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グルマン・ピュスのレストラン紀行


ル・ブリストル (Le Bristol)

「黒トリュフのサラダ」にはじまり、「黒トリュフのサラダ」でおわる、うっとりするような2001年。ふりかえってみると、今年は「ル・ブリストル」にとっぷりとはまってしまっていた。

数えてみると、「ル・サンク」をわずかにしのいで、今年一番訪れた星つきレストランは「ル・ブリストル」だった。熱が下がりたてのフラフラ状態ですぴちゃんのお誕生会をした1月。新緑を目にしながらキルシュのスフレにうっとりした5月。ガラス越しのテラスを恨めし気にながめながら夏の寒さをかこった6月。はしりのセップのおいしさに気が遠くなりそうになった9月。料理の相性、という点ではハズレな時もあるし、ソムリエたちとお酒のリストはどうしようもないというのに、ついつい「ル・ブリストル」に来てしまうのは、相性がいい時のフレションの料理のすばらしさ、ジルさんのデセール、あのテラスと食器類、モントゥイエさんたちのサーヴィスに惹かれているからなんだろう。「ル・サンク」だって、パトリスとクリストフ、という、私にとって最高のセルヴールがいるし、お酒のリストは文句のつけようがない。料理の相性も「ル・ブリストル」よりはハズレが少ないし、食器類もまあまあ、というのに、なんで、あっちの方が多くなったんだ?

ロランが「ル・サンク」を去ったのは大きい。確かに。それに加えて、なんだろう?レストラン全体に漂う雰囲気の、つまりはレストラン自体の性格の問題なのかもしれない。大きく言えば、「フォーシーズンズホテル・ジョルジュ・サンク」と「ル・ブリストル」という、カラーの全く違う2つの最高級ホテルの違いか。なんてことを考えながら出かける支度をし、今年最後の高級レストランを楽しみに、アヴニュー・ジョルジュサンクではなく、フォーブル・サン−トノレへと向かう。

リッツやフォーシーズンズに比べ、決してセンスがいいとは言えないサパン(もみの木)が飾られているロビーから、イルミネーションに輝く中庭をぶらぶら歩いてみる。バーのカルトだって、レトロでとてもとても垢抜けているとは言えないのに、なぜかいつも上品でいい感じのお客様が集っているホテルだ。確かまだ、このホテルは純フランス資本じゃなかったっけ?そういう差なのだろうか。パリの上流階級の人々は、リッツやフォーシーズンズ、プラザ・アテネよりも、クリオンやル・ブリストルを愛している気がする。

「ボンソワー、お元気ですか?さ、どうぞ。コートを預かりますよ、、、、。さあ、こちらへ。このテーブルでいいいですか?」モントゥイエさんを中心に、おおげさすぎない気持ちのいい挨拶が、さざなみのように押しよせて来て、それに答えているうちに、気がつくとテーブルについている自分がいる。

どうして彼がエリックの友達なのか、いくら考えても共通点の見つからない、朴訥で穏やかなモントゥイエさんとひとしきりお話して、シャンパーニュ片手にカルトを広げる。ちょっと気が抜けたモエ・テ・シャンドンは、かなり間抜けだけど、このレストランのソムリエたちのレヴェルでは、こんなのもありだろう。ほんと、どうしてまとめてクビにしないんだろう?と、いつも不思議な、乱暴でがさつで、どう考えてもワインに愛情を持っていないソムリエたち。ソムリエたち変えれば、3つ星だって夢じゃない、このレストランは。ディディエ、ここに来ればいいのに。

先週予約の電話をした時に、「トリュフサラダはもう出てる?」と、モントゥイエさんに尋ねると、「まだなんですよ。でも、よかったら用意しますよ」との嬉しいお言葉。この言葉がなかったら、今夜のレストランは変わっていたかもしれない。嬉々としてご親切に甘え、私のアントレは今夜ははじめからもう決まってる。プラには、おすすめ料理で出ている「野鴨のハチミツスパイスロースト」を選んで、料理の選択はいたって順調。デセールはちょっとてこずって、「ミルクチョコレートのとろとろ」と「アルマニャックのスフレ2種」まで候補を絞ったものの、どちらを選ぶべきか判断できない。
「どっちがいいかしら?」と尋ねると、困った顔をしてモントゥイエさんが、
「いやあ、その二つでしたら、ほんとうにどちらもいいんですよ、、、。困ったねえ」と、返答に詰まってる。
「んー、じゃあまあ、ミルクチョコレートにしようかな」と、この週末、家にチョコレートがなくてかなり苦しい思いをしていた私が、チョコレートに軍配を上げてみると、
「ムシュ・マーシャルに選んでもらうのはイヤですか?」何の異存があろうはずがない。ロランがいない今、パリ中のレストランの中で一番アプリシエイトしているパティシエを信頼し、デセールは彼に任せてみる。

