑張ってね」
「ダコー。Mキによろしくね〜」
「忘れないようにするわ、、、」
昼間の「ボン」は、服選びがちょっとだけ楽。夜に比べればね。プラザ・アテネにも通じるように、上品なブラウスにレースのスカート。靴はシンプル。カバンは気をつかって。コートは、選ぶほど持ってないから、春にいつも着てるもの。うん、こんなもんで大丈夫かな、昼だしね。じゃ、行きましょ。この2週間で3回目の「ボン」への道です。
ミュエットの駅で待ち合わせ。この辺りの上品な住宅街、大好き。いいなあ、私もここに住みたい。ロールのご両親の、素晴らしいアパルトマンを過ぎ、いまだグレーのままの空を恨めし気に見上げ、外観からして素敵な「ボン」へ向う。
「ボン」の素晴らしさを私からたっぷり吹き込まれていたMこちゃん、美術家としての目で、外観をしげしげと眺めてる。
「おっもしろいね、ホントに」
「ねー、すぐ分かるでしょ?外には、黒ずくめのすごい人たちが群がってるし」
「うん。いいなあ、この上に住んでる人」
「私たちも、ここにしようか?」最近、二人で住んでもいいよね、ってMこちゃんと話すことが多い。完璧な夜型でフット好きな私たち、結構上手くやっていける気がするんだけどな。
1時半を過ぎた「ボン」は、一番忙しい時間をちょうど終わったばかり。比較的のんびりした感の漂う受付の奥には、エセプティがいる。
「ああ、ボンジュール。いらっしゃい!元気?」
「ボンジュール。また来ちゃった。テーブル取れてよかったわ」
「どうぞ、奥へ。彼女が案内するから」可愛い黒人のおねーさんが奥に連れていってくれる。
「ね、プティに似てるでしょう?」
「うん、似てるわ、あれは」Mこちゃんはフットの話がよく分かっていい。
「ここはね、いつもはカーテン開いてて、お菓子やワインが並んでるの、、、」
「そこが私が嫌いな一角。この下は庭に面していて、まあまあなん
だけど、、、」
「で、ここが、一番大きな所。ザジーはここにいて、フレデリックはこっち。この窓際がいいの、、、」
どんどん奥に進み、今日の席は、一番最後のサル。階段を数段降りて、天井がとても高くなっているところ。嬉しいな、ここ、一度座ってみたかったんだ。テラスに一番近い辺りに座らせてもらって、にっこり。家で、暇さえあれば広げているカルトを広げて、お昼ごはんを選び出す。
このサルの特徴は、壁にかかる大きなスクリーンに映る映像と、宇宙と宝石がデザインされた、キラキラ光るクロス型の大きなテーブル、それに高めの椅子。カウンター席、といえばそれまでなのだけれど、それ以上の雰囲気を持つ、なかなか素敵な空間なんだ。一番大きなサルは、いろいろな様式が交じり合って、それはそれは面白い空間だけれど、こちらはもうすこしすっきりした感じ。
すっかり狂い咲きしている白いチューリップをガラス越しに眺め、はじめて来た時には、このチューリップ達はまだ固い蕾だったのを思い出す。これから先、どんな花を生けていくのかしら。ロウがいい感じに垂れたろうそく、木で作られた動物たち、ガラスのベル、絵の様な芝生の埋め込み。飽きることなくテラスを眺めているうちに、料理が運ばれてくる。
「うっそ、これ何?多すぎる、、、。次が食べれないよお」アントレ・サラダの欄から取った「12種類の野菜の発見」。大きなお皿に白菜と赤レタスを敷き、その上にたっぷりの野菜が乗っている。
インゲン、エンドウ、ニンジン、カブ、クルジェット、ナス、小タマネギ、、、、。うーん、あと3つ、野菜が足りないぞ。端の方には、なにやら穀物をすりつぶしたようなものがある。これも野菜なのかな。不思議な味だわ。
この料理のように、なんだかよく分からないものがお皿に載っていることの多い「ボン」の皿。この間も、レモンゼリーがイカサラダに乗ってたり、今日も、少し離れた席の叔父様が食べている、見た感じフレンチトーストのようなものの正体がどうしても分からない。なんだろう?カルトには、該当するようなもの、ないんだけどなあ。キノアっていう穀物のリゾット?あれがリゾット?でも他の料理は、全然該当しそうもないし。まったく、見ていて飽きない料理だ。
