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グルマン・ピュスのレストラン紀行


ル・サンク (Le Cinq)

透明な光が美しいクリスタルのフルートが目の前に置かれ、静かに泡立つ薄い金色のお酒が注がれる。
「ルイーズです。パトリスから」はんなりとしながらも高貴なしんの強さ、輝くような芳香が細かな泡と一緒に踊る、優雅であでやかなポムリー家の貴婦人を口に含む。9ヶ月ぶりに訪れた「ル・サンク」には、パトリスの笑顔という、思いがけない素敵なものが増えていた。

8月、アンティーブ、紺碧の海を臨むミュゼ・ピカソ。城壁の細い窓から、愛する海を飽きることなく眺めているところに、その朗報は入ってきた。
「もしもし?」
「ククー、パトリスだよ。行き先、決まった。ル・サンク」
「冗談!?」静かな美術館で思わず声を上げた。

「ル・レジャンス」。パリを代表する超高級ホテル、プラザ・アテネのメインダイニングだった。長い長い改装工事を経て、ようやくその扉を開いたのは、去年の秋。待ちこがれたレストランに初めて足を踏みいれた瞬間から、私はこのレストランの魔法にかけられた。

ロビュション仕込みの高度な技術と華麗なセンスが織りなす、エリック・ブリファーのフェミニンな料理。細かなカットが素晴らい、完璧な芸術品であるクリスタル・シャンデリア。その光を受けあざやかに輝く、歪んだフォルムが大好きだったサン・ルイのグラス。ブリファーのイメージそのままの、パステルカラーのエルメスの皿。心からいとおしんだピュイ・フォルカのカトラリー。エレガントな3本枝の銀の燭台。中庭を背にした大きな丸テーブル。銀の器に飾られた可憐な花。ヒールが埋もれそうな、厚い絨毯。

おとぎの国のようなこのレストランに、最後の魔法をかけていたのが、サーヴィス・エキップ(チーム)。そろいもそろって、優しさと細やかさ、上品さと洗練さにあふれていた。なによりも、“あなたの幸せが僕らの幸せ”、という、サーヴィスの基本精神を満載していたエキップ。この、たぐいまれなエキップを統括していたのが、パトリスだった。

ちょっと間抜けでおとぼけキャラクターのパトリスを、シェフ・ソムリエのディディエをはじめ、ビシッとスマートなセルヴール達が慕い、オチャメでありながらとても洗練された、それはサンパで素敵なサーヴィス陣だった。

なくなってしまうのを感じていたのだろうか。たった半年という短い日々、私はこのレストランを本当に溺愛した。夕食の時間に、お昼の時間に、おやつの時間に、アペリティフの時間に、デセールの時間に、おやすみなさいの時間に、、、、。ちゃんとした食事をする以外にも、なんやかんやと遊びに行っては、あまりにも居心地のいいその空間に身をゆだね、ふつふつと湧きあがる幸せに浸っていた。

真夜中の鐘がなり、シンデレラのお城はなくなった。鐘がなったのは今年の4月。ならしたのはアラン・デュカス。あまりにも美しすぎたレストランは彼の欲する対象となり、彼が欲した以上、それを止められるものはなにもなかった。

20年以上をプラザ・アテネで過ごしてきたパトリスが、新しいデュカスのレストランには残らない、と聞いて、喜んだと同時に、彼の行き先をずっと心配していた。
「ブリストルがいいかなあ。でもあそこには、モントゥリエさんていう素敵な支配人がいるしね。じゃあ、リッツ?なんだか、パトリスの趣味じゃないよね。クリオンはどうかな?料理がイマイチなのが気に入らないけど。そうだ、ジョルジュ・サンクにしたら?あそこ、サーヴィスは最悪だもん。そもそもエリック・ボマールからしてよくない。デセールは崇高なのに。あそこに行って、従業員教育してよ!」笑いながら、みんなでこんな話をして過ごした初夏が過ぎ、盛夏も終わりに近づき、新しいシーズンが始まろうとする時期に、彼の行き先が決まった。

「ピュス、聞いてる?」
「ん?あ、うん、聞いてる聞いてる。冗談じゃないのね?」
「うん。ほんとにジョルジュ・サンクに行くんだよ」
「ボマールがいなくなるの?」
「まさか。それはないよ」
「そうよねえ、、、。いつから?」
「9月初め」
「私ね、偶然にも予約入れているのよ。10日の日曜日。予感があったのかな。いてくれるよね、パトリス?」
「ほんと?10日ね?いるよ、もちろん。楽しみにしてる」
「私こそ。嬉しいわ、パトリスのサーヴィスをまた受けられるようになって。楽しみにしてる」
「じゃあまた」
「うん。あ、パトリス」
「ん?」
「よかった、ほんとに。行きたがってたところに決まって」
「メルシ、ピュス」

