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グルマン・ピュスのレストラン紀行


ル・サンク (Le Cinq)

大切なパトリスがいじめられてやしないかと、転校したての子供を思う母たちの心境で、パリに遊びに来ているMきちゃんと「ル・サンク」での夕食へ向かう。

sapin自動の回転ドアをくるりと回ると、そこは相変わらず立派で贅沢な、大理石と花に埋もれたロビー。苔をあしらった大好きな花を愛でた目をふと上げると、中庭にそそり立つサパン・ドゥ・ノエル(クリスマス・ツリー)。去年よりちょっとだけ華々しくなったツリーを見上げ、レストランにいたるまでの通路のあちらこちらに配された花々にみとれながら、「ル・サンク」に到着。

ゴージャスなリースが飾られた扉の向こうから、優雅に上品に、こぼれるような笑顔を携えて姿を見せるパトリスは、ほんと、20年前ならば王子様だわね、これ。
「ボンソワー。来てくれて嬉しいよ。元気にしてた?」
「元気でーす。ノエルの飾りがとってもきれい。早いのね、取りつけるの」
「今日からなんだ。君たちが来るのを歓迎して飾ったんだよ」
「メールシー!」

「わお、今夜はふたりともとってもきれいだね。いや、いつもきれいだけど、今夜は特別ステキだよ」と、コートを脱がせてくれたパトリスがにっこり。
「メルシ、パトリス」と、Mきちゃんとふたり、にっこり笑顔を返しながら、早くもいじめの現場を発見し、笑顔がこわばる私たち。

「ね、分かる?」
「分かるわよ。かわいそう、パトリスったら、、、」
「困っちゃってるわ。ひどいよ、みんな」いじめの状況は以下の通り。ふたりのコートを脱がせてくれたパトリス。コートはすぐ横のヴェスティエールに保管されるのだけれど、コートを持って行ってくれる受付のかーいーお姉さんが席を外してる。数だけはたくさんいるセルヴールが誰か来ればいいものの、だーれも気がつかない。二つのコート片手に、誰か気がつかないか、と、ちょっと目を客席に向けるパトリス。でも、だーれも来やしない。仕方ないので、受付の横のテーブルにコートを置いて、「こっち。ついてきて」と、私たちをテーブルに案内してくれる。

時間にすればたった10秒に満たない、ほんの瞬間的な出来事だけれど、これが、私たちの心にはかなり引っかかった。「ル・レジャンス」だったら、こんな状況、ありえなかった。プラザ・アテネでも、きれいなおねーさんがコートをしまってくれていたけれど、おねーさんがいない時には、クリストフやディディエ、もう一人のクリストフなど、誰かが必ずパトリスのフォローにやってきていた。誰もが、どこかでなにか不都合が起こっていないかと気を遣い、誰もがよく気がついていた。なくなってはじめて、あのレストランの美点が、次から次へと見えてくるんだ。

中央奥のすばらしい花の横にしつらえられた四角いテーブルに案内してくれる。
「とれもきれい。造花よね?すごい、こんな素敵な造花、あるのね」
「きれいでしょ?ここの一番いい席を、ふたりのために取っておいたんだ。さ、とりあえずシャンパーニュね。なんでも好きなの頼んでよ」
「メルシー、ボクー、パトリス」

オレンジピンクが美しいドン・リュイナールをいただきながら、カルトを広げる。さすがはこの時期、ジビエ(野獣)関係が豊富だわね。ふむふむ、ふんふん。なるほどなるほど、、、。何度見ても、ここのカルトって、ふーん、って感じ。味は別の問題として、料理名を見た時のときめきが少ないんだ。例えば、「イヴァン」や「レ・ブキニスト」、「レ・ゼリゼ」のカルトに並ぶ料理は、どれもこれもそろいもそろって「食べて!食べて!ピュスちゃん、僕を食べて!」ってわめいているかのように、私好みの素材と料理法と付け合わせが列記されている。全部食べたくって、注文直後から後悔してしまう始末。「ル・サンク」のカルトに並ぶ料理には、そういうときめきがない。これはもう、ただ単に好みの問題だし、実際の料理の味はまた別の問題なのだけれど、いつも結構、料理の選択に困ってしまうんだ。

散々悩んで、よし、今夜はオマールから始めよう、とパトリスに告げると、
「やめときなよ、それ。つまんないよ。ほんのちょっぴりのオマールが乗っただけ。他のにしなよ」だって。ちぇ、苦労の果ての選択なのに、、。
「じゃ、どうしようかな。クレソンのスープ、この間ごちそうしてもらって、とても美味しかったし、これにしようかな」
「それは今日も食べさせてあげるから、やめて。うーん、どれがいいかなあ。ホタテ、火が通ったのは嫌いだよね?」
「うん、嫌い。生なら大好きなんだけど」
「そっか。んー、カネロニは、、、昔食べてるよねえ?」
「食べてる。フォア・グラって気分でもないし、どうしようかなあ」
「あとはねぇ、、、。ユキノが好きそうなものね、、、」一つ一つ吟味するけど、全然決められない。
「カネロニでいいよ。前のとガルニ違ってるし。美味しいんでしょ?」
「とっても。セップがたっぷりで」
「OK。それにします」
「プラは?」
「このジビエのチュルト(パイ)、もしくは、ブレスの鶏とオマールのココット」
「ジビエにしたら?旬だし、美味しいよ。ココットは定番料理だからいつでも食べられるし」
「ダコー。じゃ、それでお願いします」

