春分から一週間たった今日、遅れ馳せながら春の到来を歓迎して「レ・ゼリゼ」に祝宴のテーブルを取る。去年は秋分の日に、ここで秋を迎え入れるおゆわいをした。半年ぶりの「レ・ゼリゼ」への訪問は、春、というよりは、まだ手の届かないところにいる夏との、喜び溢れる再会となった。
午後1時前のシャン・ゼリゼ。湿った路から雨の匂いが立ち昇っている。ここ数日、一時間ごとに降ったり照ったり、忙しいパリの空。傘が手放せない気まぐれ3月。勢いのいい雨を浴びる度に、街路樹にしがみついた緑たちは深呼吸をするかのようにその大きさを増してゆく。あとひと月もすれば、太陽の光を浴びて真っ青な空に輝かんばかりに、一面の緑を撒き散らすだろう。
雨上がりの匂いを嗅ぎながら、シャンの裏に周り、オテル・ヴェルネの玄関をくぐる。
「ボンジュール、メダム。レストランですか?」フロントの従業員に連れられて、目と鼻の先にあるレストランへ。待ち構えていたセルヴール達3、4人に囲まれて、ベルエポック華やかなりし頃のパリを再現したような、美しいクーポールに覆われた「レ・ゼリゼ」へと階段を降りる。
外はちょうど太陽が出てるんだね。クーポールから差し込む柔らかな光が春の気配を漂わせている。このレストラン、珍しく、昼の雰囲気が夜のそれと負けないくらい素敵だ。
「こちらのテーブルでよろしいですか?」セルヴールがピシッと椅子を引いてくれる。緑の生地を張った木の椅子は、肘の部分がとてもエレガント。細い枝をデザインしたこの肘のところ、私とっても気に入っているの。きれいなフォルムのフルートを軽く傾けチン!爽やかな泡が喉を流れていく快感を楽しみながら、渡されたカルトに目をやる。
アランは今日はいないのかしら?知らないセルヴールが、息も継がずにひとしきりカルトの説明をする。あまりにも流暢にほとばしるフランス語を聞きながら、この人、一体いつひと呼吸おくかしら?と、ワクワクしながら待ってたけれど、結局最後デセールの説明を終えるまで、休憩なしで喋り続けた。すごい肺活量だね。
そんな丁寧にカルトの説明をしてくれたのに、おしゃべりに夢中になって、料理なんて決めやしない。カリッと香ばしいグリッシーニを噛りながら、シャンパーニュ楽しんで、ひとしきり満足いくまでおしゃべり。
と、そこに、ニコニコ笑顔で近づいて来る人ひとり。
「ボンジュール、マドモワゼル・グルマン!お元気でしたか?またお目にかかれて嬉しいです」
「アラン、ボンジュー!ご無沙汰してました」
「半年ぶりくらいでしょう?」まさにその通り、すごいね、アラン。あてずっぽ?
「嬉しいわ、またここにこられて」
「私も嬉しいですよ。あなた達をお迎え出来て。どうぞ楽しんでいってくださいね。ところでお料理は決まりましたか?伺いますよ」嬉々として、アランと相談しながら料理の決定。アランと一緒に料理決めるの、いつもとても楽しい。クシャッとした笑顔が魅力的な「レ・ゼリゼ」のメートル・ドテルは、いつもグレーのスーツをりゅうと着こなし、しわがいっぱい寄る優しそうな目で私を迎えてくれる。
「レ・ゼリゼ」ならではの、プロヴァンスプロヴァンスした料理達が並ぶカルトを見た後では、お酒もやっぱり南にしたい。シーズン初めてのプロヴァンスのお酒はパレットに決定。パレットと言えば、シャトー・シモーヌ。連想ゲームをすれば100%この答えが返ってくるに違いない。エクスの真横にある僅か15ヘクタールほどの小さな小さなアペラシオンにあるドメーヌは、長い間シャトー・シモーヌだけであった。最近は、もう一件の新しいドメーヌの評判も高いらしく、まわりのアペラシオンに押しつぶされそうな、ごく小さなこの地域のお酒、その質の高さは知る人ぞ知る、といった感のある、プロヴァンスの優秀お酒。今日はここの96年を選ぶ。
もう一つ候補だった、ニースの真北にあるベレのお酒よりも、より果実臭が強くパンチが効いている、というパレットの銘酒は、つやつやと輝くレモン色、爽やかでちょっとスパイシーな香り、南の平原に咲き乱れる名もない小さな花達が口の中で咲くような、この地方にしては、上品でしっかりとしたお酒だ。