amuseカニのコロッケ、チーズを巻いたパリパリ。プチプチお酒によく合う、お馴染みのシャンパーニュ・アミューズたちをたいらげ、お酒も選んだところで、アミューズが運ばれてくる。こちらもおなじみの「レチュ(レタス)のヴルーテ」。フレッシュチーズとクルトンを置いた小さくてかわいらしいスープ皿(これ、欲しいんだよね)に、ピッチャーからドロリと濃い緑色が注がれる。味がしっかりとついた雄々しい、私にとってのまさにフレションのイメージを彷彿させる、逞しくみごとなヴルーテだ。ばかの一つ覚えみたいに、ここに来るとこればっかりの、オリーヴのフガスをパンにもらって、アントレの到着を、今か今かと待ちわびる。

saladetruffe「ヴォアラ、トリュフのサラダです」。ふわりと鼻先に黒トリュフの艶っぽい香りが漂い、目の前に、この世で一番愛するトリュフ料理が置かれる。
「うっわぁ!いい香りー!嬉しいなあ、またこれが食べられて。わがままを聞いてくれて、本当にありがとう、ムッシュ・モントゥイエ」
「どういたしまして。喜んでもらえて、本当に嬉しいですよ。さ、ヴィネガーをもう少しかけましょう」と、クルミとクルミオイルで風味をつけたヴィネガーを、ソーシエールから銀のスプーンですくって、たっぷりとかけてくれる。この間の1月は、このドレッシングがトリュフ色していて味が濃かった。その前の冬は、今夜と同じだったはず。嬉しいな、私、こっちの方が好きだったんだ。

「ジュ・ヴ・スエット・トレ・ボナペティ(どうぞめしあがれ)!」と、モントゥイエさんの声を聞くのももどかしく、これもまたこのレストランで溺愛しているもののひとつであるカトラリーを取り上げ、このサラダの味を思い出しながら、うっとりとフォークを口に運ぶ。

「〜ぅん、、、、。うぉ〜ぅ、、、。おぉ〜いしぃ〜、、、、。」だめだ、このサラダのおいしさは、とても言葉で表せない。悲鳴とも喘ぎともため息ともつかない、唸り声のようなものが、喉の奥からもれる。記憶していたのと同じおいしさで、「黒トリュフのサラダ」は、その姿をまた、私に見せてくれる。

白よりも黒トリュフが好きだ。11月の終わり、5日に渡って3つ星レストランを巡った日々。行く先々でお目にかかったイタリアはアルバ産の白トリュフ。デュカスで見せられた、自分のこぶしよりもさらに大きな白トリュフが鎮座したケースにはどきもを抜かれた。確かにどのレストランでもすばらしい白トリュフを食べさせてくれたけれど、その価値がより高いとされるイタリアの白ちゃんよりも、私は、フランスの黒ちゃんがお気に入り。

火を通さない黒トリュフが好きだ。熱を加えたものよりも、立ちのぼる香りはもちろん控えめなのだけれど、そのおくゆかしさが私の気をそそる。もともとの匂いが強いトリュフ、わざわざ加熱せずに本来の香りをかいで、生まれ育った林に思いを馳せたい。ポソリ、と歯の間で割れる、あの食感も好きだ。薄すぎないスライスをしたトリュフに存在する、あの歯ごたえ。刻んでしまったら、トリュフの魅力は半減する、と、いつも私は思ってる。薄すぎるスライスももちろんNG。いずれにしても、トリュフの食感をだいなしにする。じゃあ、丸ごとを齧ると、どんな感じなんだろう?もちろんやったことない、そんな豪勢なことは。別にやってみたいとも、思わないけどね。

