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グルマン・ピュスのレストラン紀行


アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ (Alain Ducasse au Plaza Athenee)

「ル・レジャンス」。はじめてここで、うっとりするような幸せな夜を過ごしたのは、1999年の10月27日。
最後にここで、とろけるように楽しい夜を過ごしたのは、2000年の4月4日。たった半年にも満たない時が過ぎたあと、私が溺愛したレストランは姿を消してしまった。わずか半年の間とは信じられないくらいに、たくさんの幸せな思い出をくれたレストランは、今から考えると、まるで生き急いでいたかのようだった。

あれから幾度、黒鉄とガラスのエントランスの前に立っただろう。「ル・レジャンス」を乗っ取った新しいレストランの前に立つたびに、愛したレストランの亡霊が現れては、私に、新しいレストランを訪れる気をなくさせた。この場所で食事をしようという気に、いつかなる日がくるのだろうか?そう思いながら日々は過ぎていき、1年を過ぎた頃にようやく、新しいレストランの存在をこの場所に許せるような気になった。

「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」。プラザ・アテネの新しいダイニングは、名をこういう。あらゆる意味において“世界で一番”といえる、料理界の巨匠が数多く持つレストランの、言わばここが総本山。ロビュションの後を引き継いだポワン・カレ通りのレストランを引き払い、パリでも最高の立地を持つレストランを、彼はやすやすと手に入れた。最高のサーヴィス、最高の料理、最高の雰囲気。誰もが認めるであろう、最高のレストランを作り上げたデュカスの世界を、ようやく訪ねる夜が訪れる。

bar曰くありげな昨夏の火事から1年。ようやく新しくオープンしたギャラリー側のバーは、私のお気に入り。ピエール・クルトが作った「バー・アングレ」の方がもちろん、ずっとずっと気に入っていたけれど、新しいバーも悪くはない。「59ポワンカレ」と同じ、スタルクの弟子であるデコレーターが手がけた内装は、いかにもデュカス的だけれど、こぶりのミラノ・ガラスのシャンデリアやカウンターの光の使い方などがチャーミング。出てくるお酒は、高いだけあってさすがに美味。

6月に責任者のティエリとはじめましてしてから、ちょくちょく通ってる。夏の一月ヴァカンスに入ってしまった「バー・エミングウェイ」の代わりに、なんやかんやと立ち寄っってすっかり馴染みになってしまったバーで、素晴らしいつまみを口にほうり込みながらアペリティフの時間を過ごし、レストランへ向かう。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」丁寧な応対の従業員たちに導かれ、テーブルに着く。座るその椅子とテーブルの高さも、窓から見える景色も同じなのに、ここはもう「ル・レジャンス」の面影のかけらもない、全く別のレストランになっている。ヴェールをかけられたシャンデリア、隠された暖炉の置き時計、アールデコっぽい絨毯、ガラスのろうそく、テーブルアート、マヌカンの大きな写真、、、。どれもこれも、私には馴染みのないものばかり。これなら、過去の亡霊が目の前をちらつくこともないだろう。