夏向きにきっかりと冷やされたお酒を、アミューズの「牡蠣とポワローのグラタン、シャンパーニュ風味」で楽しむ。今シーズン、私、牡蠣と相性がいい。っていうか、ここと、後は「ル・レジャンス」のアミューズで2回食べただけだけれど、どれもこれも素敵に美味しい。牡蠣はフライしか好きじゃない私にしてみれば、これだけ牡蠣をアプレシエできるのは奇跡みたい。おかげさまで、というかそのせいで、というか、「生牡蠣の盛り合わせ」みたいな料理は、より一層敬遠するようになってしまったけれど。どうせ食べるなら、これくらいすてきに美味しい牡蠣じゃなくちゃヤだ。
さて、アントレがやってくる。これぞ南仏の醍醐味!我が愛するジャック・マキシマンのスペシャリテであった、フルール・ドゥ・クルジェット(クルジェットの花)のファルシ料理。
「野菜のムースを詰めてあるんです。ソースはシャンパーニュ風味になってます。ボナペティ」アランが私に運んで来てくれたものは、極上の笑顔と極上の料理だった。
こちらもお酒同様シーズン初めてのフルール・ドゥ・クルジェット。シーズン初めての、というより、基本的に南仏以外で、この可愛らしく美味しい野菜を私はめったに食べたことがない。ニースのマルシェなんかに行くと、それこそツヤツヤピチピチなのがゴロゴロ置いてあるけれど、パリで見かけるそれは、なんだかぐったりしている上に居心地悪そうに見える。南仏にこそ似つかわしいこの野菜だけれど、「レ・ゼリゼ」はパリの中の南仏だものね。すっかりおいしそうに料理されて、透明感溢れる白いお皿に鎮座している。
いただきまーす、と一口食べて、思わずクスンと洟を啜る。花粉症じゃない、ここは日本じゃないもの。悲しいんじゃない、「レ・ゼリゼ」にいるんだもの。期待を上回った、あまりにも美味しい料理に感激しちゃった結果のクスンなの。何の野菜を使ったんだろう。黄色と黄緑の花に包まれている、きれいな緑のムースの味が素晴らしい。それを覆う、シャンパーニュ風味のクリームのこくがまたムースを盛り上げる。
ただ単に「南仏風」と言っては申し訳ない。素朴な南仏を素敵にアレンジして奥深いものに変えた、アラン・ソリヴェレの料理だ。パクン、クスン。パクン、クスン。パクン、クスン。スプーンを口に運ぶ度に、洟を啜ってしまう。アラン・ソリヴェレの料理がすっごく美味しい、と言うのは、もう散々分かっていたはずだ。それなのに、また改めて感動してしまったのは、彼のクリームベースのソースを初めて食べたからだろうか。
「お気に召しましたか?」
「召しました!召しました!とっても美味しいかったわ、アラン。ムシュ・ソリヴェレは、ほんとにすごいわ。彼の料理にしてはちょっとソースが南っぽくないけど」
「ああ、そうですね。でも、素材はすべて南ですよ。ソースは、シャンパーニュを使ったので、ちょっとこくが出て北らしくなってるんでしょう」
「そう。なにはともあれ、素敵だわ。感動的でした。ご馳走さま」
「メルシ、マドモワゼル・グルマン」
可愛いクルジェットの花の代わりにやってきたのは、おっきくて無骨なバール(スズキ)。40センチくらいありそうな大きなバール丸ごとをフヌイユとマジョレーヌでロティしたのを二人で分ける。顔見知りの、おでこの広いセルヴール君が、香草のいい香りが漂うバールを目の前に持って来てくれた後、テーブルの向こう側で、デクパージュを開始する。
香草をどけ、骨を抜き、いらない部分を取り除き、半身にしたバールをそれぞれ皿に盛って、ガルニを付け合わせる。デクパージュとかデキャンティングの作業を見るの、大好き。見られてる方は緊張するんだろうなあ。デイジーで写真撮ったら、照れたように笑顔を見せるセルヴール。頑張れ、しっかり切り分けしてね。仕上げに黄緑色のオリーヴオイルを白い身に滴らし、まわりを鮮やかなオレンジ色したブイヤベース・ソースで飾り、プラの出来上がり。
ここでバールを食べるの、これで3回目。よっぽど好きなんだね、ここのバールが。むっちりと白い身にナイフを入れる。ほろりと崩れ落ちそうな身にオリーヴオイルを絡めて口に運ぶ。ふわりとこくのあるオイル、フヌイユの香りがきれいに移ったバールの柔らかくそしてねっとりと歯にしがみつくような食感。くうぅぅぅぅ、、、、美味しいぃぃぃ、、、。ブイヤベース・ソースの方は、トマトの味濃く、これまたバールの美味しさをより一層引き出す。
