homeホーム

グルマン・ピュスのレストラン紀行


ヴィラ・デ・リス( Villa des Lys)

夏のコート・ダジュールに来て、観光をするなんて、我ながらびっくり。ここ数年、夏にこの地方に来てやることといったら、レストランで遊ぶか、海辺で遊ぶ。これ以外に何もしたことがない。なのに今回の旅行は、くらくらするような暑さにもかかわらず、昨日のピカソ美術館に引き続き、今日また、ルノワールの家を見に行ったりしてしまう。

あれは3年前の夏だった。一人でここに来て、広大な庭を埋め尽くすオリヴィエ(オリーヴの木)が風に揺れてざわめくのにじっと耳を傾けたのは。優しい風に身を任せて、ぼんやりベンチに座り、久しぶり味わう無為な時間に酔いしれた。

brusguettaカーニュのにぎやかなマルシェをひやかした後、ルノワールの家へと向かう道に足を踏み入れる。こんな急な坂だったっけ?もっとらくちんだった気がするんだけど、、。暑さのせいだ、きっと。ジワジワと照りつける太陽から逃れようと、ひたすらに日陰を探しながら坂を登り、ルノワールが晩年を過ごしたレ・コレットに辿り着く。

何はともあれ、ちょっと休憩しなくちゃ、体が崩れ落ちそうだ。レ・コレットの入り口にしつらえられたベンチで、息を整える。あ、猫。可愛い猫が、ちょっと離れた茂みからじっとこっちを見てる。わい♪チョッ、チョッ。おいでこっちに。足取りも軽く、猫の側に近寄る。おいおい、ぐったり疲れてるんじゃなかったのかい?

輝くばかりの円熟期に入った画家が、晩年の10数年を過ごした館は、暖かい幸福感にあふれる彼の作品と同じように、とてもまろやかで優しい雰囲気の場所だ。当時のままに保存されたアトリエは、車椅子に画家の姿がないのが不思議なくらいだし、彼が愛用したジャケットとネッカチーフからは、画家の体臭が伝わってきそうだ。リューマチに悩まされながらも、愛する家族に囲まれ、友人や弟子達の訪問を受け、非常に幸福だった時期をともに過ごしたこの館には、画家がカンヴァスに残した歓びと同じものが、あちらこちらにちりばめられている。大きすぎもせず小さすぎもせず、大成した画家にしてはちょっと質素なくらいのこの館は、美しいオリヴィエに守られて佇んでいる。

カーニュの街を眼下に見下ろす広大なオリヴィエ。数百本のオリヴィエは、太陽の光を芝生に乱反射させ、サワサワと葉を重ねあわせ、和やかな雰囲気を作り出す。遠くに見える紺碧の海とレ・コレットの間に、今は近代的な建築がたくさん見えるけれど、ルノワールが暮らした頃のカーニュには、今とは比べ物にならないくらいに自然に満ち溢れ、目の前に広がる風景も、全然違うものだったんだろうな。その頃のコート・ダジュールに、私も触れてみたかった。

水着。浜辺。太陽と海!コート・ダジュールの夏はこうでなくっちゃ!

初めてのカンヌの海。いつも泳いでいる、大きな石がごろごろするニースの石浜と違い、ここカンヌはサラサラの砂。ニースに比べ、一段とスノッブなカンヌの海岸線は、そのほとんどがホテルのプライヴェート・ビーチに費やされ、パブリック・ビーチは、本当に申し訳程度のごく一部。黄色や赤、青などの色とりどりのパラソルがずらりと並ぶ様は壮観だ。

海で泳いで、疲れるとひなたぼっこしに浜辺に戻り、太陽の暑さに耐え切れなくなるとまた海に戻って果てしなく広がる地中海に体を浮かべる。サングラスを通してなお、目の眩むような光に顔を向けて光合成。街中の太陽は嫌いだけど、海と一緒の太陽は大好きだ。むさぼるように、コート・ダジュールの海を楽しむ午後。

