エルヴェの「ラングスティーヌのラヴィオリ」を食べた。4年と半年ぶりに。
「トロワグロ」の愛想のいい猫にお別れして、サン・テティエンヌ経由ヴィエンヌまで車を走らせたあとは、フランス人がもっとも愛するオートルートA7、別名太陽道路をひたすらに南下。200キロを越えた辺りで、周りの景色は懐かしいプロヴァンス色に変わり、さめたオレンジ色の屋根とミストラルで南に傾いた糸杉が太陽の靴へ辿り着いた私たちを向かえてくれる。プロヴァンスにようこそ!シャトーヌフのブドウ畑を眺めながら、最後の100キロを走りきる。オートルートを降りて、リュベロン地方に入り込み、途中、たわわに実るスリーズ(サクランボ)をこっそり収獲しては味見しながら、今夜の宿へ辿り着く。
ルールマランの近くの小さな村のそのまた外れ、笑っちゃうくらいに細い私道を昇ったつきあたりにあるシャンブル・ドット、「ル・シャトー・デ・ソース」。いわゆるフランスのB&Bにあたるシャンブル・ドットだが、そのほとんどが地方の田舎にあり、その土地土地の魅力をたっぷりと入れ込んだ、部屋の内装や食事で歓迎してもらえる。観光名所リュベロンには、可愛らしいシャンブル・ドットが多々あるが、どれもこれも人気が高く、今回も5件振られたあとで、ようやく予約が取れた。雨のしずくがまだ残る緑の匂いをかぎながら、小さな、でもセンスよくまとめられたお部屋で荷物をあけてから、お庭のテーブルでほっと一息。無事、300キロを走りぬいたおゆわいに、ビールでチン!
さすがに300キロも南下すると景色も気候も全く変わる。リヨンとロアンヌでは必要のなかった日焼け止めとサングラス、それに帽子がここでは大活躍。既に焼けはじめてひりひりする顔を冷たい水で洗って、さてじゃあ、夕食に出かける?シャンブル・ドットの夕食も気になるけれど、せっかくここまで来たのだから、エルヴェに会わない手はない。今夜の食事は、エルヴェのレストラン、「ローベルジュ・デュ・シュヴァル・ブラン」で。
「早目においでよ!そしたらおしゃべりできるし」というエルヴェのリクエストに答えて、外はまるでこれから一日のはじまり、とばかりに眩しい太陽が照りつける8時前に到着。しんと静まり返ったレストランに入る間もなく、エルヴェとサブリナの賑やかな歓待に包まれる。
「久しぶり!」
「元気にしてた?」
「やっとまた会えたわねえ」
「元気そう!」
「こちらはね、MちゃんとTくん。Mちゃんとは「イヴァン」にもよく一緒に行ったのよ」
「やあ!」
「旅はどうだった?」ひとしきり賑やかな挨拶をこなして、去年と同じ、一番奥の丸いテーブルに着席。運ばれてきたシャンパーニュで喉を潤しアミューズつまみながら、セルヴィエットや内装の可愛らしさやエルヴェの経歴にについて、さっそくMちゃんとTくんと話が弾む。
95年10月。初めてエルヴェの料理に出会ったのは、パリのレストラン「イヴァン」でだった。『フランスに来てはじめて、限りなく100点に近いレストランに巡り合った』と、当時思ったのを覚えている。あの夜、Oさんと一緒に訪れた「イヴァン」で食べたのは、「イワシのカリカリ」と「ウズラのロティ」だったかな。デセールは覚えていない。巡り合った感動に、その数日後にまた、その1週間後にはまたもまた「イヴァン」の18番テーブルに座ったっけ。
エルヴェという料理人が、私たちをうっとりさせる料理を作っている、ときいてからエルヴェに会うまで、数ヶ月あった気がする。その間、私たちはせっせと18番テーブルの椅子を暖めながら、なれなれしいんだか面白いんだかイジワルなんだかよく分からなけど、とにかく最高楽しいセルヴールたちに囲まれ、「フォアグラのポワレ」や「子牛の腎臓」、「仔羊の脳みそ」や「ウォーターゾワ」などを平らげてきた。私のレストラン体験のはじまりの、レストランへの情熱のきっかけとなった、シャン・ゼリゼにあるこの妖しいレストランで、私たちがそろって溺愛したのが「ラングスティーヌのラヴィオリ」だった。一体何度、このラヴィオリを食べただろう?日本に帰る前日、最後になった「イヴァン」でのエルヴェの料理も、ラヴィオリを食べたよね。