クルミと黒トリュフの相性を発見した時、エリック・フレションはどんな感動に包まれただろう?最高だ、この2つの食材の相性は。どちらも土の香りをわずかにたてながら甘い。歯ですりつぶすたびにクルミのわずかにこうばしい味がはじけ、トリュフの独特な個性を引き立てる。そしてこのソース。こうやってまた、フランス料理の真髄はソースだ、という概念を再認識してしまう。ヴィネガー、と、モントゥイエさんが言ったものは、なんのヴィネガーか想像もつかないが、酸の強くないコクだけあるまろやかなヴィネガー。これに、間違いなく、クルミオイルも入っているはず。きざんだトリュフを加えて味をなじませたこのソースさえあれば、いいトリュフと新鮮なサラダ菜を買って来て、この料理を家でも再現できるのでは?と思うくらい、ソースの威力がすばらしい。ソースがいい感じにからんだトリュフとクルミ、サラダ菜が、たぐいまれな融合を果たした結果の1皿。素材における最高のマリアージュといって、過大評価にはならないはずだ。エリック・フレションは、このサラダと、血を残した鴨のロティをして、3つ星シェフになる価値がある。それくらい、この料理は感動的だ。舌も鼻も神経も、うっとりする。味覚、という感覚が備わっていることに、思わず感謝。

こんなに好きな料理を、毎年食べられることに、限りない幸せを感じる。このサラダと初めて会った時と同じ頃、同じくらいの幸せに包まれて味わった、エリック・ブリファーの「ホタテのサラダ、マングー風味」。舌から始まって体中がとろけそうになった、あのすばらしいサラダとは、「ル・レジャンス」という名の、まるでシンデレラの城のようなレストランで、あの冬だけ会うことが出来た、幻のような料理だった。来年は会えないのを知っていたかのように、あの短い時間の中で、夢中になって何度もあのサラダを欲した。シェフが移り、料理が変わる。仕方のない時の流れ。そんな中、こうやって毎年、同じ料理を同じレヴェルで食べられる幸せは、ちょっと感動的だ。こんな希有な幸せをくれる、「ル・ブリストル」や「ランブロワジー」を、私はとても尊敬してしまう。

canardじんわりとトリュフの余韻に浸っているところに、プラの野鴨が運ばれてくる。甘くスパイシーな香りを纏ったゴロリとした胴体が、私たちの目の前に運ばれたあとに、デクパージュ(切り分け)。ナイフを握るのは、まだ若いセルヴールくん。おいおい、大丈夫、あなたで?モントゥイエさんにやって欲しいなあ、、、。案の定というかなんというか、先輩の指示に従ってナイフを入れるセルヴールくん、一生懸命やっているけど、どうも野鴨に嫌われているのか、野鴨は、あっちへゴロリ、こっちへゴロゴロ。やっと身をはがした残りの骨に、あーあー、まだあんなに肉がついてるんじゃない。あそこが一番おいしいのになあ。さすがは野鴨。鴨(あひる)に比べ、逞しい肉は、そんなに簡単には骨からはがれないものらしい。モントゥイエさーん、受付で仕事してないで、この子の面倒みてあげてねー。
「その骨も残していって欲しいよねえ。そこが食べたい」
「ほんと、フィンガーボールと一緒においてって〜、だよね」
「きっと裏で食べちゃうんだよ、あの一番おいしいところ」皿を置いてくれるセルヴールくんににっこりメルシーしながらも、言いたい放題の私たち。日本語って、いいねえ。

さて、野鴨ちゃん。肉の中でも鹿、アニョーに続いて、かなり好きな部類に入るこの肉を、口にするのは久しぶりな気がするな。嬉しいよ、久しぶりに会えて。ばら色に焼かれた肉にナイフを入れると、肉の力強さがナイフを押し返す。くうぅ、いいねえ、この逞しさが野鴨らしくて。負けるものか!と、ナイフを引き、つややかなマロン色したソースと絡めて口にそっと入れてみる。

