冷たい雨の降るコンコルド広場で21世紀の幕開けをおゆわいし、「バー・ヘミングウェイ」とファブリスの新しいレストランで遊んで朝を迎える頃には、すっかり風邪ひきさん。よせばいいのに、新年早々吹雪のシャモニーでスキーに興じ、あっというまに高熱を出してベッドの中でう〜んう〜ん。ピカチュウマフラーをなくして、首もと寒いままで滑ったのがいけないんだぁ、と、泣きべそかきながら、楽しみにしていたシャモニーの☆☆レストランにアニュレの電話。ボタンを押す指が震えるほど、ふらふら。生まれて初めての、熱で動けなる、という自体にボーゼン。屈辱的だ、、、。予約の取り消しなんてしたの、初めて。もうろうろしながらベッドで過ごしたシャモニー滞在。
パリに戻ってからも、すぴちゃんと私の体調の回復は遅々とし、もう一件、レストランのテーブルをアニュレ。病人2人と同じベッドで寝ているA子はなぜだか元気いっぱい。1人寂しく、私たちのご飯を作ったり猫と遊んだり。
そんなこんなで、散々な幕あけとなった21世紀。今年一年が、思いやられるわ、、、。信じられないくらいたくさんの薬を体に詰め込んだ結果、どうにかこうにか最後の夜のレストランだけはアニュレせずにすむ。すぴちゃんのお誕生会に予約したのは「ル・ブリストル」のテーブル。
ふらつく体をだましだまし、化粧して着替えて、タクシーに乗り込む。とてもメトロで辿り着く元気はない。タクシーのなかではふにゃふにゃだったけれど、ホテルの車係がタクシーのドアを開けたとたんに、ビシッと笑顔を決めて、元気復活。しょせん、レストランは私のビタミン剤らしい。
回転ドアをくぐり、こじんまりとしたロビーの正面が、「ル・ブリストル」の冬用サロンの入り口。
「ボンソワール、メダム」
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
「メダム」目の前に笑顔を並べる3人の黒服達。
「ボンソワー、メシュー、、、」とあいまいな微笑みを浮かべながら、一番右の黒服に目を留め、視線を横のすぴちゃんに移す。目だけで頷くすぴちゃん。大丈夫、彼でいいらしい。笑顔からあいまいを追い出してにっこり親愛の情を取り入れる。
「ボンソワー、ムシュ・リシャルト!お元気でした?また会えて嬉しいわ」
パスカル・リシャルト氏。モントゥリエ氏の下につく、このレストランのプルミエ・メートル・ドテル。去年5月にすぴちゃんとりかりんとここに来た時に仲良くなったはいいけれど、どうしても彼の顔を覚えられず、7月に食事に来た時には、30分以上おしゃべりしたあげくに、名前を聞いてやっと顔を思い出した始末。リシャルト氏は、私が座った席まで覚えていてくれたというのに。この時には1時間あまりも、リシャルト氏のそれはそれは立派な人生哲学を拝聴したにも関わらず、やっぱりどうしても顔が上手く覚えられなかった。
7月の失敗談をすぴちゃんに告げると、呆れて首を振られた。
「信じられない、ほんとに。チョコレートまでもらってあんなに優しくしてくれた人を、、、。大丈夫、私ちゃんと覚えているから、教えてあげるよ」
「よろしく頼むよ、すぴちゃん。最初の挨拶の時が肝心だから、ちゃんとフォローしてね」
「ダコー」
こんな会話しながら向かった「ル・ブリストル」。自信もって目で頷くすぴちゃんに感謝。そうそう、そういえばこんな顔だったよ、と納得しながら、リシャルト氏とご挨拶を交わす。すぴちゃんとあやこを紹介しているところに、背の高い金髪の青年がやってくる。
「ククー!サヴァ?」
「クリストフ!久しぶり。サヴァ?似合ってるよ、ブリストルの制服」
「ル・レジャンス」で、パトリスやディディエと一緒に働いていたクリストフ。「アラン・デュカス」になってからしばらくそこにいたけれど、デュカス帝国の空気が肌に合わなかったか、他の行き先を探していた。パトリスの口利きでここに来たのは、12月からだっけ?