やれやれ疲れた。もうぐったりだ。いつものことながら、料理の選択って大仕事よね。シャンパーニュで息つく暇もなく、次の大仕事、お酒選びが始まる。ドゥミで、ムルソーとコート・ロティをさっくり選んで、ようやくくつろぎの時間を迎える。

verouteまずはアミューズの代わりに、クレソンのスープが運ばれてくる。あら、プレゼン変えたんだ?この間は、お皿にしかれたカヴィア入りのコンソメ・ジュレの上から、緑色のスープが注がれていた。今夜は、まず、クレソンの香りが鼻をくすぐるスープが入った器が運ばれ、そこに、「タイユヴァン」がから移ってきたギーが、銀とガラスの器に入ったキャヴィアとクリームをスプーンですくってそっとスープに浮かべる。うっきゃ、おいしそ!いただきまーす。

本当に美味しいスープを食べると、しみじみ幸福感に襲われる。極上のコンソメとクレソンをつぶして作られた、トロトロのヴルーテ。前にボルドー近郊の☆☆レストランで食べたそれとは、比べ物にならないくらいに美味。口中に広がる爽やかなクレソンの香りと、コクのあるコンソメの風味。それに、ふわりと溶けるクリーム、それに、アクセントというにはあまりにも存在感のありすぎる、グレーに輝くカヴィア。

完璧に美味しいわ、このヴルーテ。前にごちそうしてもらった時の、コンソメジュレとカヴィアが下に隠れていたのも素敵に美味しかったけれど、このクリーム入りのもなかなかいい感じ。口の中のカヴィアのように、美味しい幸せがプチプチとはじけるような、すばらしい作品だ。

感動のうちにカネロニを迎える。
caneloni「珍しい選択ね、ピュスちゃん。私好みの料理なのに」とMきちゃんがいうように、珍しく選んだキノコ料理。各種キノコ、嫌いな訳ではないのだけれど、セップのように香りがすばらしすぎるものは、ちょっと遠慮する傾向のある私。セップがメインの料理なんて、ほんと、めったに頼まない。消去法に近い形で選んだ料理だけれど、これはこれで、思ったよりもずっと素敵なものだ。上品に、しっかりと、風味よく、まろやかに、洗練された、料理かな。

ちなみに、クレソンのヴルーテは、かろやかに、薫り高く、とろけるように、あでやかな、料理とでも言いましょうか。落ち着いた上品さで私たちを楽しませてくれるムルソーを相方に、美味しくいただく。

tourte楽しみにしていた、「ジビエのチュルト」が運ばれてくる。目の前に皿が置かれると同時に漂う、なんとも野生味あふれた香り。うーん、すてき!と深々匂いを吸い込む私の横で、アメリカ人のご夫妻が、「なんなの、この匂いは!?」と顔をしかめる。へへん、かわいそうに。この素晴らしさが、分からないなんてね。

フェザン(キジ)、リヴィエール(野ウサギ)などの肉を詰めたさくさくパイ。匂い逞しく味濃いパイに、血と赤ワインで作った、とろりと濃厚なソースが素晴らしい。これぞ、晩秋だね!って感じの料理だ。逞しさでは負けないはずのコート・ロティが、アップアップ気味。極上のポムロルかなにかを合わせてみたかったなあ。

ひとかけらのパイも残さず、ソースもきれいにいただいて、お腹いっぱい、もう大変。でも大丈夫。ちゃんと、デセール用にお腹に隙間を残してある。このレストランのデザートをきちんと食べないのは、神に対する冒涜としか言いようがない。フランス中のレストランの中で、デザートではベスト3に入る、ううん、ひょっとしたら一番素晴らしいと思っているのが、ここ「ル・サンク」だろう。

はじめてここに来た1年ほど前。あの時食べた、デコラシオンも完璧だったチョコレートのタルトとキャラメルのお菓子、それに、ちょっとだけ出てきたガレットの味は、ちょっとやそっとじゃ忘れられないものだった。プティ・フールの美味しさにも感動し、おみやに包んでもらったっけ。9月に来た時に食べさせてもらった、可愛さにあふれたイチゴづくしの一皿と、暖かなチョコレート・ケーキも素晴らしかった。

