いつもよりほんのちょっぴり早く家を出る。
つもりだったのに、ピュスがどうしても家から出たがらない。カツオブシで誘惑して、ようやく廊下に追い出して、急いで下に降りて外に出る。
いつもよりほんのちょっぴり早く家を出た。
のは、昨日から始まったシャン・ゼリゼのイルミネーションを愛でるため。クレマンソーでメトロを降りて地上に出ると、無数に輝く光が目を覆う。うわあ、きれいだ。思わず声が出る。キラキラの光に包まれて、シャンの緩やかな坂をゆっくりと上る。
2000年の終わりまで稼動する観覧車が出来たコンコルドからロン・ポワンまでは、例年通りのイルミネーション。近くで見ると雑だけれど、全体像としてみるとパーフェクトに美しい。フランスの、こういう全体的な美しさって、大好きだ。真っ白なもみの木や白樺を配したロン・ポワンは、噴水が赤にライトアップされて、幻想的な雰囲気。私はでも、透明な噴水の方が好きだけれど。
ロン・ポワンから凱旋門までのシャンには、今年はいつもと違うデコラシオンが施されている。無数の電球は歩道の内側の小さな樹々に付けられ、車道に近い背の高い樹々は、薄いヴェールのようなものですっぽり覆われている。白いヴェールには、紫、緑、青の柔らかな光が順々に投げかけられ、冬らしい幻想的な美しさをつくっている。きれいだね、ほんとに。大好きだ、シャン・ゼリゼのイルミネーション。寒い寒いパリの冬を、心からいとおしく思えるのは、このイルミネーションのおかげだと、毎年思う。
さて、いつまでもイルミネーションに見惚れていたいのはやまやまだけれど、そろそろ行きましょうか。冬のパリをいとおしく思える、もう一つの場所に。
「うそでしょ?まだ変わってないわよ、カルト、、、」
「あはははは、やっぱり?そうじゃないかとは思ってたけど。願わくば、ノエルの前には変わってるといいのだけれどね、、、」
「いったいどうなってるの、このレストランは?」
「さあ?まあこれが、このレストランっぽいところなんじゃない?」いまだ夏メニューを堂々と掲げる「イヴァン」で、シャン・ゼリゼのイルミネーション点灯のおゆわいディネ。
「よー、いらっしゃーい!」
「やあ、ピュス!ボンソワール!」
「コバンワ!コバンワ!」寒い寒い外から店内に入ると、あったかい歓迎が待ってる。
「ボンソワ、ピュス。どう、10日間、楽しんでた?」
「ボンソワ、ブルノー。うーん、まあ、、、。楽しかった、っていうより、疲れた、かなあ」
「なにをやってたの、具体的には?詳しく聞かせてよ」
「あのね、、、」
「おーい、話し込むな、そこ!俺にもビズーくらいさせろよ!」
「あ、ボンソワール、ファブリス!元気にしてた?」
「元気元気。よく来たね。うわ、ほっぺた、凍ってるじゃん。歩いてきたの?」
「うん。それに今、イルミネーション、見てたから」
「そっか。早く奥に入れよ」
「コート、預かりますよ」
「メルシ。あ、ボンソワー、ルドヴィック(だったかな?)」
「ボンソワー」
「さあ、今夜、俺達がきみらに用意したテーブルは、、、、4番だ!」と、自信たっぷりのファブリス。
「わーい、ありがと。今夜は4番に座れるんだ?嬉しいな」って言ってもさあ、ちゃんと4番を予約してるんだから、座れるのが普通なんだよ、本来は。このレストランだと、何が起こるかわかんないから、ヒヤヒヤものなだけで。
「僕が案内します。どうぞ」と、ルドヴィック。あれ?この人、本当にルドヴィック?クリストフだったかも、、、。似てるんだよね、この二人。1人ずつ見てると区別が付かない。ま、いいか。
土曜日の夜だというのに、「イヴァン」の店内はガラガラ。
「なにこれ?変だわ」
「まだ9時前?早く着いちゃった?」
「ううん、そんなことないわ。もう、9時半近くのはずよ」
「おかしいわよ、こんなの。1時間間違えた、まさか?」
「そんなことないと思うけど、、、」びっくりしちゃうくらいに空いている「イヴァン」。どうしちゃったのかしら?