2年間の工事を経て、ジョルジュ・サンク・ホテルが、フォーシーズンス・グループとしてリニューアル・オープンしたのは去年の12月。贅の限りをつくしたホテルは、その顔ともなるべきダイニングの厨房に「タイユヴァン」からフィリップ・ルジャンドルを迎え、客席には、98年度世界ソムリエコンクールのヴァイス・チャンピオンとなったエリック・ボマールを据えた。

オープンからまだ2週間足らずの、2000年1月3日。期待に胸ふくらませ、今年の最初のレストランとして「ル・サンク」を訪れた。

感想は、がっかり。料理はまあ、相性が合わなかっただけだとは思う。デセールは、最高。ううん、崇高。あんなデセール、なかなか巡り合えない。内装は、豪華だけど、ちょっときらびやかすぎる。飾り皿はいいけど、グラスがつまらない。花は素敵だ。デセール同様完璧に。アメリカ人の作品ですって。サーヴィスは最悪だった。ホテル学校をエリートで卒業したとおぼしき、やたらと自尊心ばかり強く、経験のない、使えない子ばかり。愛想はいいけど、プロとしてのあまりの手際の悪さにへきえい。なんだかまあ、日本のサーヴィスみたい。自分に酔ってる。同じレベルの超高級ホテルのゴージャスなダイニング、として似たようなイメージを持つ「ル・レジャンス」に比べ、デセールと花以外、全てにおいて数段劣るな、という感想を持って、「ル・レジャンス」に戻り、みんなに逐一報告してきたっけ。

それから半年以上が過ぎたころ、そろそろまた「ル・サンク」に行ってみようかな、と思うようになった。サーヴィスも少しはこなれてきたかもしれない。レストランとしてもようやく完成してきて、いい感じに変わっているかもしれない。なによりも、あのデセールが忘れられない。どうぞ期待通りに変わってますように、、、。そんな願いを込めて予約の電話を入れた数日後にかかってきた、パトリスからの嬉しい電話だった。

夏の気配がまだ残るあたたかな夜。間違いなく、パリで一番美しい花のデコラシオンを持つジョルジュ・サンク。大理石のロビーを抜け、あちらこちらに飾られた花を愛でながら、中庭の向こう側に位置するレストランへ向かう。

amuse「ル・サンク」の制服に身を包んだ、なんだかいつもと違って見えるパトリスのホスピタリティーに包まれて、楽しいひとときが始まる。その泡を見ているだけで気分がウキウキしてきてしまうルイーズ片手に、あーだこーだ悩み、メートルたちの助力を仰ぎながら料理決定という大仕事。

「それから、こちらのムシュには、アントレにクレソンのヴルーテをお願いします」
「ああ、マダム。そちらの料理は注文されない方がいいかと、、、」と、申し訳なさそうな言葉がメートルから返ってくる。
「え?どうして?」
「理由はちょっと、、、。のちほど申し上げます。とにかく、そちらは注文してはいけません。ぜひ他のものをどうぞ」

こんな言葉、初めて聞く。いぶかしがりながらも、他のものを頼み、シャンパーニュでアミューズをいただく。
「変ね、どうしたんだろ?作るの、失敗しちゃったのかしら?」
「珍しいよね。今夜はない、って言わないで、それは頼まないでください、なんて言うのって」
「まずいのかしら、ひょっとして。まさかねえ」

こんな疑問が解けたのは、数分後。
「ヴォアラ、こちらが先ほどの理由です」くだんのメートルが、嬉しそうにこう言いながら、銀のトレイから私たちの目の前に移した器には、きれいなクレソン色の液体が入っている。と同時に、スープ用のキュイエール(スプーン)が、さっとセッティングされる。
「え?え?これ、、、」
veloute「クレソンのヴルーテ、カヴィア添え、でございます。どうぞお召し上がりください。私どもからです」
「うわぁ、嬉しいな。なんてすてきな理由だったの!おいしそう、とても。どうもありがとう、ご親切に」
「どういたしまして。これがあったので、頼むのをやめていただいたんです」
チャーミングで嬉しいサーヴィスに感動。でも、その感動は、長くは続かなかった。だってさあ、クレソンのヴルーテの美味しさの方に、感動がすべてもってかれちゃうんだもの。

