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グルマン・ピュスのレストラン紀行


ルイ・キャーンズ(Louis XV)

クルーザーのあげる白いしぶきが紺碧の海にきらめく。うっとりと見惚れていると、電車は短いトンネルに入る。トンネルを抜けると、また、コートダジュールの海と空が視界を覆う。圧倒的な青にくらくらして、思わず目を閉じる。と、また、トンネルの暗さ。あっという間にトンネルを抜けると、閉じたままの瞼を通して、空の青と海の碧を創り出している、太陽の光が目に入ってくる。気が遠くなりそうだ。どうしてこんなにも、地球は美しいんだろう。

ニースから電車に揺られて20分。次々と目の前に繰り広げられる、コートダジュールの美しさに溺れそうになる頃、電車はモンテカルロに着く。

3年ぶりに、「ルイ・キャーンズ」のある、「オテル・ドゥ・パリ」の回転ドアをくぐる。史上最年少で、アラン・デュカスがミシュランの3つ星を取ったレストラン、「ルイ・キャーンズ」。フランスで、いや、世界で5本の指に入るだろう、まごうことのない、最高に素晴らしいレストランの一つだ。

3年前の夏の夜、このレストランで過ごした数時間を、私は一生忘れないだろう。当時、ようやく、フランスのレストランに興味を持ちはじめた私に、最高の料理を見せてくれたのはもちろんだが、「セルヴィス」というものの概念を、根本から変えてくれたレストランだった。息を呑む、というより、恐いくらいに完璧なセルヴィスを、このレストランは私に味合わせてくれた。

私の中では、「ミシェル・ゲラール」に続いて、最高級の敬意を表している「ルイ・キャーンズ」(愛情じゃないのよ、敬意よ。愛情は、また別)。期待に胸をはちきれそうにしながら、レストランの入り口の前で、深呼吸。

まだ、あの子、いるのかな?ドキドキ。
「ようこそ、マダム。お名前を、よろしいですか?」
「え?ああ、グルマン。グルマン・ピュスです」早く、席に連れってってよ。あの子はいるの?
「お待ちしておりました、マダム・グルマン。私どものレストランへようこそ。帽子をお預かりしますが、よろしければ?」
「ああ、どうもありがとう」そわそわそわそわ。ねえ、早く。テーブルがみたいの、テーブルが。
「どうぞこちらへ、マダム・グルマン。テラスに席を、用意してあります」
「嬉しいわ、テラス、、、」そんなことより、あの子はいるんでしょうね、あの子は?

ここはヴェルサイユ宮殿の中?とみまごうばかりに豪華絢爛なサルを通り抜けて、空の青と樹々の緑、優しくそよぐ風に包まれた、可愛らしいテラスに出る。
「ボンジュール、メドモワゼル!」
「ボンジュール!」コートダジュールの太陽に負けないくらいに鮮やかで華やかな、メートル氏やセルヴール君達の笑顔に歓迎されて、相変わらず完璧に引かれる椅子にストン、と座り込む。
「ハンドバックは、こちらの小台にどうぞ」
「メルシ、ムシュ、、、」と、つぶやきながらも、視線は、椅子を引いてくれたメートル氏ではなく、テーブルの上にいるはずのあの子を探す。

picoいたー、ピコちゃん!!ピコちゃんは昔通り、ちゃんとテーブルに乗っかってた。

「ルイ・キャーンズ」の、真っ白でアイロンのしわ一つない、十分に厚さのあるクローズの上に、美しく生けられた花と一緒に、ピコちゃんはちょんと乗っている。

クリストフル製のピコちゃんは、つぶらな瞳に、足の指や羽の作りも素晴らしく、本当の小鳥みたい。私は、このピコちゃんが大好きで、前回来た時も、食事中、ずっとピコちゃんに心を奪われっぱなしだった。こんな可愛いピコちゃんとの久しぶりの再会を喜んで、ようやくひとごこちつく。