ま、いいや。せっかく空いて、従業員もまだ暇そうだから、頼むこと頼んで置こう。ずっと前から欲しかった、「イヴァン」のテーブルセッティングと、酔っ払う前の私たちの写真。
「ねえねえ、写真、撮って欲しいんだけど」カルトを私に来たルドヴィック(うーん、やっぱり彼、クリストフのような気がしてきたなあ)に頼むと、
「ちょっと待って、ブルノー呼んでくるから。あいつ、こういうの大好きだから」と、ブルノーを呼びに行ってくれる。近くにいなかったからいいや、と思っていたけど、そうだね、こういう時はやっぱりブルノーに限る。
「なあにピュス?あ、写真?任せて!どう撮る?」したり顔でデイジーを手にする。
「あのね、私たち二人の写真と、あと、テーブルと一緒の写真も」
「OK!」すっかりデイジーの取り扱いにも慣れているブルノーがシャッターを押す。
「どうかな?確認して見て」相変わらず、名カメラマンだなあ。3割り増し美人に、私たちを撮ってくれた。
シャンパーニュ飲みながら、カルトを広げるけど、なんだかもう、すっかり暗記してしまったカルトを今更眺める気もなく、周りを観察。横のテーブルには、日本人の男の人4人。一目で分かるね、キュイジニエさん(料理人)達だ、って。珍しいなあ、このレストランに食べにくるキュイジニエさん。一体なんだって、こんなレストランをターゲットにしたんだろう?
奥の方にいたデルと挨拶したり、アミューズの魚のポタージュを食べたり、なんとなくカルトを眺めているうちに、お客様が続々とやってくる。なんだ、心配することなかった。みんな、9時半の予約だったんだ。あーっという間に、ガラガラだった店内は人々の喧騒に包まれ、従業員達は、いきなり忙しそうにテーブルの間を駆け巡る。あーいいねー、週末「イヴァン」の賑やかさが出てきた。だーい好き、この華やかな雰囲気。ふと、バーを見ると、イヴァンがいる。あら珍しい、まだ、10時なのに。こんなはやい時間からいるなんて。
周囲の観察にも飽きた頃、ようやく、ファブリスがオーダーを取りに来てくれる。
「カルト、まだ変わってないんだ?」
「いやあ、いろいろあってさ。新しいコンピューターを入れたり、忙しかったんだよ。見ろよ、あのコンピューター。いいだろ?カルトは来週には変わるよ、間違いなく!」
「信じない、私」とMきちゃん。
「嘘だ、絶対」と私。
「あははは。おまえら、さすがによく分かってるよな、「イヴァン」のこと」感心してる場合じゃないでしょ、ファブリス?
「ルジェのパリパリゴマ仕立て、それにアニョーのロティにしようかな」
「イエス。アニョーは、どうする?ロゼ?」
「んー、ア・ポワン」
「ダコー」引き続き、お酒のカルトを持って来てくれたのはいいけど、オーダーをいつまでたっても取りに来てくれない。シャンパーニュもなくなって、喉が渇いてる。あーん、早くお酒欲しいよお。
訴えるような私たちの視線を感じたファブリスがやってきて、
「ごめんね。デルがお酒担当してるんだけど、すっげー忙しいんだよ、今。ちょっと待っててよ、シャンパーニュでも飲みながら。急いでないんだろ?」
遠くからデルが、「すぐ行くからね〜」と手を振ってる。
「急いでないよ、もちろん。でも、喉渇いた」
「分かった分かった。待ってろ」デルがオーダーを取りに来てくれると同時に、ファブリスが2杯目のシャンパーニュを運んで来てくれる。
コクン、と、辛目のシャンパーニュを一口飲んで、お酒のオーダー。
「ペサック・レオニャンでどれか。お勧めは?」
「んー、ペサックねえ。えっと、これは品切れだろ、、それから、これも、、、。よし、これにしよう」
「これにしよう、って、デル、これ以外はオー・ブリオンしか残ってないじゃない、、、。それにせざるを得ないんでしょ?」
「あはははは。まあ、な。そうとも言う」全くもう、相変わらずだなあ、と、溜息ついているところに、デルが戻って来る。
「悪いな、あれも切れてた」思わず、力ない笑いをしてしまう私たち。
「あのな、で、これなんかいいと思うんだよ。サン・テステフなんだけどさ、96年、なかなか旨いんだよ、これが!どうかな?」
「ははは、、、、。いいよそれで、デル。信用してるから」
「よーし!」このレストラン、って、一体、、、?ソムリエを置かなくなっちゃったのがいけないんだよね、きっと。きちんとカーヴを管理する人がいなくなっちゃったんだ。
