夏もいよいよ終わりを迎え、柔らかな太陽に造られた影が、そびえたつカテドラルに張り合うかのように、長く長く伸びている。迎えに来たタクシーに乗り込む。
「どちらまで?」
「オランジュリーの外れにあるレストラン」
「ああ、Buerehieselね、ダコー!」
「ごめんなさい、もう一回発音してくれますか、レストランの名前」
「Buerehiesel」
「、、、、。すみません、もう一回お願いします」
「ははは、難しいよね。Buerehiesel、です。田舎屋っていう意味なんです」
ずっと昔から、ミシュランの3つ星レストランの中に一つだけ、どうにもこうにも私には読めない名前のレストランがあった。ドイツ風の綴りを持つ「ビュルイーゼル」は、美食の地方であるアルザスを代表するレストランだ。パリ以外で唯一複数の3つ星レストランを抱える、ヨーロッパ議会の本拠地ストラスブールのうっそうとした大きな公園の片隅に、ドイツの田舎の可愛らしさと近代的センスが一緒になってしまったような館が佇んでいる。
階段を登り、バーコーナーを通り過ぎたところにあるサルは、全面ガラス張り。木の明るい色と照明がガラスにキラキラしてる。不思議な印象のサルだ。8時半過ぎで、お客様はまだ3組ほどだ。
ドイツ仕様なのか、ちょっと私たちには高すぎる椅子で足がブラブラ。改めて浅く腰掛け直したところに、落ち着いた笑顔が気持ちの良いメートル・ドテルがカルトを丁寧に渡してくれ、アペリティフの注文を取ってくれる。
スピちゃんはクレモン・ダルザス(シャンパーニュ方式で作ったアルザスの発泡酒)にミュールのクレームを落としたものを、私は愛するゲウルツをもらって、久しぶりの再会に乾杯。
甘さが印象的で素晴らしく美味しいナスのフリットなどの、シャンパーニュ・アミューズに目を丸くしながら、お料理を選ぶ。
と、程なく、目の前に小さなスープが置かれる。あれ、もう、アミューズが出てきちゃったの?早すぎるよ。おまけに説明なし?ちょっとそれはないんじゃない?
とりあえず、冷たそうなスープはほっておいて、カルトとお近付きになる。頃合いを見計らってやってきたメートル氏に、
「ごめんなさい。まだ、アントレの4つめまでしか読んでないの。時間かかるんです、私たちの料理選びって」
「分かりました。じゃあ、、、そうですね、夜中くらいには決まってますか?それでも早すぎですか?」と、腕時計に目をやってから、にっこり笑顔を向けてくれるメートル氏。うん、このメートル・ドテル、とても素敵な人だな。こういう人、大好きよ。
彼の助言と自分の好みを擦り合わせながら、楽しくお料理決定。運んでくれたセルヴールが説明をしてくれなかったアミューズの説明をメートル氏にしてもらって、お酒を決めて、お食事の開始。
アミューズの「トマトのガスパッチョ」は、終わりゆく夏を忍ぶ、軽やかな一品。それなりに美味しいけれど、3つ星らしい感動はないかな。なにぶんまだ、7月に味見した「ルイ・キャンズ」のガスパッチョの目ウロコ的な感動を忘れていないだけに、分が悪いよね。
匂いたつ白バラとライチの香りにしっかりした北の酸味が美しく溶け合ったゲウルツに別れを告げ、リースリングへとお酒は移る。華やかさとひきかえに上品な深みを手に入れた舌と鼻は、改めて、料理に対峙する心構えを作ってくれる。
プラの迫力を懸念して選んだアントレの「バール(スズキ)のタルタル、アーモンド風味の鱈のムース仕立てとカリカリ野菜」は、ドイツの雰囲気なこのレストランではちょっと場違いだったかな。バール自体は美味しいけれど、ムースのクレームが思ったよりも濃くて、バールの繊細で柔らかな甘みを圧倒してしまいそうだ。好みの問題として、私はこういうバールは、香りが柔らか目なアンダルシア辺りのオリーヴオイルで優しく食べたい。
スピちゃんの「トマトのコンソメ」は、黄金色に輝くトマトのエキスが素晴らしい味。そこにどうして、アルティショーその他が入り込んでくるのかは、理解できなかったけど。コンソメそのものは、完成度の高い作品だ。
パンは美味しい。酸味がしっかりした田舎パンもさる事ながら、ビールパンの香ばしさはたまらなくいい。3つ星レストランの基本だよね、パンの美味しさって。この夏に行った3件の地方の3つ星レストランは、どこも例外なく、パンは飛び切りの美味しさだった。
15ほどのテーブルは全て埋まった。ノーネクタイもいれば、赤ちゃん連れで来ている家族もある。地方ならではの、暖かく素朴な光景だ。さすがにパリの3つ星では、こんな情景はお目にかかれない。
「アルザスでは、夏に鹿を狩るんです」明瞭な話し方と低い声が魅力的なメートル氏のお勧めにしたがって選んだ「森のキノコを添えた鹿のロティ、赤ワインソース、セロリ