「ヴィラ・デ・リス」というレストランに、2年近く前から行きたかった。99年の「ゴーミヨ」で絶賛された、カンヌの高級レストランは、2000年の「ゴーミヨ」では、《今年のシェフ》に輝き、名声を更に高めた。

本当は、「ジャック・マキシマン」に行く予定だったのだけれど、厨房がごたついているので止めたほうがいい、という助言に従い、それじゃあ!と、かねてから一度行ってみたかったこのレストランに電話をかけた。

海岸に並ぶ高級ホテルの一つ、オテル・マジェスティックのメイン・ダイニングになる「ヴィラ・デ・リス」。華やかなロビーを抜けて、レストランへ。あ、シェフがバーにいる。お友達なのか、熱心におしゃべりを続けるブルノー・オジェール氏は、若干34歳のブルターニュ出身のシェフ。なんだってまあ、北の果てのブルターニュから、南の果てのコート・ダジュールに移ってきたのかしら。プールサイドにしつらえられたテラスへ。ブルーにライトアップされたプールを横目に、席につく。

「ベッリーニ、出来ますか?」
「もちろんです」と言って持ってきたのは、ペッシュ(モモ)のリキュール入りのシャンパーニュ。だーかーらー!わざわざ、出来ますか?って聞いてるんだから、本物のベッリニのことを言ってるに決まってるじゃない!つぶしたペッシュをシャンパーニュで割るベッリーニ。この季節限定の、大好きな飲み物なのだけれど、今夜のここのように、シャンパーニュにクレーム・ドゥ・ペッシュ(モモのリキュール)を垂らしたものを持ってきちゃうところがあるんだよね。あーあ、美味しいベッリーニが飲みたいな。「ル・ブリストル」のが、甘目だけど好き。

その辺のビストロじゃあるまいし、と思わず呆れた、高級ホテルに相応しくないグラス類や、たいしてセンスのよくない飾り皿やカトラリー類も、薄暗いプールサイドのなんともいえない雰囲気の前に、どうでもよくなっちゃう。どうせ暗くてよく見えないもん。気にしない気にしない。

ベトラーヴのタルタルつついて、ペッシュ・クレームを垂らしたシャンパーニュ(間違ってもベッリーニじゃない!)を楽しみながら、大きなカルトを吟味。顔の長いメートルに何度も無駄足を運ばせた挙げ句、今夜のお料理を決定。

いつも思うけど、どうしてメートルって、こんなに早く注文取りにくるんだろう?他のお客様達は、もっと簡単に料理を決められるのかしら?自慢じゃないけど、メートルが来る前に料理を決めていることなんて、あったためしがない。あ、「イヴァン」は時々あるか。だってあそこ、忙しいと、カルト渡した後30分以上も注文取りに来てくれないことがあるもんね。「ちょっと待ってろよ!あと5分で行くから!」、で15分は来ないもんね。今度ゆっくり観察してみよう。どのくらいの時間で、普通は料理を決定するのか見てみたい。

ナガ(顔の長いメートル)とお料理を決めたあとは、ソムリエ氏の登場。ベレの「シャトー・ドゥ・ベレ」の特級品か、コトー・デクスのお勧めか、でしばらくもめた後、コトー・デクスの「シャトー・ルヴェレット」で折り合いをつける。

「アミューズ、キャロットのヴルーテです」ナガが手下を連れて運んできたのは、小さなスープ。ザラリとした舌触りと甘いニンジンの香りがとてもいい。嬉しいな。アントレに、「プティポワ(グリーンピース)のヴルーテ」を頼もうと思ったら、今日は「ジャガイモのヴィシソワーズ」になってる、って言うから、残念だけど、他のアントレにしてたんだ。ヴルーテ物、好きよ。にんじんのヴルーテ、続いてもう一つ別の種類のヴルーテ(何だったっけ??)がセルヴィスされ、アミューズが終わる。粗みじんの緑オリーヴの香り豊かなパンをかじりながら、アントレが運ばれてくるのを待つ。

langoustineプティポワの代わりに選んだアントレは、「大きなラングスティヌのプロヴァンス風、フルール・ドゥ・クルジェットのリゾット」。「ヴォアラ」と、ナガが目の前で蓋を開けた料理は、よく「イヴァン」でごちそうしてくれるラングスティヌのオイルソテーの豪華版、みたいな料理だ。