甲殻類用のカトラリーが並んだ所に、「ラングスティンヌのロティ、オイル風味」が運ばれてくる。わーい、これ、大好きよ。嬉しいな。いつもこれをおまけに付けてくれるといいのに。量も多くないし、美味しいし。ショウガの香りがほんのり漂うエビちゃんをつついて、ようやくお腹が落ち着く。お腹空いてたんだ、とっても。オーダーにも時間かかったから、エビが来たのは10時半を過ぎてたし。早めのお昼ご飯を食べただけだったから、お腹、ぺこぺこだったんだ。バクバクバク、と、ラングスティンヌを片づけて、アントレの到着を待つ。
閑散としていたバーコーナーには、気が付くと人で溢れかえってる。5、6、、、、ひゃあ、10人以上は溜まってるなあ。バーの中で時折、金髪が見え隠れしてるのは、人に埋もれてるイヴァンだね。
お隣のキュイジニエさん達が席を立つ頃、アントレが運ばれてくる。ルジェの切り身をパートフィロで巻いて焼いたものが出てくる。昔大好きだった「イワシのパリパリ」にちょっと似てるね。トマトソースで戴く「ルジェのパリパリ仕立て」は、ちょっと焼き過ぎなのがたまに傷のパートフィロのサクサク感とホロリと身のこぼれるルジェがいい関係。ふーん、これ、いいなあ。簡単そうだし、今度、作ってみよう。
サン・テステフらしい、といえばそれまでの、ちょっとストイックで一匹狼風のお酒を味わっていると、横のテーブルに男の人が2人座る。
「うっひゃ〜!これはこれは、、、」
「うわあ、見て、あっちの人。[イヴァンの従兄弟]、って感じよ!」
「あっははは!ホントだー。ねえ、さっき奥のテーブルに行った人も、[イヴァンの兄弟 ]って雰囲気だったよね」
「うんうん。見て、ピュスちゃんに背を向けている人も、凄いわよ」
「知ってる。だってもう、着ている服が、、、、。しかもあの胸板の厚さ、、」
「かーなーりー、イケてるわよね」
「「イヴァン」っぽ過ぎる。なんか、典型的な、このレストランの客だわ」
このレストランの客はこうあるべき!の見本みたいなゲイの2人に、更に後から、素敵な男の人が参加して、3人の雰囲気あり過ぎの男達が、横のテーブルに集う。この3人目がまた、素敵なんだよね。ちょっと背が高すぎるけど、がっしりとしたモデル系で、美しく高貴な鼻と、きれいなラインの横顔。いわゆる[いい男]だ。この[いい男]が、胸板の厚い[ちびマッチョ]に、セルヴィエットで口を拭ってもらったり、手を握られたり、、、、。あれえ?こっちの2人がカップルだったんだ?私はてっきり、はじめにいた2人がカップルなのかと思ってたよ。それはそれは素晴らしい、この店ならではの人間ウォッチングを楽しむ。
『夜のパリの法王様』の異名を取るイヴァンは相変わらず元気いっぱい。ちょっと色が落ち着いた、それでも浅黒い顔に、真っ白な歯ときれいな金髪を光らせて挨拶に来てくれる。
「やーあ、モナムール!元気でいたのかい、僕の小猫ちゃん?」
「げーんきですよー、イヴァン。イヴァンも元気そうで何よりだわ。そうだ、今度、あなたに紹介したい友達がいるんだけど。来週と再来週末、イヴァン、いる?」
「いるよいるよ、いつもいるよ。カッコイイの?」
「うーん、まあ。きれい、、、かな。雰囲気はある」
「それはそれは、、、。楽しみにしてるよ。じゃ、楽しんでってね。また後で来るよ」怪しいオーラを発しながら、去っていくイヴァン。なんだか一段と、怪しくなってる。冬になると、怪しさが増すのよね、イヴァンって。
横のテーブルのゲイ3人組、一番奥のテーブルで濃厚なキスを続けているカップル、バーの横に座っているきれいな背中を出したお姉さん、パスカルをねらっていた常連の禿げオヤジ、ダイナマイト・ナイス・バディーが眩しい大柄な女性をエスコートしているオヤジ、ピュスなら20匹は使っていそうな分厚い毛皮を身に纏ってシャンパーニュのフルートを傾ける年の頃は80ほどのおばあ様、などなど、「イヴァン」の客の鏡みたいな人たちを飽きずに鑑賞していると、プラが運ばれてくる。
カレ・ダニョーは普通、固まりのまま焼いた後、骨に沿ってスライスしたものが出てくるけれど、今回のアニョーは、固まりをそのままお皿に乗せてある。なかなか個性的なデコラシオン。横に置いたトマトのコンフィには、細い竹らしきものが突き刺さっている。ははは、よくわかんないけど、まあ、可愛いよね。強いフヌイユ(ウイキョウ)の香りに、アニョーの香りも奮い立つ。んー、美味しいねー、アニョーって。焼き具合も完璧。四つ足動物では、鹿の次に好きなんだ。なんで冬に食べてるんだろ?って気がしなくもないが、ま、そこは愛敬愛敬。冬になお、アニョーを食べさせてもらえて、ラッキー!ということにしておきましょうよ。