「どお?楽しい、ブリストル?」
「うん。うまくやってるよ。みんないいやつらだし」
「嬉しいな。私の好きなレストランにいてくれて。今日はね、うちの妹の誕生日パーティーなの」と、すぴちゃんたちを紹介しようと横を向くと、なんだかポーッとなってるすぴちゃんとA子。
「なに?」といぶかしげな顔を向けると、
「かっこい〜!」と2人の声。
あん?かっこいい?クリストフが?それは初めて耳にする意見だ。すくなくともMきちゃんと私の間では、クリストフに「可笑しい」「ひょーきん」「おちゃめ」という形容詞を献上しても、「かっこいい」という言葉を差し出したことはなかったよ。そっか、かっこいいのか?それは知らなかった。よし、今夜しっかり確かめてみよう。
リシャルト氏とクリストフのエスコートで、テーブルに着く。重厚な絨毯とタピストリーに包まれた楕円形の、落ち着いた雰囲気漂う美しいサルは、光が少ないところが気に入っている。柔らかなろうそくの炎に揺られ、シャンパーニュが運ばれる。
「君たちの新年を祝ってごちそうするよ。お誕生日だしね」リシャルト氏が優しい笑顔を向けてくる。まじまじとその顔を見返す私。覚えなくっちゃ、、、。今夜こそは、彼の顔をしっかり覚えなくっちゃ。今夜は課題が2つもあって大変だ。
きちんとトレイでサーヴしてくれるさっくり焼きたてのプティ・カナッペをつまみ、ペースを上げないよう気をつけながらシャンパーニュをなめ、カルトに向き合う。
エリック・フレションが世に送り出す料理は、ダイナミックで雄々しく、迫力たっぷり。ともすれば、その力強さに負けそうになる時があるので、料理選びには注意が必要。力が入りすぎていない彼の料理は、適度に華やかで適度に素直で、私の好きなタイプになる。とは言っても、この時期は、アントレで悩む必要はない。今夜だって、来る前から、というか予約を入れた時点で、なにを食べるか決めていた。
「黒トリュフのサラダ、クルミオイルの風味」
初めてエリック・フレションの「ル・ブリストル」に来たのは、忘れもしない、去年の1月22日。この日初めて、彼のトリュフのサラダを口にした。生まれて初めて、トリュフを心から美味しいと思い、感動したのを覚えている。あまりの感動に、2週間後にもう一度、この幸せを味わいに来たっけ。再び同じ美味しさに触れて、嬉々とした。あの時思ったんだ。来年のトリュフの時期にもまた、ここに来なくては!と。
そんな訳で、アントレはもう、さっと流すだけ。トリュフのサラダと同じくらい気に入っている、「カヴィアのジャガイモゴーフル乗せ」にも心ときめくけれど、こちらは通年料理なので、また夏にでもね。
A子たちのアントレが決まったところで、プラの選択。なんてったって、病み上がり。あ、いや、A子はいいんだよ。A子は元気だし、元気なくてもとりあえずいくらでも食べられる人だし。でもね、すぴちゃんと私には、エリック・フレションのダイナミック料理には今夜はことさら気をつけなくてはいけない。デセール絶対に逃したくないし、料理を控えめにするにこしたことはないね。自他共に認めるグルマン3巨頭会議を重々しく開催し、出した解決策は、「ママンのミルクだけ飲んで育ったヴォー(仔牛)にパセリの香りをたっぷり効かせたロティ、ジャガイモのガレット添え(2人用)」を3人で分ける、という案。ヴォーならばあっさりしているし、ロティならば調理法にも問題ない。
「これ、3人で分けてたいの」とリシャルト氏にお願いすると、
「いいけど、かなり少な目になるよ。大丈夫?」とのお言葉をいただく。
「病み上がりで食欲あまりないから、ちょうどいいくらいよ、きっと。お願いします」
「ダコー。焼き具合は?」
「ロゼがいい」
ふう、とりあえずの作業は終わり。残ったカナッペ手にして、モエッテらしい華やかなシャンパーニュをコクン。カルトをたたんで渡そうとすると、
「ごめん。デセールも今決めてもらえる?」ああそうだ。ここはデセール前決めなんだっけ。改めてカルト広げてデセール解説。ジルさんの作るデセールは、素敵に美味で、美しくて繊細。だーい好き、彼の作品。あまり迷うことなく、「栗のヴルーテ、そば粉のゴーフル添え」を選び出してカルトを返す。
残り少なくなったシャンパーニュを心配したか、初めて会った時には客と間違えたあでやかソムリエールさんが厚いカルト・デュ・ヴァンを渡してくれる。ずっしり重いお酒のリストが、病み上がりの腕には辛いなあ。
「今夜はあんまり飲めないので、ドゥミ・ドゥミにしようかな?」
「ダコー。白はね、これが絶対いいわ」と、リースリングのグラン・クリュ、シュロスベルグの98年を勧めてくれる。
「OK。赤どうしよう。きちんとシックなワインがいいのだけれど、ドゥミだと難しいですよね」
「そおねえ、、、。グラスはどうかしら?今夜、カルボニューの93年を空けてあるのよ」
「あ、ペサック、好き。5月に確か、カルボニューの白を勧めてもらったと思う。美味しかった」
「じゃあそれでいきましょう。お水は?」
「いただきます」あらめずらし、と言わんばかりに眉をちょっと上げてソムリエールさん退場。
楽しみに向けての種まきは完了。後は、選んだ楽しみがどんなふうに花開くか待つばかり。
お気に入りのオリーヴ・フガスとごま付きグリッシーニをもてあそんでいるうちに、アミューズ到着。ここのアミューズはいつもスープ。来るたびに中身は違い、夏になると冷製になるけれど、基本的に始まりはいつもスープ。美味しいんだよね、これが。さて今夜はなにかしら?