でもって今夜のデセール。こちらは料理と反対に、あれもこれも全部食べたい!と、辛い選択を迫られた果てに、「ショコラづくしのデセール」を選び出す。
「あ、でも、このアルマニャックのグラスもちょっと食べたいな」と注文を取ってくれるセルヴール君にリクエスト。
「もちろんです」と、にっこり笑顔。ほんと、ここの店、セルヴィス陣の笑顔と愛想のよさは一流なんだけどね。願わくば、観察力と思いやりも一流になって欲しいものだ。

しばらくして目の前に運ばれてきたデセールに、思わず笑顔がこぼれる。なーんて!なーんて!!なーんて可愛いの!!!イチゴの時と同じプレゼンテーションは、長方形のガラスのお皿に、小さな器が4つ乗っかったもの。ショコラのタルト、クレーム、ミルフォイユ、ムース。ムースから飛び出た、カールしたショコラが、とってもキュート。どれもこれも、飛び切り美味しく、そして美しい。アルマニャックのグラスも香り豊かで口当たりよくグー。冷たいグラスで口直ししながら、次から次へとショコラをいただく。

と、そこに、パトリスに連れられてやってくるのは、おお、ムシュ・ルジャンドルではありませんか。「タイユヴァン」から引き抜かれてやってきたここのシェフとご挨拶するのは、はじめて。
「週末にしか来た事なかったので、お目にかかったことがありませんでしたね。はじめまして。楽しませてもらってます」
「オンシャンテ、マドモワゼル。いかがでしたか?料理はお気に召しました?」崇高、と形容してしまうこのデセールを前に、料理はちょっと分が悪いよね、、、。と思いながらも、
「ええ、とても。素晴らしかったです」と、嬉しそうに口走ってしまう私。ま、確かに、料理もかなり美味しい。クレソンのヴルーテは完璧だし、ジビエのチュルトもしっかり上出来だった。でもねー、デセールの与えてくれる感動が大きすぎちゃって、、、。

しばらくシェフとお喋りを楽しむ。なかなかサンパでいい感じのおじさま。客席をうろつくボマールは、相変わらずなんだか下品でやーな感じだけれど、シェフは素敵だわ。パトリスがいつも、「彼は人の話をよく聞いて、とてもサンパな男の子なんだよ」って言っていたけれど、確かにそのとおり。花の話、テーブルのランプの話、お菓子のシェフの話まで楽しくおしゃべりして、シェフとお別れのご挨拶。
「またお目にかかれるのを楽しみにしてますよ、メドモワゼル」
「どうもありがとう、シェフ。また近いうちに」

残ったグラスが溶けてアルマニャックに変化する頃、お茶をもらってパトリスとゆっくりおしゃべりを楽しむ。
「昔みたいだね、ふたりそろって」
「うん。でもパトリスの横には、ディディエがいないのよね、、。クリストフも」
「あ、クリストフ!彼、デュカス、辞めるんだよ」
「そうなの?アハハ、やっぱりヤだったんだ、デュカス?」
「うん、まあね。で、今度はブリストルなんだよ」
「ほんとー?嬉しいな、私。ブリストル、好きだし。いいんじゃない、あそこのエキップ、なかなか素敵よね」
「うん。ムシュ・モントゥリエもいるし、よく出来てるよ」
「いいところに行けてよかったね、クリストフ。今度遊びにいってみよっと」

丁寧に注がれたマント・フレッシュのお茶がすっかり冷める頃、誰もいなくなったサルを後にする。
「お茶でも飲んでく、この後?僕ももう、仕事終わるし」
「いいよ。どこいこうか?ところで今何時なのかしら?」
「えっと、、、1時半すぎ」
「ごめん、やっぱり帰ります、、、、。そんな時間だったって、気がつかなかったわ。明日もあるし」
「じゃ、また今度ね」
「うん」

お持ち帰り用にたっぷり包んでもらったプティ・フールのショコラを大切に抱えて、コートを着せてもらってお別れ。
「今夜もどうもありがとう。とても楽しかったわ。でも、ほんとにいじめられてない?大丈夫?」
「平気だってば。そんな心配しないで。まだみんな若いから、よく出来てない点もあるけど、少しずつ改善されているし、シェフもホテルのディレクターもみんな優しいから、大丈夫」
「ならいいけど。ディディエが横にいないと、なんだか心配で心配で、、、」
「安心して。今夜はふたりで来てくれてありがとう。嬉しかったよ。ア・トレ・ビアント!」
「いろいろありがとう、パトリス。またね、おやすみなさい」

不夜城のごとくきらめくサパンが飾られた中庭をぐるりと回って、外に出る。愛するエッフェル塔は、とっくの昔に眠りにつき、暗闇にボーッとグレーのフォルムを浮かばせている。幸せな夜の締めくくりは、やっぱりエッフェル塔につきるよね。


jeu.23 nov.2000



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