1995年10月4日。この日のランチを、私は一生忘れることがないだろう。フランスに住みはじめて一年足らず。“レストラン”という場所を、ようやく少しずつ楽しみ始めた頃に、最初で最後の「ジョエル・ロビュション」体験をした。この上なく繊細で気が遠くなりそうなほど精密な料理。1人の芸術家による瞬間的な作品を、心を込めて味わった。この日のロビュション体験は、フレンチ・ガストロノミーに疎かった私の中に強烈な印象で残した。翌年の8月にはこの建物の名前は「レストラン・アラン・デュカス」に変わり、10ヶ月ぶりにこの場所を訪れた私は、デュカス色の中にもまだ色濃く残っていたロビュションの面影を感じながら、複雑な気持ちで食事に臨んだ。たった一度だけ、至福のひと時をくれたロビュションの影響は思ったよりもずっと強く、以後、少しでもロビュションの香りを求めて、「ジャマン」、「ラストール」、「プレ・カトラン」、「ローラン」そして「ル・レジャンス」と、ロビュションの弟子たちが厨房を仕切るレストランの扉をたたき続けてきた。
96年の夏に現場を引退してから7年近くが経ったこの春、20世紀後半のフレンチ・ガストロノミーの巨匠が再びレストランに姿を見せてくれた。ロビュション現場復帰の話は、2年ほど前から話題に上っていたが、そこは何事も時間通りに進まないこのお国。プロジェクトはなかなか進まず、世界中のロビュション&美食ファンをやきもきさせていた。5月、六本木店と時を同じくし、ウルトラシックな7区に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロビュション」がオープン。
赤と黒を基調にした、クール・ビューティーな内装。店内の半分以上を占めるのは、オープンになったキッチン。グリルに子豚や鳥が回り、ストーブで鍋が振られるシーンを提供するキッチンとパントリーを囲む形でカウンターが巡らされ、寿司屋のカウンターのネタケースを思い出せるショーケースには、果物や肉、カヴィア缶、デセールのオブジェといったものが並んでいる。受付嬢に席に案内される以外は、サーヴィスも内部から。ショーケース越しにセルヴールたちがカルトを差し出し注文をとる。料理ももちろんショーケース越しのサーヴィスだ。昼夜最初のサーヴィス(11時半、18時半)以外は、予約不可。オープンと同時にどっと人が押し寄せ、ゴールデンタイムには2時間待ちの列ができた。ウェイティングスペースもなく、外でぼーっと待つしかない条件をフランス人が呑むわけないよね(笑)。オープン直後に訪れた店は、ジャーナリストの他には、アメリカ人と日本人の姿が目立った。
12時フラットに入ったこの日は、運よく待たずに背の高い椅子に座ることができたけど、10分後には完璧満席。よかったねー、遅刻しなくて、と、友達と胸をなでおろす。ごく少な目の量のタパス・ポーションと、いわゆる普通の量のプラ・ポーションに分かれた料理たちは、それぞれ15種くらいずつ。おなかが空いていなければ、タパス欄から2品選べばいいし、きっちり空いてればタパス&プラ、いろいろ試したければ、タパスを5〜6種取ってコースを組んでもいい。お好きなものをお好きなだけ、といった風。この日は、タパスから「フレッシュアンチョビとアカピーマンのマリネ」、「ルジェ(姫鯛)のポワレ」をオーダーしてみる。
結果から言えば、期待があまりに高かったせいもあるだろうけれど、まあこんなもんかな、、、といった感じ。プレゼンは素敵だけれど、味は別に普通。もちろんおいしいけれど、ロビュションの味かといわれると???ま、ここはガストロノミー・レストランじゃないからね。楽しくコンヴィヴィアルな雰囲気の中で、同席者、横に座ったお客様、そしてレストランの従業員とのコミュニケーションを楽しむ場だものね。「ジョエル・ロビュション」の味を期待してはいけない。どこか懐かしい、そのくせ明らかに最先端の味を感じさせる、ヴァニラとカフェのプチ・ポ(小さな器に入ったクリーム)をなめながら、シックな黒のコックコートに身を包んだルセール氏を眺める。「ラストール」のシェフだったエリック・ルセール。こんなシックなコックコート姿の彼を目にする日が来るなんて思ってもみなかったね(笑)。
とまあ、不完全燃焼というかちょっぴりがっかりした気持ちを抱えて終わった「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロビュション」。ま、オープン直後だったし、こちらの期待度も高すぎたし、選んだものが悪かっただけかもしれない。たった一度のがっかりで、私がロビュションから離れるわけがない。ロビュションは、私にとって、フレンチ・ガストロノミーのベースになった人だもの。と言うわけで、ヴァカンスシーズンに突入した7月末、2度目のラトリエ体験をする。