と、肩の力を抜いたところに、懐かしい声が降りかかってくる。
「ボンソワー!やあ、なんて久しぶりなんだ!元気でした?」見上げたそこには、「ル・レジャンス」にいたセルヴールの笑顔がある。
「入ってきた時、すぐ気づいたよ、君だって。いやあ、ほんと久しぶりだね。また会えて嬉しいよ」
「久しぶりね、ほんと。えっと、、、」
「クリストフ」そうだ、「ル・レジャンス」にはクリストフが二人いたんだっけ。
「そう、クリストフ!元気だった?懐かしいわ。前はよく来てたのにね。みんないて、楽しかったなあ」
「ディディエとかパトリスとかもいてね」
「そうそう。パトリスやもう1人のクリストフとは時々会ってるのよ。でも、他の人たちはもう、、、」
「ここにも何人か残ってるんだよ。ディディエの下だったやつとか」
「そうなの?あのメガネの人もそうよね。懐かしいわ、ほんと。それにしても、すっかり違うレストランになっちゃたのね、、、」
「セ・ラ・ヴィ。残念だけどね。また後でゆっくりくるよ。いい夜をね!」にちゃーっとした笑顔が懐かしいセルヴールが去ると同時に、「ル・レジャンス」の思い出がまざまざとよみがえってくる。忘れられるはずがない。ピュイフォルカのカトラリーを、エルメスのお皿を、サン・ルイのグラスを、銀の燭台を、大きな花のデコレーションを、金色の絨毯を、暖炉の置き時計を、優雅なシャンデリアを、ロココ調の椅子を、そして、エリック・ブリファーの料理とパトリスやディディエを筆頭とするあのサーヴィスを、忘れる日が来るはずがない。(でも、クリストフの名前は忘れちゃってたね(笑)。)ここでトリュフとヴィオニエの感動的なマリアージュを体験したし、ラリヴェ・オ・ブリオンを味わったし、ホタテのサラダと巡り合ったし、お誕生会も開いたし、ジダンとブランにも会ったんだ。(でも今日は、ここへ来る前にジャン・レノとすれ違ったっけ。この場所に来る時は、有名人に会いやすいんだね、きっと。)クリストフとの会話で、「ル・レジャンス」の記憶に溺れそうになってしまう。しっかりして、ここはもう、私が溺愛したレストランじゃないんだってば。気を取りなおして、「アラン・デュカス」に意識を戻す。

結論を先にいってしまうと、「ラ・バスティード・ムスティエ」同様、ここはデュカスの演出が冴えるレストランだ。

まずはカルト。
「こちらがカルトです」と、目の前に、このレストランのマークをデザインしたカードフォルダーが置かれ、そこに縦長のカルトが挿される。なんてチャーミングなカルトの見せ方なのでしょう!これだったら、両手が自由になるので、アペリティフやシャンパーニュ・アミューズを楽にいただけるし、なによりとっても可愛らしい。うーん、さすがはデュカスだよなあ、と、しょっぱなから感心してしまう。スペシャリテ3、アントレ3、魚3、肉3、それにムニュ・デギュスタシオン2。かなり短めのカルトをじっくり研究して、それぞれにつけられた値段に眉を上げながら、お料理を選び出す。

さて、アミューズ。選んだ料理によって、2種類の別々のアミューズが運ばれる。私には「フォア・グラのミルフォイユ仕立て」。質のよいフォア・グラ、質のよいバターと小麦粉が原料のパイ生地で作った、質のよい料理。出来がいいのは認めるけれど、感動がないのがちょっと引っかかる。

lingustineアントレは、「ラングスティーヌの冷製、カヴィア添え」をドゥミ・ポーション(半量)で。もっともお値段は、ドゥミでも、3つ星レストランのお昼のムニュと同じくらいだけど。白いお皿におでぶな長方形に整形されたラングスティーヌにカヴィアがどっさり乗っている。下に敷かれたソースはクリーム系。ものすごく質の高いラングスティヌにうっとり。上品なブイヨンで火を通されたらしいラングスティーヌの、甘く引き締まった身はさすがです。カヴィアとの相性はまあまあかな。一緒に食べればもちろんおいしいけれど、別々に食べても差し障りがない。カヴィアとラングスティーヌを合わせた意識というか意志がよく分からないけれど、ま、いいよ別に。おいしいことは確かだし、理解したいとも思わないし、そもそも、デュカスの世界を私に理解できるとも思えないし。

canetteプラは、「フィグ(イチヂク)の葉で包んだカヌトン(仔鴨)」。「焼き方はセニアンだよ。これはこの焼き方で食べるものなんだ」と、料理を選んでいる時にクリストフが説明してくれた。肉の焼き加減まで、このレストランは客まかせにしないらしい。目の前に運ばれたココットのふたが開けられ、まわり中にふわりとイチヂクの葉の強い香りと、鴨の肉の匂いが立ち込める。ふわぁ、いいにおーい!よく見るとまるで葉っぱのように形作られた胸肉に、古いヴィネガーで味をつけた肉汁。仔鴨とは言っても、噛み応えと風味のある肉はさすが。ソースもけちのつけようがない。添えられたイチヂクのコンフィをダイコンだかカブだかの薄切りで挟んだものもグー。半透明のカブの繊維がきれいだなあ。鴨とカブの相性は、「ラ・フェロヌリー」で体験済みだ。イチヂクと鴨の相性は、これまた明白。鴨にはやっぱりオレンジ、イチヂク、モモ、そしてハチミツに限る。アントレに続いて、こちらもまたとても優秀なお料理。ちょっとでも、食べるのに疲れてしまうな。あまりに出来がよすぎて、というか、深い計算がされすぎて、肩が凝るんだね、きっと。

