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グルマン・ピュスのレストラン紀行


レ・ブキニスト(Les Bookinistes)

サンジェルマン・デ・プレ地区のセーヌ河岸側には、秘めやかな上品さと落ち着きを兼ね備えた小さなホテルか何件かある。いわゆる“プチ・ホテル”というには少し気品のありすぎるくらいの、スマートでスタイリッシュな隠れ家たち。L'Hotelという、そのものずばりの名前を冠した建物は、作家やアーティストが好んで集ってきた、そんなホテルの典型だ。ボザール(国立美術学校)を横目に、オスカー・ワイルドがそこに没した歴史と品格あるホテルは、昨年、大々的な改装を行い、巨匠ジャック・ガルシアの世界にその身をゆだねた。

salleガルシアの処女作ホテル「オテル・コスト」の耽美と頽廃にむせかえるような濃厚なイメージよりも、左岸の知的さと上品さを反映してか、ワントーン透明感をくわえた部屋やロビーの雰囲気。ロビーの奥につづく3部屋からなるバー・レストランも、彼がてがけてきた右岸のホットなスペースとは一線を画した穏やかな静けさに満ち、初めての左岸作品となった「カフェ・ドゥ・レスプラナード」の明るい喧燥とも離れたところで息づいている。

スノッブでクールなデ・プレの雰囲気。そう言ってしまえば簡単なのだけれど、これじゃあ説明にならないよね。上品で、ちょっとスノッブ。俗世とは縁遠い芸術至上主義な美しさ。champagne精神と芸術の高みを愛した、この地区に足跡を印したアーティストたちの魂が、ジャック・ガルシアの作品を浄化した。そんな感じが漂う、なんとも居心地のいい空間。こんなんで儲けになるの?ジョルジュ・サンクやプラザ・アテネで供されるスタンダード・シャンパーニュの半額で、リュイナールのロゼを飲ませてくれる。丁寧に作られたプティ・フールを添えて。中庭を臨む奥のスペースで小さなテーブルを挟んで一つ目の、手前のアルコーヴになっている大きなソファに場所を移して二つ目のフルートを空ける。

心地よい空間と愛するお酒、楽しいお喋りにうつつを抜かして、ふと時計を見て飛び上がる。
「モン・デュー(神様)!セ・パ・ヴレ(嘘でしょ)?」8時半?嘘だあ、だって、さっき場所を移した時はやっと7時なるかどうかだったじゃない。まいったなあ。そろそろ小一時間?と感じた時間は、たっぷり一時間半だった。

慌てて電話。
「レ・ブキニスト、ボンソワー!」歯切れのいいメゾ・ソプラノ。
「ボンソワ。えっと、エリックいます?」
「まだ来てないわ。私よ、キャロル。サ・ヴァ?」
「あ、キャロル?サ・ヴァ?あのね、8時に予約入ってると思うんだけど遅れてるの、とっても。ごめんね」
「だいじょうぶ。何時でもいいわよ、テーブルは空けとくから。心配しないで、ゆっくり来てよ」
「メルシ、キャロル。じゃ、9時には着くようにする。ア・プリュス(後でね)!」

いけない、いけない。トロンと滑らかで心地よい、ガルシアの夢の世界を漂ってしまった。話題もいけなかったね。一生のうちに一度でいいから滞在してみたい、コンノートの話が出て、思わず夢中になっちゃったんだ。たわいもないおしゃべりしながら残ったシャンパーニュをゆっくり飲み終え、名残惜しいけれどロテルのバーを後にして、冷たい雨が細かく石畳にはねる中、てくてく歩いて河岸に出る。