すごく気に入っているスープ皿の陶器のふたが取り外されると、真っ白な皿の中に、ちょこんと白いムースがこんにちは。
「今夜のアミューズ、緑の葉っぱのヴルーテだよ。ボナペティ!」と、クリストフが美しい銀の器から緑の液体をムースの上に注いでくれる。緑の葉っぱ、って、そのまんまじゃない!見れば分かるよ、緑の野菜を使ったのは。なんの葉っぱを使ったのよぉ、、、。なんだか、相変わらずのクリストフに笑ってしまう。久しぶりだ、クリストフのサーヴィスを受けるのって。
塩がしっかり効いたスープは、すばらしいフォンが緑の葉っぱ(キャベツ?ブレット?)を抱き込んでいる。フロマージュ・ブランのムースが優しさを添え、ごく上品で嘘のない美味しさ。お気に入りのお皿とカトラリーの感触を久しぶりに楽しみながら、あっというまにアミューズが終わる。
アントレ用に選んだシュロスベルグのリースリングは極上。思わず、治りかけの風邪が完治したかと疑うくらいの強烈な印象を、テイスティングの時点からもたらしてくれる。花の香りと柑橘系の果物の香りの中に、軽いミネラル分が漂うのは、リースリングの一般的な特徴なのだけれど、それにプラス、ライチ系のトロリとした果物の甘み、爽やかだけにとどまらない腰の強いしなやかな後味が非常に上手くバランス取れた、とても素敵なワイン。これはこれは、、、と、アルザスワイン好きな私は思わず目を細める。
この迫力ならば、トリュフにも負けない。いいパートナーになるだろう。そのトリュフちゃん達が、真っ黒な顔して運ばれてくる。んっとに可愛くないんだから、外見は。でも味は可愛いんだよね。久しぶりのトリュフちゃんの香りに恍惚としながらしばし見惚れる。あ、周りにかかっているドレッシングが変わった。去年は確か、トリュフの香りが移ったクルミのオイルがサラダの周りを覆っていたはず。今年のサラダにを取り囲むのはトリュフ色したオイル。極々細かく刻まれたトリュフが入ったもの。黄金のオイルの方がきれいだったのにな。
それではいただきます。野菜とトリュフ、クルミとオイルをくるりとフォークでまとめて、パクン。んー、グー!くるり、パクン、んー、ボン!くるり、パクン、んー、ウゥ〜ン!