ポン・レヴェックとルブロションでお酒を片づけて、デセールに向かう。
店内は相変わらず人、人、人。バーにもまだ人が溜まっているし、人に揉みくちゃになってイヴァンもてんてこまい。そんな中、厨房にいなくて有名なシェフ・フレデリックは、嬉しそうな顔してバーにいる。あの人、職業を変えた方がいいよ。ヴェスティエールくんとか、バーデンダーになればいいのに。そんなにバーが好きなんなら、さ。相変わらず可愛らしいシェフ・フレデリック、長い指が素敵なんだよね。
「来週。そう、来週には絶対にカルト変えるから、楽しみにしててよ!」と、一応仕事をしているのか、汗に濡れたほっぺでビズーしてくれる。
「彼はエテロだよ」と、ブルノーは言っていたけれど、なーんだか、雰囲気が最近、ホモっぽいんだよね、シェフ・フレデリック。
「あのお尻がかなり、そっちっぽいと思うの」
「うん、同感。歩き方だって、かなりよ。やっぱり、そっちになっちゃったんじゃないのかなあ?」
「こんど、ブルノーに聞いておきましょうね」
「クレマンティンヌ(みかん)のクレーム・ブリュレ、シャテーニュ(くり)のロティ添え」は、前回来た時から、今度はこれにしよ、って、決めてたデセール。バターでソテーしたクレマンティンヌはちょっと酸っぱかったけど、ブリュレとシャテーニュは、美味しいわ。初冬の味だわね。
マントのアンフュージョン飲んで、ブルノーとおしゃべりしたりしているうちに、あれほどいたお客様達も帰りはじめる。横のテーブルの3人ゲイも席を立つ。モデル系の[いい男]は、さっそうと姿勢よく歩き、バーでイヴァンの抱擁を受ける。胸板の厚い[ちびマッチョ]は、どう見てもイヴァンのタイプじゃないのに、可哀想なイヴァン、気に入られているのか、「モナムール!」と、首に抱きつかれ濃厚なビズーを戴く。
きっと頭を上げ、雰囲気たっぷりに歩く[イヴァンの従兄弟]は、これは凄い。歩き方一つを見るだけでも価値があるわ。これまたじっくりと、お別れの挨拶を交わして、3人は「イヴァン」を後にする。
「ひゃあ、、、凄かったねえ」ファブリスが持って来てくれた、泡の立ち過ぎるシャンパーニュをスプーンでかき回して泡を飛ばしながら、3人を見送る。
「凄い、を超えてたわ、あれ、、、」
「あんなに素敵なのにねー、あのモデル系の人。もったいない、、、」
「で、結局、誰と誰がカップルだったの、あれ?」
「わかんない。私はやっぱり、[イヴァンの従兄弟]と[ちびマッチョ]だと思うけど、、、。っていうか、そう思いたい」
すきっ腹へのたっぷりシャンパーニュと「イヴァン」の客の毒気に当たったかな、ちょっと頭が痛いや。長居しないで今夜は帰ろうか。何時、今?え、2時すぎ?、、、長居してるよ。
ラディションして、オーヴァーをもらいにバーに行くと、中ではファブリスが歌ってる。
「上手いだろ、俺の歌?」この人ほんとに、歌うの好きだよね。
「またね、ファブリス。オセアンとテオにどうぞよろしくね」
「OK。また近いうちに来いよ!」
「明日、メールするよ、ピュス。リリ達の写真と一緒に」
「リリちゃん、元気にしてる?」
「うん。あいつね、随分性格変わったんだよ。今じゃ、誰にだって抱っこされるんだよ」
「うそでしょ!?ホントに?し、信じられない、あのリリちゃんが、黙って抱っこされてる、、、?」リリちゃん、病気じゃないでしょうね?
「また来てくださいね、おやすみなさい」
「おやすみなさい、、、、クリストフ」やっぱりこの人、ルドヴィックじゃなくてクリストフだったよ。
「じゃーねー、デル。ローランによろしくねー」
「おー!またね、気を付けてね」
「ボンソワー、みんな!楽しかった、ごちそうさまでした」
とっぷり夜も更けて、シャンのイルミネーションも消えたパリ。近くのタクシー乗り場の長蛇の列を尻目に、「イヴァン」の前でタクシーを待つ。ここが一番穴場なんだよね。早く来ないかなー、と待っているところに、あれ?あっちからやってくる、あの3人組、、、。あのさっそうと顔を上げた歩き方は、、、?あー、やっぱりさっきのゲイトリオだー。今夜最後の挨拶は、3人の怪しさタップリのゲイの方達と交わしたものだった。
いい夢が見られそうな、とても怪しい夜が終わる。
sam.27 nov. 1999