トロリと緑色の液体にキュイエールを入れる。と、なにやら下の方の色が違う。なに?なに?どうなってるの?もちょっと、探りを入れてみる。うひゃ〜!コンソメで固めたカヴィアが下に敷いてある〜!!キラキラとトパーズ色に光るコンソメ・ジュレの中に、深くつややかに輝くカヴィアがぎっしり。クレソンのブルーテは、その上に注がれている。ツルンツルンのジュレになったとびっきり上等のフォンが、なめらかに舌をなでる。と、その合間に、プチプチプチプチと、カヴィアが華やかにあだっぽくつぶれてゆく。なんと贅沢な共演。そこにトロリと、クレソンの香りをそのまま閉じ込めた、風味豊かなヴルーテが流れ込んでくる。

おーいしいよぉ、、、。フィリップ・レジャンドルのイメージと違う。これはどちらかというと、ロビュション、ブリファー系の味だ。「タイユヴァン」あがりの彼に、こんな繊細で、私の琴線に触れる料理が作れるのぉ、、?

9ヶ月前の夜中に、このレストランを後にした時、まさかこんな料理が次に食べられるなんて全然期待していなかった。それくらい、前に食べた時とは毛並みが違う料理になっている。
「どお、美味しかった?」と、パトリスの笑顔。
「すごく。美味しい、というよりも、とても好みだった、、、」
「だと思ったよ。ブリファーっぽい味だったでしょ?」
「うん、フェミニンで素敵だった。どうもありがとう、パトリス」
「どういたしまして。気に入ってもらえてよかった」
なんだか嬉しくなってきた。幸先いいな。これはひょっとして、この先の料理とも、仲良しになれるかも。ルビー色したポマールとお近づきになりながら、アントレの到着をワクワクして待つ。

homard「オマールのピサラディエール」。こんな名前の料理を、頼まずにいられるわけがない。オマール?大好きよ。甲殻類では一番好きだわ。ピサラディエール?私を誰だと思ってるの?フランスがどこにあるかも知らない小さな頃から、老後はニースで過ごす、となぜだか決めていたくらいの南仏っ子よ。コートダジュール・シンドロームの私が、こんな名前の料理を見過ごせるはずがないじゃない。

という訳で、今夜のアントレは、私にしては信じられないくらいのスピードで決定された。

ピサラディエールというのは、コートダジュールの名物。ピザ生地やパン生地に、飴色に甘く炒めた玉ねぎ。これに黒オリーヴやアンチョビを乗っけた、軽食にぴったりの料理。ニース辺りのパン屋やマルシェでよく見かける、私のおやつ。オマールなんて高級素材を使われたピサラディエールは、そんじょそこらじゃ、お目にかかれないしろもの。

さっくりと焼き上げたフォイユテ(サクサクの折りパイ)の上に、しんなりと炒められた玉ねぎ。クールブイヨンでゆであげられたらしいオマールの切り身がその上に乗っている。ガルニは、極細のインゲンをクリームで和えたもの。オマールの独特の歯ごたえとたくましい甘み、玉ねぎのトロトロの甘み、フォイユテの香ばしい甘み。3つの甘みが微妙に溶けあって、んー、トレ・ボン!

インゲンも美味しいけど、これはなくてもいいわ。ピサラディエールだけで完結しても、なんの不満もない料理だ。まあ、彩りの問題として、あってもいいけど。

pigeon昔は大好きだったのに、2年くらい前から、今一つ仲たがいしていたピジョン(ハト)。「ピジョンのメロン風味」という料理をカルトに見つけた時、なんだか今夜は、昔みたいに仲良しになれるかも、という予感がした。直感を信じて頼んだプラは、それはそれはみごとな一皿。

しっとりと、たくましく、風味豊かなピジョン。昔愛した時と同じ感覚がよみがえる。これのなにが、この2年間だめだったんだろう?濃いメロンの香りに包まれ、血色の赤い身が一層引き立つ。バルサミコを使ったソースが、さらに迫力を添える一品。細い足をつまんで、骨に絡みつく最後のひとかけらまで丁寧にいただく。ハトの血と同じ色したポマールを添えながら。今までのわだかまりも溶け、すっかり仲良しに戻ったピジョン。なんの因果か、以後1週間で、3度も食べることになる運命にあるとは、さすがにこの夜は気がつかなかったよね。