相変わらず、素晴らしいなあ、って思うのは、アペリティフの注文を取るために声をかけてくるのが、ピコちゃんとの再会の喜びが一段落してからなこと。ひとしきり、ピコちゃんをつついて撫でて、Mきちゃんにピコちゃんの話をし終わって、ふ、と息をついた瞬間に、champagneシャンパーニュのボトルがザクザクと刺さった銀製の大きなクーラーを載せたシャリオが、横に運ばれてくる。

「メドモワゼル、アペリティフはいかがいたしますか?こちらは、デュカス・セレクションのブリュット、こちらのロゼはボランジェ、ミレジムは、、、、」と、アペリティフ・シャンパーニューの説明が、ソムリエ君の柔らかなトーンの声で語られる。夏の暑さに負けないくらいにきちんと冷やされたフルートに、シュワシュワと注がれるシャンパーニュ。きれいなお酒だね、シャンパーニュは本当に。

空は真っ青、風は気持ちいい、ピコちゃんはいるし、みんなニコニコ笑顔だし、シャンパーニュは美味しそうだし、ああ、もうすでに、私の心は幸せに包まれている。これからの数時間、この幸せがもっともっと増えるんだよねえ、嬉しいなあ。ピコちゃんとこのレストランのセルヴィスと料理との再会にチンチン(乾杯)!

一口飲んだところを見計らって、ソムリエ君が声をかけてくる。
「写真、取りましょうか?」このタイミングが、素晴らしいんだ。

右手にシャンパーニュのフルート、左手にはピコちゃん持って、両手がふさがっている。仕方がないので、カルトは、飾り皿の上に広げよう。ゴールド一色の飾り皿なんて、この、ゴージャスな公国のゴージャスなレストランにしか、許されないよね、全く。昔に比べて、料理の説明が少しだけ簡略化している。よかったよかった。前のカルトは、読み下すだけで、30分はかかるという、恐ろしいものだったものね(笑)。

お酒・カフェ込みで500フランちょっと、という、破格に安いお昼のムニュを試してみることに決定。

お料理の決定、という難問題を片づけてほっとしてピコちゃんと遊んでいると、painパンのシャリオの登場。ここのパン、私大好き。ここで食べたトウモロコシのパンは、今でも、私の食べたパン・ベスト5の中に入っている。

「カンパーニュ、マイス、バゲット、ブラッシュ、ユイル・ドリーヴ、セル、オリーヴ、ラードン、、、どれになさいますか?」と、にっこりセルヴール君。
「ん、とね。マイス(とうもろこし)でしょ、、、、。それから、ブラッシュ?なあに、これ?ああ、ハーブの一種なの?じゃあ、それ、下さいな」パンのシャリオが下がると同時に、有塩、無塩、2種類のバターが運ばれてくる。

相変わらず、フルートとピコちゃんを両手に持っている所へ、アミューズの登場。
「ロティ・ドゥ・ヴォーの薄切り、アンディーヴ添え。トンを使ったマヨネーズソースです。ボナペティ!」仕方がないので、ピコちゃんとフルートを手から離す。ピコちゃん、あなたは側にいなさい。パンでも食べる?パンをちょっとちぎってあげて、ピコちゃんをちょっと傾けて、パンを食べている感じに調整。うん、可愛いぞ、ピコちゃん。

だあぁ、、、。どんな野菜と一緒にローストすると、こんな風に仔牛に味が染みるんだろう?真っ白なのに、この仔牛、、、。風味、歯ごたえとも絶品のアンディーヴと、散らされたケイパー、薄めの味付けのトロリとしたソース。はい。何も言うことありません。こういうのを、完璧、って言うのよね。バターをひとかけらも使ってないのに、この味のしっかりさ。んーん、と唸るしかないよ。