火の通っていないトリュフが好きだ。温かなトリュフはなまめかしすぎる。艶がありすぎて、食傷してしまう。ひんやり冷たい、情熱を内にひた隠しているような生のトリュフが私は好きだ。
魅惑的な優しい香りが、クルミの甘味に反応して花開く。味の濃い野菜達が、トリュフの香りを受けてより一層に味わい深くなる。周りのソースに関しては、私は去年のクルミオイルの方が好きだったけれど、まあこれはこれで決して悪くない。好みの問題。
ひとくち口にする毎に恍惚状態を味わい、ほんのつかの間現実に意識が戻ったかと思うと、巡り合ってしまったリースリングを口に含んで、また恍惚の中をさ迷う。料理やワインは、本当に媚薬かもしれない。なんでまた、すぴちゃんやA子の顔見ながら、恍惚状態に陥らないといけないのかはともかくとして、うっとりと食の幸せの中を漂う。
「じゃーじゃじゃーん!これが君らの仔牛だよー」クリストフが銀のトレイに乗せられた仔牛肉を運んでくる。びっしりとパセリにくるまれ、周りに一緒にロティされた野菜を従えた仔牛の固まりから、肉の旨みが漂っている。
横のテーブルにトレイを置き、デクパージュ(切り分け)のスタート。大丈夫かなあクリストフ。さっき別のテーブルで、リシャルト氏の指導を受けながら、難しそうなデクーパージュに真剣に挑戦してた。途中からリシャルト氏に場を譲り、先輩のお手並み拝見をしていたクリストフ。私たちの仔牛は、なんら難しいことない。骨もない四角の固まりを3つにスライスすればいいだけ。大丈夫でしょう。3人プラス遠巻きにリシャルト氏の視線に囲まれて、真剣にデクパージュするクリストフ。
「ヴォアラ!ボナペティ!この塩はお好みでどうぞ」
「メルシー」よく出来ました。
この量で十分。やっぱり一人前はこれくらいの量にして欲しいな。このレストラン、一皿の量がかなりボリュームあるところが玉に傷。っていっても、目に見えないくらいの傷だけど。桃色の肉がいかにも柔らかそうな仔牛。焼いた時の肉汁の旨みあふれる香りが充満している。くー、見るからに美味しそうだ!いっただっきまーす。
滑らかにナイフが入ってゆくごく柔らかな肉。口に含むと、草を一度もはまなかった、母乳のみで育てられた赤ん坊牛の繊細な甘い味が広がっていく。こんがり焼けた外側の部分がまた、いい感じ。焼汁とフォンだけで作った香りだけ硬く味の濃くないソースは私のとても好きなタイプのもの。パセリのふんだんな香りと、添えられたニンニクがアクセントになる。これがフランス料理の基本だと思う。単純で真正で素材の美味さをそのままストレートに出してくる。組み合わせる材料は、主素材のよさを引き出すもののみ。すばらしい料理だ。
お酒がまた泣けてくる。大きなグラスにたっぷりと注がれたカルボニューは、その葡萄が育った土の色を写すかのような、暗く沈む赤茶。土臭い匂いに包まれて、森の木々の香りやスパイスの香りが漂う。強く逞しく田舎っぽい雰囲気を持ちながらも、同時にヴィロードのように滑らかでボルドーらしい上品さあふれる。好きだぁ、こういうお酒には弱い。ペサックのお酒はお気に入りが多いけれど、カルボニューもまた、私のお気に入りリストに名前を連ねる。たっぷりとはいえ一杯150フラン(3000円弱)以上もするお酒。ボトルで頼むと1000フラン近く?ちょっと頼みづらいよね。こうやってグラスで楽しませてくれるのは嬉しいな。
ガルニのジャガイモは美味しいのだけれど、トリュフが間に埋め込まれているところで、すぴちゃんと私の不興をちょっと買う。うすーくうすーくスライスされたジャガイモのところどころに挟まったトリュフ。ごく上品に火を通したすばらしいガルニなのだけれど、残念なことに、私はこの温かいトリュフが放つ匂いがあまり好きではなく、すぴちゃんにいたっては、温かくても冷たくてもトリュフが苦手。
「そお?美味しいよお」と嬉しそうに食べるA子に、すぴちゃんはジャガイモトリュフを進呈。すごく美味しいとはいえ、やはり体調がイマイチじゃないらしい、そろそろお腹が疲れてきた私は、仔牛を少しA子に進呈。
「どお?君たちの気に入った?」
「とっても。すごく美味しかったわ」
「よかった。僕が勧めただけあったでしょ?」
「うん。盛り付けもよかったよ」
「まーなー!そうだ、そういえばさ、僕もうすぐここからいなくなるんだよ」
「知ってる。「ル・サンク」に行くんでしょ?パトリスに聞いた」