その後、私が再びパリに戻った時には、エルヴェは「イヴァン」を辞めていて、それから去年の夏、エルヴェ自身のレストランがアヴィニオンの近郊に出来るまで、エルヴェの料理を一度も口に出来なかった。(嘘だ!その年明けに、生まれたてのアナイスを見に行った時にエルヴェがつくったキジのテリーヌをもらってる。)去年の夏にここを訪れた時は、シュープリーズ!で、エルヴェたちのびっくりした顔を楽しませてもらい、トマトのタルトや兎のロティを食べて、可愛い子供たちと遊んできた。
10ヶ月ぶりの再会に、もともとおしゃべりなエルヴェとサブリナの口から飛び出す言葉はまるで機関銃のようで、カルトを開いてはみたものの、料理なんてちっとも決められやしない。ようやく二人が「じゃ、ゆっくり選んでよ」と、私たちを解放してくれた時には、ここに入ってたっぷり30分は越えていた。
プラの料理だけ決めて、お酒も選んで、アミューズが運ばれてくる。
「ランティーユ(レンズマメ)にソモン・フュメよ、ボナペティ!」、美人さんのサブリナにメルシーして、さっそくアミューズにアタック。嬉しいな、エルヴェのご飯にまた会えて。
しっとりと火と味が染み込んだランティーユ、たった二口の量なのに、そのおいしさがひしひしとわかる。
「う〜ん!」
「うまい」
「おいしいわ」エルヴェらしい料理。優しくて可愛らしい。上にのったソモン・フュメはなくてもいいと思うけれど、このランティーユはいい。これをたっぷり使った煮込み料理を冬に食べてみたいな。近くの村で取れた赤に近いピンク色したお酒を、帰りの車があるので気をつけながら楽しんで、アントレの到着を待つ。
「エ、ヴォアーラ!(ほーら!)」
「ユキノが来るから、特別仕込んでおいたんだ」と、到着と同時にウィンクしながらエルヴェが耳打ちしてくれた、「ラングゥティーヌのラヴィオリ」が、目の前に置かれる。ああ、この匂い、この色、この形だった、、、。「イヴァン」で何度となく食べたラヴィオリの思い出が、頭の中を駆け巡る。日によって、少しずつ入っているものや形態が変わっていた「イヴァン」のラヴィオリ。注文するたびに、ちょっとどきどきしながらその到着を待ったものだった。目の前に置かれたラヴィオリは、でーんと迫力たっぷりに、甲殻類の濃いソースの匂いが、久しぶりにその匂いに触れた鼻を刺激している。おーいしそう!いただきまーす!
クルヴェット(小エビ)を包んだ四画のラヴィオリに、オレンジ色のソースとポワレしたラングスティーヌ。しょせんはワンタンの皮なのだけれどトロリと柔らかいラヴィオリの皮、軽くポワレされたラングスティーヌの甘み、そして絶対に忘れないあのソースの味。ラヴィオリの中に入ったクルヴェットはなくてもいいけれど、それさえ気にしなければ、やっぱりこのラヴィオリに、私はくびったけ。恍惚状態で、愛する料理を口に運び、エルヴェが自分の店を持ってくれたことに感謝する。
ほんとはパリにあればもっと来やすいのだけれど、まあ、プロヴァンスだしね。大好きな地方だから、それなりに来る機会もあるし。バスクの方とかブルターニュの方とか、行きにくいところでなくてほんとよかったよ。Mちゃんたちにもラヴィオリを気に入ってもらえ、ご満悦。また近いうちに、このラヴィオリを食べられますように。
プラは、「ロットとラングゥティーヌのリゾット」。またラングゥティーヌかい!?って感じだけど、好きだからいいのだ。リゾットも好きだし、なによりも、私はエルヴェの作るロット料理に絶大の信頼を置いている。火を通しすぎるとゴムみたいになってしまうロット(アンコウ)。レストランで頼むことはまずないのだけれど、そう言えばこの間「ル・サンク」で、素敵においしいロットを食べたっけ。あれもでも、実を言うとガルニのフェーヴ(ソラマメ)に惹かれて頼んだのだけれど、美味しかったね。エルヴェの作るロット料理の傑作は、「イヴァン」時代にアントレで時々出していた「ロットのカルパッチョ、ネセロリを添えて」。トロリと甘い魚の生のおいしさに感動したっけ。