お皿を下げに来たセルヴール君が、パンを食べているピコちゃんを見て、にっこり。
「こいつの名前、知ってます?」
「ううん、何て言うんですか?」
「ルジュ・ゴルジュって言うんですよ」コック・ロビンだ。
「あはは、パン、食べてるんだ、こいつ?」と、ピコちゃんを触ろうとする。
「あ、だめ、倒れちゃう。触ったら、もう、元どおりに出来ないわよ、、」
「大丈夫、大丈夫!」ポトン。ピコちゃんが倒れる。あーあ、やっちゃった。知らないよ、難しいんだから、あの体勢で止めておくの。絶対無理だよ、不器用なフランス人には。
「あれ?あれ?上手く立たないよ、このルジュ・ゴルジュ、、。おかしいなあ。ごめんなさい」
「ははは、いいのよ。これ、コツがあるの。私がやるから」ピコちゃんを、パン食べ体勢に戻して、私もパンを一口。ブラッシュという、この地方のハーブを練り込んだパンが、とてもとても美味しい。ちょっとよもぎみたいな味がする。

farcisそうこうしているうちに、アントレの「南仏野菜のファルシ」が運ばれる。ここのファルシは、前回食べて、本当に涙が出るくらいに美味しかった。あの時の味を思い出しながら、ナイフを入れる。フルール・ドゥ・クルジェト(ズッキーニの花)に詰まった、クルジェットの果肉のしっかりした風味と歯ごたえに、思わず小さな悲鳴が出る。トマトのファルシの濃く甘いソースに、頭がくらり。オニオンの舌の上で溶けてしまうような柔らかな甘みが、思わず目を閉じる。キャベツのファルシに入れられた、松の実の香ばしさが、鼻をくすぐる。

肩から力が抜けてゆく。ふあぁ、あなたはやっぱりすごいわ、ムシュ・デュカス、、、。Mきちゃんの食べたガスパッチョがまた、涙ものの美味しさだ。これをガスパッチョと言うのなら、世間で言うガスパッチョって何なんだろう?

分かっていたとはいえ、アントレのあまりのインパクトに、しばし茫然。そんなところに、プラのthon「トンのポワレ、ラタトゥイユ添え」が運ばれてくる。このラタトゥイユがまた、、、。ナス以外の夏野菜は一緒に煮込み、素揚げしたナスを、最後に一緒に合わせた、と言ったところか。薫り高いオリーヴオイルに包まれて柔らかくなった夏野菜、ナスの、周りだけカリッと中はトロトロ、の舌触り。これ以上のラタトゥイユを食べたことはありません、はい。トンの方は、まあまあかな。もともと、火を通したトンはあまり好きな魚ではないので、味もあまり分かってあげられない。美味しいよ、もちろん。でもね、感動がないんだよね、野菜達に味わったような。

そう言えば、前にここで夕食をした時、野菜尽くしのムニュを取ったっけ。最初から最後まで野菜料理ばかり5皿。どの料理も想像を超えて美味しくて、心から感動したよね。あの感動が、その2年後に「ミシェル・ゲラール」の料理に出会うまで、私の中で一番を占めていたんだ。

「フロマージュ、何にしましょうか?」
「シェーヴルがいいな。夏に南で食べるシェーヴルって、大好き」お勧めを2種類ほど選んで切り分けてくれる。
「ユイル・ドリーヴとセルはかけますか?」
「もちろん。お願いします」たらりとオリーヴオイルをかけ、粗塩をパラパラ。ああ、夏のフロマージュはこれに限るわ。とてもフレッシュなシェーヴルと、ムシュ・デュカスの契約農家が作ったシェーヴル。この、デュカス特製のシェーヴルが、コクがあってとんでもなく美味しい。

「このレストラン、あと、パリの「アラン・デュカス」で、このシェーヴルは食べられますよ」と、メートル氏。
「アラン・デュカス」でなんか、食べたくない。夏の「ルイ・キャーンズ」テラスで食べるからこそ、美味しいんだもの。

「エクスキュゼ・モワ、マドモワゼル」セルヴールが近づいて来て、膝の上に広げてあったセルヴィエットをスッと取り外してゆく。続いて、ゴールドの飾り皿とピコちゃん、花器を残して、テーブルの上はきれいに片づけられ、代わりに、海と同じ色の皿に盛られたプティフール達、同じ色のナプキンリングにくるまれた、デセール用の小さ目のセルヴィエットが運ばれてくる。カトラリーもゴールドから、同じ青をあしらったものに変わる。

