前回はいつだったろう。初めて行った店で、目くるめくような興奮と心からの感動を感じたのは?すごーく前のことだなあ、きっと。ピコちゃんち(ル・ルイ・カンズ)、ゲラールさんち、キュサックさんがいたときのレゼルヴ、ロビュションのポワンカレ通りの店、スイスのジラルデ、ブリファーさんがいたル・レジャンス、アラン・ソリヴェレスがいたレ・ゼリゼ、ランブロワジー、シリノさんち。多分これだけだ。星つきの店で、めぐり合ったその夜に恋に落ちた店は。いずれの店も、初めて訪ねたのは、もう10〜6年も前。思えばそれ以降、一目会った瞬間ならず、一度食べた瞬間に、心が震えるほど感動した店はなかった。(ビストロ系はまた別、ね。)歓喜に満ちためぐり合いが、今日、あった。
ずっと前から、そう、Mちゃんがまだパリにいて、夜な夜な2人でレストランに通っていた頃から、「カレ・デ・フイヤン」は、行ってみたい店の1軒だった。あれほどレストランに通っていたのに、どうしてここに行きそびれたのか、今でも不思議だ。その後、運悪く縁がなくずっとずっと行きぞびれていた、幻の3つ星、とささやかれている名店。「食べに行きませんか?」と誘ってくれた松嶋さんに、まずは多謝。
内装を一新し、いよいよ3つ目の星を獲るか?と注目を集めたのは、2〜3年前。結局ミシュラン最高峰のタイトルはつかなかったものの、それ以前からそしてそれ以後も、フランス人の間では、常にトップレストランの1軒として名前が挙がっている「カレ・デ・フイヤン」。オーナーシェフのアラン・ドゥトゥルニエは、南西部出身。地方料理を限りなく洗練させた料理を出す、と聞いていた。
地方料理を洗練、というのは、優しいようで難しい。その地方への深い愛情と理解を兼ね備えるのが第一条件。そして第二条件はセンスだ。洗練とはセンスが必要な事柄。シェフ自体にセンスがなければ、どうしようもない。今まで何度、うわべだけの地方料理や、間違っちゃった“洗練”を目の当たりにしてきたことか。ドゥトゥルニエの料理は、正真正銘の、“洗練された地方料理”だった。
始まりは、どちらかと言えば普通だった。そしてその後一気に、プラまでひたすらクレッシェンドで昇りつめた。珍しいよね、これも。アントレ最高プラ普通、というケースが多いものね。
これ以上のオリーヴはありえない、と個人的には思っているリュックの新収穫オリーヴ、アンチョビの詰め物をしたパスタ、アニス風味のサーモンカナッペが、シャンパーニュアミューズ。オリーヴ以外の味は普通かな。
アミューズは、ああああ、忘れてしまった〜。カニとグリーンピースかソラマメ、それにキャヴィア入りの軽いクリームを層にした料理だったと思う。何気ない、でも、ビシッと美味。これ見よがしなところが全くない完全な何気なさが素敵だ。こういう味にはしびれてしまう。添えられた、パンドミのバゲット仕立てのようなパン(もちろん自家製)も絶品で、ますますしびれてしまう。
料理名を見るだけで、心がワクワクするカルトから慎重に選びぬいた料理たち。まずは、アントレの「うなぎ 稚魚と成魚の燻製」。スペインに近いフランス南西部の珍味として名高いウナギの稚魚を、実は私はこれまで食べたことがなかった。ニンニク、パセリ、生ハムの風味を絶妙にまとったウナギのベベたちは、その繊細な風味をしっかり残している。ピクニックで使いそうな木のフォークが可愛いプレゼンテーション。このフォークにガシガシさして賞味する。心から嬉しく思う、初めてのうなぎの赤ん坊との出会いが、この店であることに。
かたや成魚は、脂が抜群に乗ったところを軽く燻製してポワレ。まるでエイヒレのポワレみたいだあ。トロンとコクのある脂を燻製香がキリリと包み、全体の食感は周りパリパリ中トロトロ。同じ南西部の名物菓子、カヌレみたいになっている。最高だ。それしか言葉がない。
