ブルターニュ旅行最終日は、10年近く前から一度食べてみたかったオリヴィエ・ロランジェの料理に酔いしれる。
モン・サンミシェルから西にしばらく行ったところにある漁港カンカルは、古くから東インド会社で栄えた街。冒険魂に満ちた土地で生を受けたオリヴィエさんは、自らの料理を“海賊料理”と表現している。この街のブルジョワ家庭に生まれたオリヴィエさんが料理の世界に入ったのは20歳を超えてから、と、かなり遅め。他の料理人たちのもとで修行をしたわけでなく、オリジナリティーをたっぷりもったすばらしい料理を作っている。
フランスにはたくさんの才能ある料理人がいるけれど、しょせん料理は個人的な嗜好物。どんなにすばらしい料理人の作品でも、相性が合わなければイマヒトツと感じてしまうもの。すばらしい!という評価もあれば、たいしたことない、、、という感想があるのが当然だ。なのに。オリヴィエさんの料理を絶賛しなかった人を、私はいまだかつて知らない。職業柄、また趣味的にも、かなり多くのオリヴィエ・ロランジェ経験者と話をしているけれど、誰一人、“彼の料理はいまひとつだった”と言った人がいないのだ。皆こぞって、“すばらしい!”と絶賛した。一体どんな料理なんだろう?それより、そんな料理をつくるオリヴィエさんて、一体どんな人なんだろう?仕事にかこつけてインタヴューの約束もとりつけ、いよいよ、長年恋焦がれたカンカルに赴く。
オリヴィエさんの生家をそのまま使ったガストロミーレストランのほか、カンカルの街に、プチホテル、シャトーホテルとビストロ、パティスリー、エピスリーと、オリヴィエさんが所有する建物が散らばっていて、これらを総称して「レ・メゾン・ドゥ・ブリクール」と呼ぶ。モン・サンミシェルを遠くに望むシャトーホテル「リシュー」に泊まりたかったのだけれど、残念ながら部屋が空いていなくて、プチホテル「レ・リマン」にお泊り。カンカル滞在の一つ目の喜びが、この「レ・リマン」になる。
漁師の家だったのを4部屋だけのこぢんまりとしたホテルに改装。ホテル、といっても、レセプションもなければ従業員が常駐しているわけでもない、本当に“家”。シンプル、でもなんともいえない魅力に溢れた部屋の内装もよければ、大きな窓越しに眼下に広がるカンカルの海もすばらしいし、緑に囲まれて品よく佇む外観も好ましい。時々あるんだ、全てが、本当に全てがしっくりと自分に合うホテルが。「レ・リマン」は、まさに私好みのホテル。巡り合いだ!
翌日、「レ・リシュー」の見学もさせてもらったのだけれど、広大な庭に様々な動物が飼われ、シャトーホテルらしい風格と機能性も持ち合わせたこちらのホテルの方が、一緒に行った2人は気に入っていた。これも好みの問題だね。私は、出来るだけホテルらしくないホテルが好きだから、、、。オリヴィエさんとお話をしたとき、「レ・リマン」に惚れちゃったわ、と言うと、ウインクしながら答えてくれた。「僕もだよ。シャトーの方が受けるんだけれど、リマンは本当に僕のちっちゃな宝物なんだ。」
思いがけず巡り会った理想のホテルにすっかりゴキゲン。ウキウキ気分でお風呂タイムを楽しんでから、迎えに来てくれた車に乗って、レストランに行く。
品のよい重厚な館の、東屋風のサロンがレストランになっていて、眼前には池をしつらえた庭。小さな鴨たちがなんとものどかに、プカプカしたり、陸に上がってじっとお日様に当たったりしている。ぼんやりしてると、捕まえて食べちゃうよー。20時を回ってなお、まるで真昼のような明るさの中で、すばらしい夕食が始まる。
シノワズリーっぽい飾り皿が下げられ、黒石板に乗ったバター(もちろん有塩。作ったのは、今やバター職人の重鎮になっているボーチエさん。)と自家製のパンが運ばれる。土地の名物そば粉のパンやライ麦パンが絶品。明日、パティスリーによってパンも買って帰ろうね。シャンパーニュのお供は、海岸で拾ってきたに違いないすべすべした石に乗ったイカやスズキの串刺したち。本当になんてことのないものなのだけれど、舌の奥深くまでじわじわと喜びがしみこんでいくようなおいしさだ。控えめで楚々としているのに、凛としたおいしさが伝わる。ちょっと、オリヴィエさんを理解できた気がする。