「いらっしゃい!ひゃ、冷たいねえ。外、そんなに寒いの?」ビズーしながらたれ目のセルヴール(ステファン、だったっけ?)が外を仰ぐ。
「ほら、傘なんて僕がたたむから、さ、オーヴァー取るよ。こっちこっち」
「こんばんわー。すみませーん、遅くなりました、、、」回転の早いレストランには、9時を周ったところですでに、ウェイティング客の姿がバーに立つ。バーの横の小さなテーブルに腰を落ち着け、ほっと一息。駆けつけの一杯、という訳ではないのだけれど、気がつくと目の前に置かれているシャンパーニュのフルート掲げて、チン(乾杯)!遅ればせながら、お誕生日おめでとう。

いつもの笑顔を満面にたたえてやってくるエリックのちくちくするほっぺと、いつもながらにカッコイイキャロル、のまさに絹のごとくなめらかで柔らかなほっぺとチュッチュ交わして、ガルシアの匂いを脱ぎ捨てて、本格的に「レ・ブキニスト」の空気に溶け込む。

黒オリーヴつつきシャンパーニュ飲みながら、相変わらず悩ましいカルトとじっくり向き合う。いつだって私を誘惑しようとやっきになっているカルトの魅力に負けないよう、冷静に落ち着いて、一つ一つの料理を吟味。苦しみの果てにやっとカルトをテーブルに置いた時、友達が呟いた。
「そういえばここ、”本日のお勧め”のカルトがテーブルに乗ってなかった?」

そうだった、、、。せっかく料理決めたのに、まだ不完全だった。やっぱり、今日のお勧めも考慮に入れなくてはね。一つため息ついて、バーの中でなにやら忙しそうなエリックに目を向ける。視線が合ったところで、顔の前に指を曲げて4角形を作る。ちらりとテーブルを一瞥して、頷くエリック。数秒後には、スマートな写真立てに挟まれた小さなカルトがテーブルに乗る。エリックは、ほんとによく出来たサーヴィスマンだ。改めて料理と向かい合い、今度こそほんとに料理決定。アペリティフの飲みすぎで、お腹がガバガバしてきちゃった。早くご飯を食べたいな。

と思ってるなら、もっと固形物系にすればよかったじゃ〜ん!と、思わず自嘲ぎみに笑ってしまったのは、アントレの「手羽とソリレスのフリカッセ(クリームで軽く煮込んだ料理)」が運ばれてきた時。フリカッセにしてはかなり軽めのソースに肉が沈んでいるあたり、ヴルーテ(ポタージュ系のスープ)って言ったほうがイメージに近い料理かも。もう少し、液体が少な目だと思ってたよ。

シェフ・ウイリアムはこの手の料理がお上手だ。軽やかなテクスチャーでしっかりした味のソース(というかヴルーテ?)に、火を通した手羽とソリレス。《ばか者は残してしまう》という意味のソリレスは、一羽の鶏から2つぶしか取れない、気がつかずに骨と一緒に捨ててしまいそうな場所にある貴重な部位。食感は他の部分の肉とあまり変わらない(ような気がする)ので、これかな?形的にはこれだね?なんて確かめながら、美味しく鶏をいただく。

横や後ろのテーブルのアメリカ人たちが回転早く席を立ったり席に着いたりするのを眺めながら、ちらりと、テーブルにぼんやり灯りを投げかけるろうそくに目をやる。イヤだな、この色。青か水色がいい。独りで食事をしていた横のテーブルのおばさまが席を立った後、テーブルセッティングをしに来るエリックに、おねが〜い!の目をむける。
「ウィ、モナムール?」さすがにこれは分からないよね、ちゃんと言わなくちゃ。
「赤、好きじゃないの。そっちの青いのがいいなぁ」すばやくエリックの両手が動き、テーブルに輝いていた赤は深い青色にとってかわる。エヘ、嬉しい。青、好き。