「もう食べないの?」テーブルを担当してくれている、東洋人の男の子。ちょいちょいお喋りして、レストランのこと、スタルクのこと、いろいろ教えてもらう。「カフェ・マルリー」も「コスト」も、椅子などのデザインはスタルクなんですって。知らなかった。
「ごめんね、残して。次が食べられなくなっちゃうから」
「気にしないで。そうだ、今、ムシュ・スタルク来てるよ。受付の所。会いに行く?」
「へえ。でもいいわ、食事中だし。帰る時にいるといいな」
続いて運ばれてきた「ツナのクラブサンドウィッチ」。前に食べたクラブサンドウィッチについていたチップスが美味しかったのを忘れられず、今日もクラブサンド。中身はツナに変えて。
お気に入りのBIOのお酒をクイクイ飲みながら、サンドウィッチをパクパク、チップスをパリパリ。と、赤ちゃんの声がする。白いティーシャツに赤いセーターを肩に掛けたむさ苦しいオヤジが、似ても似つかない可愛らしい2歳くらいの子供を抱えて、階段を降りてくる。少し離れたところの人たちと挨拶を交わすその横顔、あれえ、このむさ苦しさ、誰かに似てない?
挨拶を終え、私たちの横に立ち、ガラス越しにテラスを眺める。「ほーら、きれいだろう?」と赤ちゃんに話し掛けるそのオヤジをまじまじと見てみる。そうだよ、やっぱりこの人、、、
「すみません、サイン、もらえますか?」と横から客がやってくる。
「OK。ちょっと難しいね、この格好じゃ、、、」と、赤ちゃん抱きながら、店のカードにサインするむさ苦しい小さなオヤジは、フィリップ・スタルクその人だ!
「浮浪者みたいだったわ、、、。なんとなく汚らしくって」セーヴル・バビロンのブティックの側で彼とすれ違ったMきちゃんの言葉が脳裏に浮かぶ。まさしくその通りだ。これはもう、どこから見ても、ただのこぎたないオヤジ。大体、その赤ちゃん、誰のよ?あなたの?ぜーんぜん似てないじゃない!ほんとにあなたの赤ちゃん?よっぽど奥様が美しいのね。
あの美しくスタイリッシュな数々の作品が、どうやったらこのオヤジから生まれて来るんだろう?と、真剣に頭を抱えたくなるような、そんなフィリップ・スタルク。無邪気な子供のような笑顔を浮かべ子供をあやすスタルクは、パパの顔はしていても、世界屈指のデザイナーとはとても思えない。どんな顔して、デザインをしてるんだろうね。
しばらくその辺りをうろついて上に戻るスタルクからようやく目を離して、食事に戻る。いつ見ても本当に素敵なカフェのカップに見惚れる頃には、このサルの客はあらかた引けて、午後のまどろんだ空気が忍び寄ってくる。この頃になってようやく、太陽の光がテラスに落ちはじめ、春らしいふくいくたる雰囲気が溢れはじめる。ちょっと遅すぎ。1時くらいからお天気だったらよかったのに。
人が減った「ボン」の中を、隅から隅までゆっくり観察。各サルから洗面所、ブティックまでたっぷり楽しんで、出口へ向う。ウェイティング・バーでアサヒビールを飲んでいるエセプティにさようならして、ワクワクいっぱい遊園地みたいな「ボン」を後にする。夏の盛りになったら、頑張って電話して今度は夜来ようね、と、Mこちゃんとバイバイ。プラザ・アテネの「ル・レジャンス」へ向う。
「ボン」そして「ル・レジャンス」と、だーい好きな二つの場所でおもしろ楽しい午後を過ごし、幸せいっぱい。真っ青な空と、今にも花を咲かせそうな緑眩しいマロニエの下、いーい気持ちで Aux Champs-Elysees〜♪と歌いながら、アヴニュー・モンテーニュからシャン・ゼリゼをぶらぶら歩く。明日からまた、雨が降る。つかの間の春を、貪欲にたっぷりと体に染み込ませながら、真昼のような夕方を過ごす。
mer.19 avril 2000