見た目には全然つまらない。本当に、ラングスティヌをソテーしただけ。この料理って、どうやっても見た目は可愛く出来ないんだけどね。お味の方は、美味。っていうか、不味くなりようがない。オリーヴオイルとバターの両方を使って火を通した作品は、ブルトン(ブルターニュ人)であるオジェール氏のアイデンティティーと南仏の特性を混ぜ合わせたもの。確かにバターの風味が、エビにコクをプラスしていいんだろうなあ。私は、オイルだけでも全然かまわないけれど。むっちり肉厚のラングスティヌ、パリで食べるひ弱なそれとは訳が違う。ガルニは駄目。味の付け方からして問題にならない。

「どうですか、お酒?」
「美味しいです。少し冷え過ぎくらいの方が好みかな。面白いわ、普段飲みなれていない味で。来週、リュベロンに行くんです。知り合いのソムリエがコトー・デクスのお勧めを紹介してくれたので、時間があったら行こうと思って。ちょっと勉強してきます」
「どこですか?」
「シャトー・グラン・ソォイユ。ピュイリコーの」
「ああ、知ってます知ってます。いいシャトーですね。いらっしゃったら、私からもよろしく、って伝えてください。僕、レアンドル、って言います」と、名刺を差し出すソムリエ氏。ムシュ・レアンドル・ピケ。ん?ルノーと同じ名前じゃない。ひょっとしてルノー、知りませんかー?

ワインの注ぎ方が、少な目でいいな、ここ。ムシュ・ピケも少ししか注がないし、他の人たちもちょっとだけ注いでいってくれる。おかげで、ピッチの早い私たちのグラスは、頻繁に空になりかけ、その度に、よく気がつくセルヴール君があわただしく寄ってきて継ぎ足してくれる。くるくるとよく働くこのセルヴール君。いつも手にたくさんのグラスを持って動いているので、グラって名前をつけてあげた。ありがとね、グラ。きれいなお酒の注ぎ方をしてくれて。

turbot「バジルを効かせたチュルボ(カレイ)、はしりの野菜のピストゥー風味」は、ムシュ・オジェールが《シェフ・ダンネ(今年のシェフ)》に選ばれたのが納得できた作品。ようやく、本当にようやく、去年の秋の「レ・ゼリゼ」で味見したチュルボと比較できるような料理に会えた。あれ以来、何度チュルボを頼んで、後悔してきたことか、、、。

今日のそれは、「レ・ゼリゼ」のものとは料理法も違うし、どちらがいい、とは一概に言えないけれど(いや、やっぱり「レ・ゼリゼ」でしょう、もちろん)、バジルの香りがふんわり移って、柔らかで肉厚の身はなかなかイケル。黒オリーヴとオリーヴオイルの香りに包まれた小さな野菜達がまた、甘みたっぷりでふくよかな美味しさ。あー、これはいいですね、かなり。

peche一目見た時から、絶対これだ!と決めてしまい、残りをろくに読みもしないでオーダーしたデセールは、「ペッシュ・ブランシュ(白桃)のスープ、ミュスカのグラニテ」。目の前に置かれたそれは、ブランシュでなくてジョーヌ(黄色)の桃だったけれど、そんなの許す。だって、めっちゃ美味しいんだもの。ちょうどいい具合に甘みが引き出された桃に、はかなげな甘さのグラニテ。ひんやりと甘い、なんて夏らしいでセールなのかしら。美味しいわ、ったら美味しいわ。ああ、大変。グラニテがなくなっちゃう、、、。だめだ。グラニテなしじゃ、このデセールは完結しない。