ほんっとに、ここのバールは美味しい。前回は、バールのセップ茸添えにしてしまい、セップの香りが私には強すぎて満喫できなかったけれど、今回は完璧。ガルニのフヌイユが、もう少し柔らかくロティされていればいいな、と思うくらいで、バールの方は、何も言うことがない。ロティというにはあまりにも優しく、まるで蒸し上げたようなバール、唯一の欠点は、あまりにも大きすぎる、ということか。この大きさ、3人でも余裕で食べられる。お昼ムニュで出すなら、4人で一匹でも間に合うくらいだ。どうしても食べきれず、そして最後には飽きちゃって、ちょっとだけバールを残してデセールの時間を待つ。
「フロマージュはいかがですか?」と、可愛らしいセルヴーズのお姉さんが聞きに来るのに頭を振りながら、ちょっと離れたところに置いてある、フロマージュが1つも乗っていない空っぽのシャリオを眺める。
「欲しいって言ったら、どうするのかしら?あそこ、何にも用意されてないのに」
「厨房の方にあるのかしらね。ねえ、あの大きなパン、あれフロマージュ用?」シャリオの横に大きなパンのかたまりが二つ置かれている。食事用のパンは、素敵に美味しい各種ミニパンだから、あれは何か他のためのパン。おいしそうにこちらを向いているパン、あれおみやげに欲しいわね。
こじんまりと小さなダイニングに置かれた10数個の丸テーブルについているのは、私たち以外にたったの一組。7、8人いるセルヴール君たちのほとんどは、やることなくて、入り口あたりをウロウロ。春の光差し込む、この世紀末エレガンスを持つサルにやってくるお客様がこんなに少なくていいのかしら?
「こういう風に、お客様が来ない季節があるんですよ。3月末も、そういう時期なんです」と、優しい笑みを浮かべ、アランが語る。あと二組くらいお客様がいると楽しいのにね。今日は、客を見る楽しみがない。もう一組はビジネス・ランチだし。
ビジネス・ランチにしては、ここ、とても高いと思う。よく選んだなあ。私も招いて欲しいわ。高級ホテルレストラン、それに大多数の2つ星レストランでは、安めに設定したお昼ムニュを出している。それなりに高いけれど、夜に比べれば可愛い値段のお昼ムニュ。平均で、350フラン前後。知っている限りの上限は、「レスパドン」の400フラン。但しこれには、フロマージュとカフェもついてる。アントレ・プラ・デセールの3つだけで、420フランという値段設定をしている「レ・ゼリゼ」は、やっぱり高いよね。でもここ、夜だってかなり高い。そこらの2つ星レストランよりも、1人当たりたっぷり200フラン以上高いラディションが最後に渡される。ア・ラ・カルトの値段が、四捨五入して200フランになるものがないんだもん。笑っちゃうよね。アントレ平均が300。プラ平均が350って感じかな。デセールですら、150フラン、という法外な値段がついたものがある。これは高いよ、さすがに。夜来るには、かなりの覚悟がいる。
でもね、夜、いいんだ。ピアノの弾き語りのおじいちゃまはお茶目だし、シャンパーニュ・アミューズもお昼みたいにオリーヴじゃないし、最後のプティ・フールにはびっくりタマゴがつくし、帰りには、ナッツの砂糖がけ以外にきれいなピンクの大ぶりのバラもくれるし。うん、そうだね。誰かが、「ごちそうしてあげるよ。どこでもいいよ」って言ってくれたら、「レ・ゼリゼ」をリクエストするだろうな。他のお気に入りは自分でも行けるけど、ここはさすがに、なかなか来れない。
そんな事を考えているうちにデセールがやってくる。「フレーズ・デ・ボワ(野イチゴ)のサン・トノレ、グラス・ヴァニーユ添え」。こじんまりと可愛らしいサン・トノレが、これまたこじんまりとしたグラスに寄り添われてお皿に乗ってる。
「おいしそー!いただきまーす!」と、フォークとスプーンを手に持った所に、キラキラと眩しく輝く、黄金の液体が入ったグラスが運ばれてくる。
「ジュランソンです。デセールにどうぞ」今日、一緒にお酒を選んでもらったオールバックのソムリエ君。
「わー、どうもありがとう。コアペですよね?」
「ウイ、そうです。どうぞ召し上がれ」
ここでご馳走してくれるデセールのお酒は、いつもドメーヌ・コアペのジュランソン。ジュランソンに目のない私を見透かすかのように、この、深く輝くワインを、アランはいつも私の目の前に置いてくれる。生臭いハチミツ。こんな表現したら、なんだか美味しくなさそうなお酒に見えるけど、んー、木や土の香りを感じる野生味溢れた花の蜜、とでも言えばいいのかな、じゃあ。でもやっぱり「生臭い」って感じなんだ、コアペのジュランソンは。とにかく、ただ単に甘みの極意を追求したようなソーテルヌ系よりも、ゲヴルツやジュランソンみたいに、野生味溢れる甘みを持つデセールワインが、私は好きです。