「うっまーっ!」思わず、カトラリーを置いて、ちいさく拍手。好きだー、好みだー、この味は、私にピッタリくるー。大体、鴨とハチミツなんて、私が最も愛する組み合わせ。この素材で相性が合わないはずはないんだけれど、ほんっとにすばらしい技術を駆使して作り上げた結果に感動。逞しい肉に、香辛料が溶け込んだ甘すぎないソースがすばらしい。パクパクパクン、パクパクン。ああ、足りない、、、。あの骨についてた肉、やっぱり欲しかった、、、。添えてあるのは、きのこのソテーと、イチジクとカリン。きのこは、ちょっと味が強いなあ。9月に味見させてもらった、あのセップが、贅沢は言わない、2切れでいいからついていたらよかったのに。それに比べ、イチジクとカリンはすばらしい。ごく軽くコンフィにされた果物は、よくある肉の付け合わせのコンフィのように味が濃くなく、果物本来のおいしさがかけらも損なわれていない。こういうコンフィが好きだ。この間、「アラン・デュカス」で食べたシカについてきた、様々な秋の味覚の、威風堂々とした味には、やっぱり疲れてしまう。とは言っても、フレションだって、よく、威風堂々系の味を出してくる。それこそ、ダイナミックで雄々しすぎて、食べきれない料理だって多々あるんだ。友達が選んだ今日のお魚だってそう。強いんだよね、味が。当たれば天国、外れれば脳溢血、って感じ?いずれにしても、たぐいまれな才能を持っているフレションは、今後のフランス料理界における至宝だ。

canard_cuisseコンフィにうっとりしているところに、野鴨のモモの部分が焼かれて、サラダ仕立てになってやってくる。細くしっかりした足にむしゃぶりついて、指を洗って、ごちそうさま。ふうぅ、おいしかったねえ。やっぱりこの時期は、こういう肉に限る。

ばしゃばしゃと、愛情のかけらもなく注がれていたワインもまだ残っているし、ミモレットがいかにもおいしそうに見えるのだけれど、今夜もフロマージュはパスしてデセールへ。やっぱりね、ここほどデセールがおいしいと、フロマージュを食べている余裕がない。逆に、ギーちゃんのところみたいに、デセールはイマイチでフロマージュが絶品だと、デセールを食べずに、フロマージュを満喫するのだけれど。

givreどっちがでてくるかなー、と、ワクワク期待していたところに運ばれてきたのは、「マンダリンのジブレ(ソルベのような氷菓子)」。
「どうぞ、アヴァン・デセールとして召し上がってみてください」と、ソムリエたちに比べると、本当に欠点の少ないセルヴール君たちが笑顔を見せる。うれしいな、ジルさんのマンダリン・ソルベは、昔からのお気に入りだ。冷たいソルベにスプーンをすべらせ、いただきまーす。1年ぶりに食べるマンダリンのソルベは、おいしいけれど、テクスチャーがちょっと。ところどころ、なんとなく固まっていてなめらかでない部分がある。よく分からないけれど、多分、ソルベはある程度大きな容器で作って、それをお皿に取り分けている。対するジブレは、マンダリンの皮の中にすでにソルベが入っているので、多分この状態のまま、ある程度の時間、冷凍されている。そのため、ソルベにいつも感じるなめらかでやわらかなテクスチャーが固まってしまってるんじゃないかな?どうなんだろ?おいしいんだけどね。完璧じゃない。いつもみたいに。

ジブレで、体がすっかり冷えてしまった。もう、あったかなお茶が飲みたい気分だ。でも、デセールの本番はこれから。さーて、どっちが来るのかなー?

souffle「ムシュ・マーシャルが、今夜はぜひこっちを食べてください、って」モントゥイエさんがそう言いながら持ってきたのは、「アルマニャックのスフレ、暖かいのと冷たいの。スパイスを入れたヴァン・ショー(熱いワイン)を添えて」。嬉しい、こちらが食べたい心境だった。クラシックに作られたアツアツのスフレにふわりと薫るアルマニャックがいい感じ。ここのスフレ、おいしいよね、いつも。冷たいスフレは、パルフェみたいな感覚だ。生のローリエを蓋にしたショットグラスには、カネル(シナモン)が入ったヴァン・ショー。四角いお皿のあまった部分に、プルノー(かなり生っぽい干プラム)。手前には、ホワイトチョコレートでつくった、Le Bristolのプレート。