きっ、と、決意を顔に出して視線でナガを呼び止める。
granite「マダム?」
「この素敵なデセールのね、グラニテがなくなっちゃったの。もう少しいただけると嬉しいな」
「ビアンシュール、マダム。トゥ・ドゥ・シュイット(すぐに)」
「メルシー・ボクー」

しばらくして運ばれてきた、クープにたっぷり入ったグラニテに、残りの桃を乗せみる。あら、可愛いじゃない。桃とグラニテの割合がこのくらいの方が、私は好きだな。たっぷりのグラニテでひえひえになったお腹を、フレッシュ・マントのアンフュージョンで暖めて、食後の小菓子をつつく。グラニテのように細かく砕いた氷に乗せたショコラが素敵なプレゼンテーションだ。

プールの水がはねる音に耳を傾けながら、ボーッとお茶を飲んでいると、受付にいた支配人がやってくる。そういえばこの支配人、最初の挨拶の時、片言の日本語で話していた。
「奥さんが日本人なんですよ」と支配人。
「ああ、どおりで」
「パリのリッツの料理学校で知り合ったんです」
「リッツ・エスコフィエ?知ってますよ」
「ほんと?僕もリッツにいたんです」
「エスパドンに?本当?ルゲイさんの時代ね。ひょっとしてセルジュとか知ってます?」
「もちろん!うれしいなあ、ここでこんな話が出来るなんて。ムシュ・ザアムも知ってますか?」
「ビアンシュール。料理学校の方ですよね」

思わぬところで、リッツの話題。「バー・エミングウェイ」の人たちや、厨房の人たちの話題で大いに盛り上がる。パリならいざ知らず、カンヌでこんな人に会うとはね。5年ほど前にこちらに引きぬかれて移ったらしい。

帰り際、そのリオネルがシェフに紹介してくれる。来た時と同じバーでおしゃべりにふけっているシェフ。まさかと思うけれど、あれからずっとここにいたんじゃないでしょうね?

「いかがでしたか、ディネは?」
「美味しかったです。北と南がちょうどよく交わっていて。嬉しいわ、ここに来られて。2年くらい前からずっと来たかったんです。何度かトライしたのだけれど、いつも工事中で」
「ああ、長かったですからね、あの工事は。来ていただけて光栄です」しばらくシェフとおしゃべり。
「ジョルジュ・ブラン」上がりなんだそうだ、彼は。んー、言われてみれば、まあ、ブランっぽいかなあ。あのチュルボは、確かにブラン系かもしれない。よく出来ていた。

シェフと挨拶して、リオネルに見送られてレストランを後にする。
「これ、記念にどうぞ。リッツのみんなに、くれぐれもよろしく伝えてくださいね。今夜はお目にかかれて、本当に楽しかったです」
「こちらこそ。どうもありがとう」

お土産にもらった今夜のカルトを手にして夜のカンヌの海岸線を歩く。写真を撮ってもらおう、と頼んだフランス人家族と意気投合して、一緒に写真撮ったりおしゃべりしたり。
「パリ?」
「ええ」
「私たちもよ。アレジアなの」
「ほんと?うち、近所よ。プレザンス。アレジア通りからちょっと入ったところ」
「あら!うち、アレジア通りに店を持ってるのよ。紳士もののワイシャツの店。今度遊びに来てよ!」
「いくいく。写真持っていくね!」

カンヌに来てまで、パリに関係ある人ばかりに巡り合った今夜。優しく打ちつける波の音と、夜中になっても混雑している車の音、ヴァカンシエの雑踏の音に囲まれながら、昼のぬくもりがちょうどよく残った夜更けを歩く。夏のコート・ダジュールには、いつだって甘ったるい匂いが漂っていて、私はそれに酔いしれてしまう。


samedi 19 aout 2000



back to listレストランリストに戻る
back to listフランス地図に戻る
back to list予算別リストに戻る


homeA la フランス ホーム
Copyright (C) 1999-2000 Yukino Kano All Rights Reserved.