美味しすぎるお料理に一歩たりとも引けを取らない、パティィエ・アランのデセール。初めてここに来た時のデセールは、私にとっての99年度メイユー・デセール(ベスト・デザート)だった。2000年は多分、1月に行った「ル・サンク」の2つのデセールになるんだろうなあ。アヴァン・デセール、プティ・フールまで含め、あれを超えるものは、まず出てこないだろうな。「ル・ブリストル」のパルフェもほんっとに素晴らしかったけど、「ル・サンク」には負けてしまう。「ル・サンク」、他が駄目な分、デセールがすべてをカヴァーしてるよね。今年はデセールの当たり年かも。どこに行っても、かなり美味しいものを食べさせてくれる。レヴェルが高すぎて、もう大変だ。
甘い苺と上品なカスタード。さっくりシューと見事なヴァニーユのグラス。パクン、キュン。パクン、キュン。パクン、キュン。今度は洟を啜らずに、一口ごとに嬉しいの声を上げて、サン・トノレとジュランソンを終える。
「あー、美味しかった。幸せ」
「お腹一杯。もうかなりいい気持ちだわ」
「私たちったら、昼間っからいいのかしらねえ、こんなに飲んじゃって」
「いいんじゃない?春のおゆわいだもの。夏のおゆわいになっちゃった気もするけど」と、満足の笑顔を浮かべている所に、可愛いセルヴーズさんがやって来て、デセールの皿を下げたかと思うと、新たにフォークとスプーンを並べる。え?と思う間もなく、目の前に何やら乗ったお皿が運ばれる。
「ショコラのお菓子、タン(タイム)のグラス添えです。どうぞ召し上がれ」と、ニッコリ笑顔のお姉さん。
「って言われても、、、。もうお腹一杯、許して、、、」
「だいたい、お酒、もうないもの。お酒ないのに、食べられないわ、、」と言ってる目の前に、深い深いレンガ色のお酒が注がれたグラスが運ばれてくる。
「ヴュー・モーリーです。一緒にどうぞ」とニッコリ笑顔のソムリエ君。アランの指図することに抜かりはない。
「メ、メルシ・ボクー、、、。親切過ぎるわ、あなたたち。アランは?まだいるのかしら?」
「用があって、もう出ちゃってます」
「そう。どうぞよろしくね、アランに。いつもありがとう、って伝えてくださいね」
「ダコー、マドモワゼル」
ひゃあ、これまた可愛いお菓子だねえ。どうせならさ、サン・トノレと迷ってた、フルーツタルトをご馳走してくれればいいのに、なんて、ふざけたこと考えながら、スプーンを口に運ぶ。もう、ね、とにかく美味しいの。ただ単に。パティシエ・アランの創り出すデセールは、いつもなんでも美味しいんです。スプーンを入れたお菓子の断面からは、ショコラのビスキュイの上に置かれたクレーム・アングレーズがトロリと流れてくる。この上にショコラのコーティングをして、まわりを飾ってるんだ。優しく軽やかなショコラのお菓子に、こくがあってまろやかなタンのグラス。パクン、キュン。パクン、キュン。パクン、キュン。またまた、嬉しい!の声を上げながら、ポルトのようにまろやかで深みのある、年代物のモーリーと一緒に二つ目のデセールを楽しむ。
実は密かに、このレストランで一番楽しみにしているのは、お茶の時間。お茶とコーヒーのカルトが、ここ、とっても素敵なの。前に飲んで気に入っていた、ソージュ(セージ)のアンフュージョンと再会。生のソージュをふんだんに入れたこのお茶、味が濃くて美味しいんだ。他にも、アニスやハイビスカスなど、面白いアンフュージョンがたくさん。ここのアンフュージョン、全部試してみたいなあ。
あんなにデセールも食べたくせに、ついついプティ・フールにも手を出して、静かで心地いいお茶の時間を過ごす。飲み過ぎてフラフラし始めている頭を、ソージュがゆっくりと鎮静してくれる。今度おうちでも作ってみよう、ソージュのアンフュージョン。
従業員もほとんど皆引き上げ、ひっそりと静まり返った、レトロな美しいサルを出て、コートを着せてもらう。おみやげのナッツのパケを手に、「レ・ゼリゼ」を後にする。今度はまた半年後かしら?もっと頻繁に来たいのにね。陽光降り注ぐシャンを闊歩し、春を通り越して夏を体験させてくれた「レ・ゼリゼ」での数時間を振り返る。あー、美味しかった。あー、幸せだった。楽しい時間をいつもありがとうね、3人のアラン達。
lun.27 mars 2000