「うっそ!なーんだ、もう知ってるの!?決まったばっかりなのに」あちゃー、とばかりに顔を崩して笑いながら体をよじるクリストフ。そんな様子を、「なんだ?なんだ?なんで、かっこいいクリストフはそんなに笑ってるの?」と、興味津々に見つめるA子たち。そうだ、クリストフのかっこよさを認識しなくては。おしゃべりしながら、改めてよーく観察してみる。
背は高い。すらりとスマートで、スタイルはとてもいい。手の指は長くて細くてとてもきれい。これは素敵だ。顔?ちょっとビーンズ系だと思うけど(じっさい、Mきちゃんと私はビーンズとあだ名をつけていた。もちろん2人の間だけで)、金髪にちょっとたれた目は可愛いかもしれない。んー、よく分からん。ま、少なくともとてもいい奴。大好き。
そんなことよりも、今夜改めて知ってため息ついたのは、クリストフのかっこよさではなくて、サーヴィスの上手さ。「ル・レジャンス」の時には気がつかなかった。いつもパトリスとディディエがつきっきりで面倒見てくれて、クリストフとはおしゃべりしたりするくらいだったから、彼のサーヴィスレヴェルを感じる機会がなかった。今夜は、彼のセルヴールとしての腕の確かさを実感。
私たちのテーブルはもちろんのこと、他の担当テーブルに対する気のつき方、皿を下げるタイミングと角度、軽やかで無駄のない動作、きちんと計られた距離感、笑いのセンス、声を掛けるタイミング。どれを取ってもすばらしい。一緒に私たちの面倒を見てくれているリシャルト氏のサーヴィスのよさは、もちろん元から知っているものだったから同然なのだけれど、クリストフの、それに負けない見事に自然で高度なサーヴィスにはちょっと感動。パトリスが「彼は本当にいいサーヴィスをするんだ」って絶賛してたのが、よーく理解できました。今までは、冗談で言ってるのかと思ってたもの。
フロマージュはパスしてデセールを迎える。あれ、マンダリンのソルベが運ばれてきたぞ。「お誕生日だからね」と、すぴちゃんの前に、ガラスのお皿の縁にチョコレートでJoyeux Anniversaire!と書かれたソルベが置かれ、トレイの方には、花火に灯がともされる。暗いサルに、きれいな火花がシューシューと吹き上がる。
「わーいうれしー!」ご満悦すぴちゃん。
「もっと前から知ってたら、いろんなもの用意したの
に、、、。」と、リシャルト氏とクリストフ。
「うん。ジルさんにも日にち決まったら連絡ちょうだい、って言われてたんだけど、風邪ひいて体調悪くて直前アニュレになるかもしれなかったら、電話しなかったんだ。でもうれしい。急なのにこんなにしてくれて」すぴちゃんに向かってにっこり笑うクリストフ。
「ジョワイユー・ザニヴェルセール、、、、なんだっけ、名前?」笑顔はそのままで私にこそっと聞いてくる。
「すぴ」私。
「スーピー!」クリストフ。
「メルシー・ボクー、クリストフ」すぴちゃん。
ジルさんの作るソルベ類は絶品だ。春から夏のイチゴは感動的。夏のリンゴのも美味しい。そして、冬に出てくるこのマンダリンのソルベもまた、絶品!の一言に尽きてしまう美味しさ。ソルベ・グラス好きな私としては、おまけでごちそうしてくれるものとしてこんなに嬉しいものはない。しかもさ、ちゃんと可愛くドレッセされてるし。きれいに形どられたソルベに、マンダリンの薄切りを低温でじっくりローストしたものがささっている。そのマンダリンを突き抜けているのは、先端に金粉を飾った細い飴。指揮者になりたい私は、さっそく飴を指揮棒代わりにちょっと振ってみる。おっと、金粉が飛んでしまう。気をつけましょう。苦みを最高に美味しい形で保存した、すばらしいソルベを食べ終わり、幸せにうっとり。あたらめて、デセールの到着を待つ。
「お待たせ。シャテーニュ(栗)づくしのデセールだよ」目の前に運ばれてきたそれは、透明な器に注がれた、クリーム色にほんの一滴紫を落として混ぜたようなきれいなスープ。マロンのグラスと薄焼きゴーフルが乗って、上には極細のショコラが飾られている。ほんっとにきれいだ、ジルさんのデセールは。同じレストラン出身だけあって、「ル・サンク」のロラン・ジャナン作のものとやっぱり似ているところがある。身動きも出来ないでうっとり眺めるばかりの私の前に、も一つ小さなお皿が運ばれる。
「そば粉のガレットにマロン・グラッセ。ボナペティ!」
プティ・フールも運ばれ、テーブルの上は、いきなりお菓子の大饗宴。嬉々としてスプーンを手に、栗のヴルーテをひとくち。ひんやりと冷たい、栗の強さがよく出たヴルーテ。グラスも栗のあくを程よく生かしている。マロン・グラッセもグー。そば粉のガレットは、強いなあ。栗自体が強いものだから、ガレットはもう少し味が薄くてもいい。美味しくいただくけれど、やっぱり今夜は体調が、、。めずらしくちょっと残してしまう。