「フロマージュは召し上がらない?じゃあ、デセールですね。よかったら、任せていただけませんか?」
《崇高》の一言に尽きた、1月に食べたここのデセール。皿盛りのデセールも、その前に出てきた一切れのガレット・デュ・ロワも、プティ・フールやボンボン・ショコラも、全て一つ残らず、崇高だった。いいよ、任せる。なにが出てきたって、絶対ここのデセールなら間違いはないはずだもの。こんな風に、心から信頼しきって任せられるって、なかなか巡り合えない幸せだよね。

期待に胸膨らませて待っていた私の目の前に運ばれてきたデセールを一目見た瞬間、歓声を上げる。
fraise「きゃあ!どーして?どーしてこんなに可愛いの!?」
「可愛いだけじゃなくて、美味しいんですよ。フレーズ尽くしの一皿です。ボナペティ!」
しばし、カトラリーに手もつけられず、うっとりとそのプレゼンテーションにハート目を向ける。可愛い!可愛い!!可愛い!!!

ガラスに銀が縁取られた長方形のトレイに、小さなガラスのお皿とグラスが4つ。中身はそれぞれ、フレーズのパイ、フレーズのクリームにフレーズ・デ・ボワ、クリームを詰めたフレーズ、それにソルベ。ご丁寧に、サクサクパイが、二つのグラスにブリッジを作ってる。

うわーん、可愛すぎる。パク。うわーん、美味しいよお。パク。えーん、可愛い。パク。うぅ、フレーズ・デ・ボワ、好き。パク。あーん、どんどん形が崩れてく、、、。パク。クスンクスン、すごくすてきだ、、、。

レストランの皿盛りデセールってこれだから好き。お店で買ってきたケーキでは絶対に真似できない、器があるからこそ完成する芸術品。デセールのデコラシオンには、今までも興味をもって見てきたけれど、こんなに好みのにお目にかかったことってあったかしら?んー、よく思い出してみよう。ひょっとしたらこれが、今までに見た中で一番好きなレストラン・デセールかもしれないよ。

あまりにも愛らしいフレーズちゃんたちを食べ終わってしまい、ボーゼンとしているところに、もひとつ別のデセールがやってくる。
「ショコラ系は、温かなフォンダン・ショコラ。さ、熱いうちにどうぞ」前回もいいな、と気にいった、薄い紫の縁取りのお皿に乗ってやってきたショコラのお菓子。これ、薄いピンクもあるのよね。どうして、このお皿をお料理にも使わないのかしら。あんまり好きじゃない、白に細い金縁のあのお皿は。

ざっくりとしたビスケットに包まれた、柔らかでアツアツのショコラ。クトーを入れると、トロトロと中身があふれ、周り中に素晴らしいカカオの香りが広がる。プラリネを下敷きにして添えられたグラスは、えっと、なんだったっけー?忘れちゃった、さすがに。(だから早く書けばよかったのに、、、。)カネル(シナモン)かレグリス(甘草)かカフェだったかな。カネルだ、多分。あれ、でもやっぱり、カフェだったかなあ。グラスに突き刺さったごく薄のショコラの破片が、とんでもなく美味しいのは知ってる。びっくりしたんだもん。この薄いショコラに閉じ込められた美味しさに。

これはこれで素晴らしいデセール。でもね、1月に食べた、ショコラのタルトと、キャラメルのフォイユテの方が好きだったかも。熱いショコラを使ったお菓子は、私にはちょっと刺激が強すぎて、途中で疲れてしまうんだ。

エディアールから仕入れているという中国茶を楽しみながら、プティ・フールつまんで、素晴らしかった数時間の締めくくり。

相変わらずちょっとおとぼけ気味の、でもその優しさがとことん身にしみる、パトリスならではのサーヴィスと、今夜はぴたりと相性のあった料理、それにあのデセール。料理が変わったのか、セルヴィス全体のレヴェルが上がったのか、それともパトリスがいるからなのか。多分全部が理由なんだろう。いずれにしても、「ル・サンク」に対する私の評価は、ぐーんと一気に上昇し、「ル・レジャンス」を失って嘆く気持ちがほんのちょっぴりだけ慰められるのでした。

そう、ほんのほんのちょっぴりだけ、ね。あそこに代わるレストランと巡りあうことはもうないだろう。「ル・レジャンス」は、もう二度と手に入れることが出来ない、永遠になくなってしまった大切な宝物。あそこで過ごしたいくつもの幸せな時間を、私は一生忘れない。


dim.10 sep. 2000



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