どれもこれもよく出来たおりこうさん。でもね、今日これで、やっぱり実感してしまった。ロラン・ジャナンのお菓子には、だれも敵わない。私にはやっぱり、ロランの作るデセールが一番感動できる。これとほとんど同じ題名のデセールを、「ル・サンク」を辞める前に、ロランは作っていた。「アルマニャックのスフレ、アルマニャックのアイスクリームとプルノー」だったかな、確か。ヴァン・ショーもついてた。デコラシオンの可愛らしさは、多分ジルさんの方が上かもしれないけれど、あのスフレをひとくち食べた瞬間、気が狂いそうになった。もっとも、テクスチャーも全然違う、同じスフレ、とは言えないような2つの作品だけれど、ロランのあのスフレは、味覚をしびれさせた。そしてあのプルノーも。プルノーに関しては、文句なくロランの方がおいしい。ジルさんのデセールはすごい。とってもおいしい。大好きだ。彼のデセールを説明すると、地道に確実、丁寧に作り上げてきたもの、というイメージかな。センスのいい秀才が作るデセール。ロランのデセールは、才気走ったあやうさを持った、天才型のデセールだ。あまりにおいしくて、ゾクッとさせられる。ああ、ロランのデセールが恋しい、、、。同じ門下の先輩後輩。友達でもあるふたりのパティシエは、才能あふれたすばらしい逸材だ。

デセールをたいらげ、これもまた熱愛している銀のプレートにセルヴィエットを敷いた上でなく、今夜は四角いお皿におちゃめに乗ってやってきたプティフールも制覇し、トリュフをつまむ頃には、みんなそろってお腹が張り裂けそう。これもいつもうっとりと眺めているストレーナー越しに注がれる、薫り高いマント・フレッシュのお茶をすすりながら、モントゥイエさんとエリックの噂話した後は、入れ違いにジルさんを呼んで来てくれる。

「やーあ、久しぶり!元気だった?」
「ええ。ムシュ・マーシャルもお元気そうでなにより。久しぶりですよね、ほんと。ちょくちょく来てるのに、ヴァカンスだったりもう帰っちゃってたりで、なかなか会えなかったわ」金髪に、子供みたいなきょとんとした目が可愛いジル・マーシャル氏の登場だ。
「シェフ、椅子をどうぞ」と、セルヴール君に勧められるままに、「じゃ、1分だけね!」と座り込んだジルさんが私たちにバイバイしたのは、たっぷり20分はたってからじゃなかったかな。相変わらずすてきなここのデセール、パリのおいしいショコラティエ、ロランのこと、フレションのことなど、久しぶりのジルさんと話が尽きない。ジルさんが言った、こんな言葉が印象的だった。
「うちのレストランの料理とデセールが、フランスで最高とは、言わない。でも、エリックと僕、つまり料理とデセールのシェフの仲のよさ、理解の深さ、厨房とサル(客席)の関係のよさは、間違いなく最高だよ」

ほんとにそう思う。そして、その人間関係のよさが、レストランにとって、どれほど大切かも、身にしみてよく分かる。感じるもん、そういうのって。どんなにおいしい料理を作ってくれても、どんなにすばらしいデセールを食べさせてくれても、どんなに楽しいサーヴィスでもてなしてくれても、殺伐として疑心暗鬼に満ちた、緊張感走る人間関係を感じてしまう、あのレストランが、思わず脳裏に浮かんでくる。今はなき「ル・レジャンス」は、人間関係がよく出来たレストランの代表だった。今なら、ギーちゃんの「ル・グラン・ヴェフール」や「アルページュ」も、そういうレストランとして私は名前を挙げるだろうか。多分「ランブロワジー」もそうだ。この間何年かぶりに行っただけなのでよくは分からないけれど。レストランというものを作り上げている、料理、デセール、セルヴール、内装、客層、オーナーの考え。これらが一体になって、レストランのカラーと雰囲気が出来上がる。それぞれの要素が、他の要素を尊敬し、愛し、信頼してはじめて、理想のレストランというのが実現するんだろう。そんなレストランがこれからもまた生まれ、そしてまた今あるそういうレストランたちがなくなりませんように。ジルさんがごちそうしてくれたシャンパーニュをすすりながらそう願い、2001年最後のすてきな晩餐にふさわしい、すばらしい夜を終える。


mar.18 dec.2001



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