食後のお茶をもらって、ふうぅと一息。今夜もよく食べたよね、全く。いつかこれをもらって帰りたい、と切に願っている(だって、売ってくれなんだもん、、、)お気に入りのストレーナーを撫でながらお茶を飲んでいると、通りがかりのクリストフが
「ピュス飲んでるのなに?」
「これ?マントのアンフュージョン」
「へぇー。いい香りじゃん。今度飲んでみよっと」ってあなた、、、、。飲んだことないのかい?しょっちゅう注文のあるお茶でしょうに。
こんなところにも体調の影響が。大好きなプティ・フールやショコラ達を目の前にしているのに、全部食べきれない。いつもなら、すべての種類を味見せずに入られない、ジルさん特製のプティ・フールたちなのに。ううう。風邪はイヤだね。早く直そう。
サルを控えめな華やかさで賑わせていたお客様達も皆テーブルを後にして、のんびり静かで満ち足りた雰囲気が流れる、日付の変わったレストラン。すぴちゃんお得意のフランス語を披露して、リシャルト氏とクリストフとの大写真撮影大会。テーブルで撮ったり、入り口に場所を移して撮ったり、カメラとデイジーを交えてんやわんやの大騒ぎ。
「あれ、デジカメ変えたんだ?すげー、前のより一段とちっちゃい」と、デイジーデイジーをいじくるクリストフ。早く使い方覚えてね。今度「ル・サンク」で私のお誕生会する時に撮ってくれるとうれしいな。
すぴちゃんの使えるフランス語は、今回から5センテンスに拡大した。今までは、Je voudrais photographier avec vous?と D'accord.、Voila!に C'est nul!(何でよりによってこんな言葉、、、)だけだったのが、今回の滞在で、いい男に言うために Je vous trouve tres beau.(あなた、ハンサムだわ)というセンテンスをマスターした。この間は、「ジョルジュ・サンク」のガードマンに言って、ガードマンを動じさせ、今回はクリストフに向かって、にっこり笑って言い放って、クリストフを笑わせている。きっと夏には、「ル・ジャルダン」のジョスランにうっとりとささやくんだろう。確かにジョスランはtres beau garcon(いい男) だ。
大騒ぎの写真撮影会もどうにか終了し、さよならの時間。それぞれにもらった、ショコラとパット・ドゥ・フリュイ(果物のジェリー)がぎっしり詰まった、ブリストルのリボンがかかった白い箱を手に、メルシーとオーヴォア。
「来てくれてありがとう。今度は「ル・サンク」でね」
「うん。楽しみにしてる。ここの黒服も似合ってるけど、グレーのスーツもきっと似合うよ、クリストフ」
「今夜はありがとう。またいらしてくださいね」
「こちらこそ、ムシュ・リシャルト。いろいろ本当にありがとう。ムシュ・モントゥリエとジルさんによろしく伝えてね。クリストフがいなくなっちゃうと、寂しいでしょう?」
「ええとっても。今度クリストフを冷やかしに、ジュルジュ・サンクにお茶しに行きましょうよ」
「いいわね。クリストフの仕事ぶりを見ながら、こっちは優雅にお茶?素敵」
「ル・ブリストル」は素敵なレストランだ。料理とデザート、サーヴィスと客層、デコレーション。全てが同じ方向を向いて、品のある格式を備えた、エレガントで居心地よいレストランになっている。3つ星並みの値段さえどうにかしてくれれば、ほんとにいいレストランなんだけどね。今夜だって、シャンパーニュもデセールもごちそうになった上、プラは3人で2人前。それにもかかわらず、1人当たり900フランを越えちゃう。普通に計算すれば、1200フランってことでしょ?うー、やっぱり高いなあ。夏までお預けだね。夏のテラスが素敵な時期に遊びに来るのを楽しみにしつつ、席を立つ。
みんなと近いうちの再会を約束して、オーヴァーを着せてもらってサルを出る。ぶらぶらホテルの中を歩いて、中庭に面した夏のサルまでお散歩。パリで一番美しい中庭と誉れ高い、超高級老舗ホテルの中庭は、フェットの雰囲気がまだ残り、美しくイルミネーションが施されている。どんな人たちがどんな風に、このレストランで21世紀を迎えたんだろう。世界中からお金持ちが集まっていたんだろうな。いつかそういう身分になりたいものだ、とため息つきながら、しぶしぶホテルを出てタクシー乗って、パリの外れ、6階エレベーターなしの小さなアパルトマンへと向かったのでした。
いいお誕生会だったね、すぴちゃん。
sam.6 jan. 2001