ギー・サヴォア印のグラーヴをすすっているところへ、epaule「エポール・ダニョー(仔羊の肩肉)のロティ」が運ばれてくる。薄ピンク色した肉に甘いソースの香りと南への郷愁誘うサリエットのツンと爽やかな香りが立ち上っている。仔羊にサリエット、、、。ジャッキーも確か、こんな料理作ってたよね。アントワネットちゃん、ご機嫌いかがかしら?会いたいなあ。(やめとけって?また引っかかれるだけ?)柔らかく香りいい仔羊ちゃん、食べるの久しぶりね。重すぎない好みの甘さのソースを絡め、ケイパーとサリエットの香りをアクセントに、ニンニクの風味を楽しみながらベベ羊をパクパクパクパク。

お腹いっぱいになったところで、デセールのお時間。さっきカルトを広げた時に、もう絶対これ!って決めてたんだ。なーんと、1月に出会った、あの小さなクレーム・ブリュレがまだカルトに載ってたのだ!
「私これ」
「だと思った」エリックの目元に、大好きなしわが寄る。
「嬉しいなあ。もう絶対に食べられないと思ってたわ」
「この間カルト変えたとき、これだけ残したんだよ」
「そーなんだ?うれしー、また巡り合えて」

dessertこの間来た時に、いかにこのデセールが私の気に入ったか、友達にとくとくと説明しているところへ、小さなろうそくをつけたデセールのお皿が二つ運ばれてくる。
「ヴォアーラ!ボナニヴェルセール!」
「メルシー・ボクー」それぞれお願いごとしてろうそくを吹き消す。改めて、お誕生日おめでとう!

この間とちょっとだけ変わったね。周りに敷かれたパッションのソースはツブツブ入りじゃなかった。アイスクリームも、前はフロマージュ・ブランだったよね。ミニバナナ、マンダリン、パッションフルーツ(マングスチン、て前回書いたね、確か?間違い。パッションフルーツでした)。それぞれの皮を器とした、それぞれの風味がするクレーム・ブリュレたち。ミニュスキュルなデセールをあっという間に平らげて、ふうぅ、おなかいーっぱい。ごちそうさまでした。

Equipeお茶飲んで、ほっとしているところに、残ったお客様も少なくなってようやく一段落したエリックが遊びに来てくれる。この日最後のシャンパーニュが運ばれ(飲みすぎだってば、、、)、椅子引きずってきて腰を落ち着けたエリックを囲んでゆっくりおしゃべり。お酒あんまり飲まないエリックは、カフェ飲みながら、煙草くゆらせる。かーっくいいなぁ、煙草を口にする姿も。さっすがエリックさん!なにしてもサマになりますねえ。出会った頃の話で盛り上がる。そうそう、そうだったよねぇ、懐かしいなあ。もう5年以上も前の話だ。レストランで働く前は、ディスコテックでDJしてたんだっけ。忘れてたよ、そんな話もしたね、そう言えば昔に。久しぶりにエリック一人占めして(あ、二人占めか)、楽しい夜更けを過ごす。

シェフ・ウィリアムも帰途につき、誰もいなくなったレストランで、大撮影大会。キャロル、ポンポン、ステファン(かなあ?)、どうしても名前を覚えられないセルヴーズちゃんらと、あっちでこっちでシャッターを切る。このレストラン、本当に内装すてきだよね。お金かかってはいなさそうなのだけれど、センスがとてもいい。このレストランの経営を任せられているシェフ・ウィリアムによるところが多い、と知ったのは、この間読んだ専門誌の記事で。今度ゆっくり、お話してみたいな、しっかりしたあごを持つサンパなシェフと。

可愛いジェレミー(エリックの子供よ)と約束した、ピカチュウとミューツーの絵柄の時計をエリックに託し、さようならとありがとうの時間。居心地いい「レ・ブキニスト」の空間から自分を引き離すのに、いっつも苦労する。チクチク、ツルツル、その他もろもろのほっぺとビズー交わして、雨の上がった河岸でタクシーを捕まえる。今夜もまた、遅くまで楽しいひとときをありがとうね、エリックさんと「レ・ブキニスト」の仲間たち!


mar.20 mars 2001



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