のピュレとベーコン入りキャベツ」。期せずして、今年初めての鹿とご挨拶。こんにちは、こんなに早くあなたに会えるなんて、思ってなかったわ。今シーズンもどうぞ、よろしくね。
サクンと歯に当たり口に入り込む鹿は、血と鉄の香りを口内に撒き散らす。キャベツの蒸し煮が絶品だ。
「アルザスでも、こんな、ブルゴーニュ風のお酒が出来るんですよ」と、ソムリエが注いでくれた、ピノ・ノワールの血っぽさとスグリ系の果物の香りが逞しい鹿に立ち向かってゆく。うーん、とても8月とは思えない料理。11月の気分よね。
横のテーブルで繰り広げられる「ブレスの鶏の蒸し煮」のデクパーニュに目を奪われる。アルザス風の可愛い土器を密封したパンの部分を外して蓋を開けると、辺りにブレスの鶏の濃厚な香りが漂う。メートル氏がセルヴールを一人従えて、鮮やかな手つきで鶏を切り分けてゆく。おいしそう、あっちも食べたかったなあ。
フロマージュ、味見したいのは山々だけれど、お腹が許してくれない。最近、こんなのばっかり。ちぇ、つまんないの。
そんな文句も、デセールの「ショコラのミルフォイユ、赤い果物とモーリーのグラニデ」を一口食べたとたんに、ふっっとんだ。どうしてこんなに軽くさっくりと、ショコラのパイ生地を焼き上げられるんだろう?中に挟まったショコラムースはミルク風味で優しく口内で溶ける。時折歯に当たる、刻んだカカオの濃いショコラがアクセント。南西地方の甘口ワインであるモーリーで作ったグラニテは、赤い果物と共に、ショコラに優雅さを添えている。
「どうぞ、よろしければこちらと一緒にお召し上がりください」すっかり仲良しになった、優しい目元のメートル氏が、スピちゃんに白ワインのグラスを、私の前には赤ワインのグラスを、デセールが運ばれたテーブルに持ってくる。
「こちらは、ゲウルツのヴァンダンジュ・タルディフ(遅摘み)。ハチミツの香りが、召し上がる「ハチミツとライム風味の桃」に良く合うはずです。こちらの方は、グラニデの材料と同じモーリーです。ショコラの香りがするんですよ、このお酒。是非召し上がってください」
「メルシ、ムシュ。セ・トレ・ジャンティ」優しいメートル氏に、にっこり笑顔でお礼を返す。こうやって、デセールにお酒を合わせるのって大好き。デセールが倍美味しくなるよね。
スピちゃんの戴いたゲウルツは、香り良し味良し。何も言うことがない。デセールを萎縮させちゃう勢いだ。初めて飲むモーリーは、確かにバニュルスをもう一段階濃くした感じ。ポートワインの甘さの中に、グルナッシュらしい燻したようなスパイスの香りが漂う。ショコラのミルフォイユとの相性は、絶妙だ。
アンフュージョンと素敵に美味しいプティ・フールで、胃をなだめて、今夜のディネを振り返る。
シャンパーニュ・アミューズ、プティ・フール、それにパンは完璧。料理は、うぅ〜ん、、、、、。それなりに美味しいけれど、心からの感動や興奮はないよね。お酒はいい。カトラリー、食器関係は、まあ、こんなものでしょ。テーブルの花は素敵だ。メートルは最高だけれど、ソムリエを含めたその他セルヴールは、3つ星レベルじゃない。だいたい、立ち方が悪いよ。端の方で立つ時、腕組みするのは止めなさいよ!見えないところならともかく、そこはまだ、サル(客席)なんですからね。見ていて気持ちのいいものじゃないでしょ。
メートルだけが素晴らしいレストラン、って星つき星なしにかかわらず結構多い。まあそれくらい、セルヴィスというものが難しい、と言うことなのか?あそことあそことあそことあそこのレストランのメートルを引き抜いてレストランをやったら、完璧だろうな、って思う時が良くある。ここのメートルも、「引き抜きメートル・リスト」に入れましょう。
そういう意味で、トータルとして完璧なのは、やはり、私のセルヴィス開眼をしてくれたモナコの「ルイ・キャンーズ」の自信に裏打ちされた華やかなセルヴィス、ピレネー近くの「ミシェル・ゲラール」の素朴で透明感のある安心できるセルヴィス、それに、愛するゆきちゃんとオリヴィエがいるランスの「ボワイエ」の統率されたきめ細かいセルヴィス、の3つでしょうか。
カルトとレストラン・ガイドブックを3冊もお土産にもらって、残ったプティ・フールは残すに忍びなく、こっそりおみやに包み(頼みなよね!全く、、、)、「引き抜きメートル・リスト」の新顔になったメートル氏の丁寧な挨拶に見送られて席を立つ。バーでオーナーシェフの、ムシュ・ウェスターマンと少しおしゃべりをして、外に出る。
外の空気は、秋の気配をはらんでいるのか北国ドイツの匂いを漂わせているのか、ストイックに冷たい。太陽のもとできらめいていた、1999年の眩しい夏が終わりを告げはじめている。
dim. 29 aout 1999