アミューズは、ちっちゃな貝殻に盛り付けられた小エビや生のペトンクル(ちっちゃな帆立貝みたいなの)。それぞれ、なんともはかなく爽やかな香りを加えられていて、感動的な味に仕上がっている。このアミューズ、確かこの店の定番。いつも変わらず、このスタイルで供している、オリヴィエさんのシグニチャーのはず。追うとするりと逃げていくような、魅惑的な味を口の中に残したまま、ジンワリと幸せに浸る。オリヴィエさんは魔術師かもしれない、、、。
うっとりとカルトを眺め、散々悩んで選び出したアントレは、白状するとちょっと間違いだった(笑)。カニ料理で、すばらしくおいしいのだけれど、オリヴィエさんの技術や感性を堪能することはできない一皿。美しいしおいしいのだけれど、感動がちょっと足りない。他の人たちが取ったオリヴィエさんのスペシャリテ3つを盛り合わせにしたアントレが、感動的なまでにおいしいだけに、分が悪い、、。
で、その感動的なアントレは、生のペトンクルで、マグロの半生、それに生のスズキ。こう書いていると、ふ〜ん、としか思えないだろうけれど、ひとたび口に入れると、強烈な感動が味わえる皿なのだ。ペトンクルの神々しいまでに新鮮な香りと触感、信じられないくらいに完璧な火通しをされたマグロ、そして切り方でこんなにも味が変わるのかと驚いてしまうスズキ。どれにも、美しい、本当に“美しい”としか表現できない香りが、完璧な配合でまとわり付いていて、スパイスの魔術師と呼ばれるオリヴィエさんの真髄を感じ取れる。大学で化学を専攻していたオリヴィエさん。科学者ならではの感性を持ってはじめて表現できる風味の組み合わせなんだろうね。すごい、本当に。こんな味とテクスチャーとおいしさを持つ料理、今までに食べたことがない。技術と感性が見事に融合するって、こういうことなんだね。思わず敬虔な気持ちにすらなってしまう。
魚がとびきりおいしい場所でなんでまた、と笑われそうだけれど、プラはリ・ドゥ・ヴォー(仔牛の胸腺)にレモングラスで香りをつけたもの。笑われてもなんでもいいよ。だって、こんなにおいしい胸腺、生まれてこのかた食べたことないもん!ものっすごく新鮮な胸腺を、丁寧にシンプルに料理した結果が、この一皿。さっぱりとした肉汁といいレモングラスがほんのり香る爽やかな風味といい、繊細な胸腺の食感といい、恍惚とする。天国だ、、、。
味見させてもらった、オヒョウもヒラメもすごい!特にヒラメは涙が出るくらいおいしい。なに、この魚の味?なに、このソースの味?「どうせ全部食べられないから、たくさん味見させてあげるわよ」と言ってたのに、一口しか味見させてもらえなかったのが、さみし〜。一生忘れたくないタイプの、衝撃的なおいしさだ。
感動の一言につきる料理に比べると、おやつはまあまあかな。ショコラ尽くしの一皿にあったアツアツスフレが、何てことない見た目だけれど、見事に美味。エキゾチックフルーツを巻き込んだクレープは味はまあまあだけれどプレゼンがとってもかわいい。お箸で食べるようになっていて、箸置きが、スパイスをぎっしり詰め込んだ飴になっている。もちろん飴もガジガジなめる私。途中で力尽きてやめちゃったけどね。
ザクザク氷の入ったショットグラスに冷たいハーブティーを注いだのをゴクリとやって、キャラメルやショコラのプチフールをつまみ、あったかなお茶を飲んで、ドラマティックにおいしかった夕食の余韻に浸る。
翌日会ったオリヴィエさんは、彼の作る料理とおんなじだった。凛としていて穏やかで奥深く、優しくて誠実。惚れる、彼にも彼の料理にも。近い再訪を誓って、後ろ髪を引かれる思いで、パリ行きのTGVに乗る。
jeu. 1er juillet 2004