パリの人たちの半数は、すでにヴァカンスに出発している。2時半過ぎに入ったレストランは、3分の2ほどが埋まっている状態。よいねよいね、空気の流れがゆったりしているのがよく分かる。前回は、店内のテンションがすごく高かったもんね。席まで自由に選ばせてもらって(初回は、効率よくするためにも奥から順に席が与えられた)、赤い革張りの椅子にすがる。ひざの辺りにある荷物用のフックにハンドバックを引っ掛けて、カルトを受け取り料理を決める。
タパス欄にある「マクロー(サバ)のパリパリタルト」、これがいい。ロビュションのセカンドレストランだった「ルレ・デュ・パルク」の「マクローの薄いタルト」を思い出す。溺愛したっけね、このアントレを。同じものが出てくるといいな。出てきたそれは、やっぱり「ルレ〜」のそれとは違うものだけれど、これはこれでなかなか美味。ブリック(風なだけかも)を使ってタルトに仕立て、トマトソースを塗った上にマクローとオリーヴ、パルメザンとハーブ。なんてことのないつくりだけれど、一つ一つの素材の味が優しく自己主張していて、全体としてかわいらしくまとまってる。スゴイ!と感動はしないけれど、チャーミングで人好きのするアントレだ。
プラは、本日のオススメにしたがって「子豚のロティ、ムタール(マスタード)ソース」。前回食べ損なったジャガイモのピュレが付くのを確認してのオーダー。豚ってほんとにおいしいよね。高級素材でなかった豚が見直されたのは、狂牛病の発生以降。この1〜2年は特に、ドラマチックなほどに盛り上がっているイベリコハムの台頭とあいまって、高級レストランで頻繁に豚が使われるようになってきた。ブリファーさんが作るバスク豚のロティ、フレションさん作の豚の炭焼き、ヤニック・アレノの手による豚料理のおいしさを思い出すだけで、唾が出てくる。そんな、今や食材のエリートになった子豚を使った料理は、シンプルにロティした肉とカリカリに焼いた耳に、酸味が心地よいマスタードの香りをベースにしたクリームソース、それにレタスの芯。柔らかくかぐわしい豚が美味だ〜。ソースは、ちょっとクリームが強くて個人的にはあまり好みじゃなく、丹念に脇にどけて半分ほど残してみる。コリコリの耳の歯ごたえがいいアクセント。シャキシャキレタスにかかった塩と胡椒のなんてまあおいしいこと!
別皿で念願のピュレもやってきて、懐かしいロビュションのピュレと再会。8年前の秋、「ジョエル・ロビュション」で食べたピュレのおいしさは衝撃的だった。“マッシュポテト”とは全くもって別物のそのどろりとしたなめらかな食べ物を、夢中になって食べたっけね。恵比寿の「タイユヴァン・ロビュション」でも同じものを食べられる。量が足りなくておかわりをリクエストしたっけね(笑)。白状すると、「ジョエル・ロビュション」と「タイユヴァン・ロビュション」で食べたピュレの味は忘れた。感動しか残っていない。今ここで食べているピュレが、あの2件と同じルセットで作っているのかどうか、私には判断できない。まあいいよ、別に。これはこれで素晴らしくおいしいものね。とろとろのクリームを嬉々として口に運んではうっとり。ああ、私は本当にジャガイモ好きだねえ。
デセールは、「天使の髪の毛のミルフォイユ」。かわいいでしょう、ネーミング。実物はもっとかわいい。そうめんを固めて焼いた?みたいなサクサク生地に、コクのある素晴らしい風味のクリームと大好きなフレーズ・デ・ボワ(森イチゴ)を重ねたもの。ごく軽い口当たりの生地、風味豊かなクリーム、トロンとした甘さのフレーズ・デ・ボワがとてもいいハーモニーを奏でている。こういうの、好き♪
おしゃべりに花を咲かせ、気づくと昼間の最後のお客様。なかなかよかったね、今日は。前回より、料理も雰囲気もこなれてる。やっぱり、オープン直後のレストランって厳しいよね。翌週、取材で訪ねた時にルセールさんに話を聞くと、オープン直後は大変だったらしい。長い営業時間やサーヴィスの新スタイルは、なじむまでに時間が必要だろうし、怒涛のごとく押し寄せたゲストを迎えるのは、本当に大変だっただろう。「ようやく落ち着いてきて、いいペースで仕事ができるようになってきました」とルセールさん。なによりです。これからも、いいペースで素敵な仕事をしてくださいね。敬愛するジョエル・ロビュションの名前を冠したレストランで、これからも楽しくおいしい時間を過ごさせてください。
un.19 mai, jeu.31 juillet 2003