付け合せはなんだっけ、、、?ラヴィオリだったことは確かだけれど、中身、覚えていない。かかったパセリだったかポワローだったかのエミュルジョンソースが軽やかでまろやかで、ニンニクや燻製の香りで演出されたウナギを、優しく包み込んでいたのが印象的だった。
もうこの段階で、すっかりドゥトゥルニエの料理に惚れてしまった。だってさあ、完璧ですよ、これ。完全に過不足のない、こうあるべき、である料理。素材のよさ、味付けの繊細さと肩の力の抜け加減、火入れの完璧さ、味と食感のハーモニー。ドゥトゥルニエは、美味しいものの味を知っていて、それを生み出す力がある。冒頭に挙げた、料理人らと同じように。すごく大切で当たり前のことのように見えるけれど、実際、これをやってのける料理人は、なかなかいないと思う。
あわせたジュランソンのワインも抜群で、この店のソムリエとパリ一と言われるワインセレクション&在庫の素晴らしさを実感する。
プラは、春の悦びを体で感じる一皿。アニョー(仔羊)に、新タマネギやプチポワ(グリーンピース)などの春野菜のごく軽いフリカッセ。アニョーの生まれ育ちはもちろん、ポイヤックでもノルマンディーでもシストロンでもなく、ドゥトゥルニエの故郷、ピレネー産。きっと、へその緒をつけたままヒヨヒヨ歩いたり垂直飛びや仲間と馬飛びしてはママのおっぱいを飲んで、この世を謳歌していたところを、つかまってしまったのだろうねえ。
このアニョーがまた、、、。世界はバラ色、この肉の色と同じように!そう思わせてくれるくらい、抜群に美味。目が覚める。アニョー独特の、サクンともサクともつかない、妙に胸がときめく歯に当たる感触。香ばしく脂が焼かれた表面。見事なまでに肉汁をとどめた芳醇かつ絹のようになめらかな、いたいけで繊細な甘みを持つ肉。恍惚。
私の中には今まで、4大アニョー料理があって、トロワグロ、ピコちゃんち、フィリップの家料理、松嶋さんのそれがが、アニョーの王様として君臨していた。が、今この瞬間、5大アニョーになってしまった。多すぎる?でもどのアニョーも、生きていてよかった!と思わせてくれる、まさに“人生で1度は味わうべきもの”なんだ。付け合せの野菜たちも、大地の力強さと春の悦びをストレートに体現していて、どうにもこうにも、感動するばかり。まるでカデールが踊るオルフェを見たときのような悦びが体に溢れる。
ふと横を見ると、松嶋さんは松嶋さんで、私と同じ感動を、彼はリ・ドゥ・ヴォー(ん、仔牛でなく仔羊の胸腺だった???)で感じている。もちろん味見させてもらう。もっちりねっとりとしたきめ細やかな食感をしっかり残したまま丁寧にコンガリ焼き上げている。添えられた肉汁のシンプルかつ極上な味と絡まり、それはもう…。シェフの、味と技術に対する造詣の深さに、ただただ頭が下がるばかりだ。
チュイル、ブリック包み、クリーム添え、とパイナップルの3変化のアヴァン・アミューズをいただき、おやつは、モロッコオレンジのコンポジション。グランマルニエを効かせたオレンジクリームのクレープスフレ、ゼリー仕立て、それともうひとつ、なんだったっけ?オレンジの花の香りをまとってかすかにエキソチズムを感じる、なかなかの出来。アプレ・デセールに出てきた、ショコラ各種はかなり私たちの心を捉え、もう一皿、おねだりしてみたりする。
食後、ドゥトゥルニエと少しお話をする。つまるところ、やっぱり料理は人柄なのかなあ。そう思わせるほど、優しく寛容で控えめな人柄の料理人だ。自分の理想のヴィジョンがはっきりしていて、それを実現できている、という幸せを、この人は多分、ちゃんと知っている。
最高のひと時だった。近いうちにまた、彼の料理を食べる悦びに浸りたい。
lun.27 mars 2006