今夜のロットはもちろん火が通ったポワレだけれど、軽い弾力がつく程度の浅い火入れ。お上手です。チーズが強すぎない、いかにも私好みのリゾットに、こちらも甘みを添える、ラングスティーヌが隠れている。構成といい味といい、まさに私が愛した「イヴァン」の料理。これでお皿とナプを代えて妖しい雰囲気に照明を落とせば、ここは「イヴァン」の4番テーブル、といわれても信じてしまいそうだ。
あー、やっぱり私はエルヴェの料理と相性がいいんだなー、と、たっぷりの料理をペロリと平らげ、幸せに浸る。料理と相性がいいと、量がかなり多くても最後まで胃に負担がなく食べられる、ということを発見したのも「イヴァン」でだった。ただでさえたっぷりした量のところに、さらに間にサーヴィスでもう一品入ってきても、フロマージュ、そしてデセールには必ずグラスを余分にたくさんつけてもらって食べきっていた私たち。あんな量、普通じゃ絶対に食べきれないのに、エルヴェの料理だと、なぜかするんと楽に食べられたっけ。あのレストランでは、私たち間違いなく大食漢だったよね、Oさん。
デセールは、「リンゴのクランブル」。ざっくりと粉っぽい、リンゴよりも粉が多いクランブル。ああ、どうしてこんなところまでも、私好みになっているんだろう!?生姜のコンフィと可愛くスライスされたイチゴ、それになんだったか名前の忘れた緑鮮やかなハーブのあしらいに、エルヴェのチャーミングな部分を感じる。キャラメルのソースが横に添えられ、熱々のクランブルを嬉しくほおばる。
お茶飲んで、プティフールつまみ、至福のひととき。こんなんで大丈夫なのかしら?とちょっと不安になるくらいに少ないお客様が引き上げた後、果てることのないお喋りが続く。子供たち(寝てしまっていて残念。ヤッシンは更に細く、アナイスは更に太くなっているらしい)のこと、来年の夏には完成するという裏のテラスのこと、パリのこと、土地のこと、エトセトラ、エトセトラ、、、。
「でもね、ほんとみんなよくしゃべるのよ!」と、なにかの話の折りにサブリナが吐き出した言葉に、私たち3人は思わず目を見合わせて苦笑。
「え?なに?どうしたの?」、不思議がるサブリナとエルヴェに、
「だって、、、。よくしゃべるのよ、って、あなたたち二人だってすごいよくしゃべるよ」
「え、そう?アハハ、そうかもね。確かに」ひとしきり大笑い。ネットサイト用に撮ったという料理の写真を見せてくれる。
「デコラシオン、というか演出、とてもすてきね」と私たち。
「そお?俺がアレンジしたんだ」とエルヴェ。またしても、思わず目を見合わせてしまう。今度はびっくりして。ほんと、素敵なアレンジなんだ、その写真の料理たち。ナップやワインボトルをうまく使って。エルヴェって、こういうセンス、抜群なんだよね、としみじみ。レストランの内装や、カーテンの色使い、棚に並べたスパイスの可愛らしさや、所々に置かれたアンティークや黒鉄をつかったオブジェ。これはエルヴェのおじいちゃまから伝わっているものらしい。
「あげる、この写真。お土産に持ってってよ」
「ほんとー?嬉しいな、とっても素敵。いいカードル探して部屋に飾るわ」
別れがイヤで、いつまでもお喋りを続けるけれど、そろそろホテルに戻らなくちゃね。また近いうちの再会を約束して、街灯の存在など知らないかのような、真っ暗な県道に車を滑らせる。
よく食べよくしゃべり(よくは飲まなかった)、満ち足りた夕食。エルヴェのレストランがこれからもどんどん繁盛しますように、と祈りながら、10キロ先の村まで車を走らせ、予闇に紛れ、スリーズ泥棒を働き、ひんやりとした石の階段をのぼって、青いインテリアでまとめられた可愛い部屋へと戻ったのでした。
もうすぐお誕生日を迎えるエルヴェとOさん、ジョワイユー・ザニヴェルセール!
dim.10 juin 2001