こういう風に、デセールの時間に、テーブルのイメージを変えるのも、「ルイ・キャーンズ」の素敵なところ。昔は、花器やブジ(ロウソク)も変えてたんだけれど、今は花まで変えてはいられないんだろうな。残念だけど。ブジはどうなのかしら?お昼だから分からないや。

millefeuille「フレーズ・デ・ボワのカラメル・ミルフォイユ、ラヴァンドとミエルのグラスを添えて」。こんな素敵な名前のデセールを、どうして頼まずにいられましょう。運ばれてきたデセールは、期待以上に美しく、想像以上に素晴らしい味で、うっとりと、舌も心も、ただただ本当にうっとりとするばかりだった。

こ、これはすごい。2月に「レ・ゼリゼ」で出会った、「柑橘類のバヴァロア、オレンジ・チュイル添え」と同じくらいすごい!フレーズ・デ・ボワ(野苺)の、何にもマリネしていない野生の甘みが口に広がる。こんがりと薄いミルフォイユは3枚とも、カラメルの濃さが違う。中に挟んだクレーム・アングレーズのヴァニーユの優しさ。アシエットに敷かれた、タン(タイム)風味のグレーム・パティシエをなめるにいたっては、どうしてこんな所にまで気を遣うの、、、と、涙が出てくる。そして、爽やかな甘みのミエル(ハチミツ)とすがすがしいラヴァンドの香りのバランスが絶妙なグラス。グラスの器になっているこれもまたミエル風味の極薄のチュイルまでも、非の打ち所がなく完璧。う、美しすぎる。美味しすぎるよ、、、。

まるで南の魔法にかかったように、ボーッとした頭を抱えながらプティ・フールとマントのアンフュージョンの時間。終わりが近づいた、ピコちゃんと一緒のこの幸せなひとときを少しでも引き伸ばしていたくて、だらだらだらだら。

ワインとトンの味を抜かして、まさに完璧な数時間だった。ワインについては、ちょっとこれ、問題。2種類あった白から選んだ、コート・ドゥ・プロヴァンスは、はっきり言って、どうしようもないワインだった。こんなつまらないワインを、ムニュ用に用意するくらいなら、お酒は別にすればいいのに。どうしちゃったんだろう、一体?って感じのお酒だった。「ルイ・キャーンズ」の名ソムリエだった、J・P・ルーが今年の一月に引退してしまったのが響いているのかしら?

まあ、ワインはともかくとして、「ルイ・キャーンズ」は、やはり最高のレストランだ。

デセールは別として、最初から最後まで、バターを一滴も使わない、南のお料理。そのどれもこれもが、素材の美味しさを最大限に、いや、それ以上に引き出されている。カトラリーや食器類は、ぴかぴかに磨き上げられ、花の生け方や、クローズの滑らかさも完璧だ。

料理の運び方、カトラリーの置き方、ワインの注ぎ方、何一つ文句のつけようのない、セルヴィス。お客様との距離感も、つかず離れずで、とても気持ちがいい。全国のレストランのセルヴール達、みんなこのレストランでセルヴィスの修行をすればいいのに、、。全てのレストランで、こんなセルヴィスを受ける事が出来たら、どんなに素敵だろう、と、思わず溜息。

さっきまで影だったところに、太陽の光が射し込んでいる。時間が経ったんだ。ふと、グラン・カジノの時計を見上げると、針は5時過ぎを指している。、、、、、。あれ、狂ってる?ほんとに5時過ぎ?ここに入ったの、12時半前だったよ。あーあ、全く笑っちゃう。来る前に、「今日は、早めにレストランに入って、さっくり食べて、午後遅くには海に泳ぎに行こう!12時半に入れば、3時半にはきっと、ご飯終わってるよ。お昼だしね」なーんて、言っていたのに、なあに、この有り様は。

ま、ね。コートダジュールの海辺で過ごす時間は、涙が出るほど素敵だけれど、「ルイ・キャーンズ」で過ごす時間は、心がとろけてゆくくらい素敵だものね。

こんな時間まで残っていてくれたメートル氏やセルヴール君達の、5時間前と変わらぬ素敵な笑顔に送られて、幸せな空間を後にする。幸せ、としか表現のしようがない美しい時間を、本当にどうもありがとう。

バイバイ、ピコちゃん。また会いに来るよ。それまで元気でね。


dim.25 juillet 1999



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