注文したものも味見したものも、1cu あたりの密度がものすごく高い料理ばかり。最高ランクの素材とテクニックを駆使して作り上げた作品を味わって、「ほほぅ」とは言えるけれど、「うわぁ」とは言えない。生真面目すぎるというか秀才型というか、まあつまり、チャーミングじゃないんだ。皿を通して感じるべき、料理人からの愛情とか感性の豊かさが感じられない、とでも言えばいいのか。料理がバレエと同じように芸術である以上、完璧な料理よりも、感動を与えてくれる料理を、私は愛する。芸術は理屈で味わうものではなくて感覚で楽しむものだ。

mirabelleさて、デセール。料理のカルト同様、カードフォルダに立てられた小さ目のデセール・カルトとにらめっこ。ここのスペシャリテ、「ラムをかけたババ、モンテカルロにいるように」に散々未練を残したあげくに、「ロマラン(ローズマリー)のグラスを添えた、ポワレしたミラベル(杏の一種)と柔らかなビスケット、ネクタリンのジュ(汁)」をチョイス。ババは味見させてもらうことにしよう。柔らかビスキュイ、今が旬の焼いたミラベル、ロマランを挿したグラス重ねてセルクル(丸型)で抜いたものが、お皿に乗ってやってくる。まわりには淡いピンクのネクタリンのジュ。白いグラスに挿された砂糖を振り掛けたロマランがきれいだ。グラスを添えたデセールで、こんな風にグラスをセルクルに押しつけて形をきっちり整えてあるのって初めて見る。どうも、デュカスって幾何学的だよね。最高の材料と最高の技術をもって作ってあるこのデセールがおいしくない訳がない。それはもう、素晴らしいデセールなのだけれど、私は実は、味見させてもらったbabaババの方が気に入っちゃったんだよね(笑)。

「ラムはどれにいたしましょう?」8本くらいラムがズラリと並んだシャリオを押してソムリエ氏が聞きに来る。
「一番情熱的なものを」と答えた知人に、ニヤリと笑ったソムリエ氏は、
「それではぜひ、フランスのものを召し上がっていただかなくては」と答えた。
「フランスのラム!?」とびっくりする私に、
「マルティニック(フランスの海外県)のですよ。フランスでしょう?」とウインク。ドクドクドク、と、たっぷりラムにババは溺れ、まわりを甘く魅惑的な香りが包んでいく。ラムとテキーラの香りに、私は弱いんだよね。ついつい、鼻孔が広がっちゃう。銀の器に入れられた、とろっとろの生クリームを添えていただくラム浸しのババの、なんとまあ、セクシーなこと、、、。トロリと甘く、そして強い、まさに情熱的なデセールだ。味見だけで飽き足らず、「いいですよ、全部食べて」という言葉に甘えて、うっとりとババをいただく。この感覚。恍惚状態に入るような、この感覚を味わうのが好きです。

ゴーフル、マカロン、柔らかなハチミツのお菓子がプティ・フールとして運ばれ、さらに、シャリオに乗って、ヌガーやカラメル、マシュマロが運ばれてくる。このシャリオには、昔、ありったけのおいしいお菓子が積まれて、私たちは嬉々として、シャリオがテーブルに近づくのを待ったものだった。マドレーヌ、カヌレ、あのすばらしいカラメル、フルーツや野菜のパット、パルミエに何種類ものプティ・ポ、エトセトラ、エトセトラ、、、。上から下までぎっしりとお菓子が詰まったシャリオを喜び勇んで迎えては、あれもこれもと、片っ端から味見してた。あんなお菓子のシャリオを、もう一生見ることがないだろうな。

どれもこれも出来のいい小菓子たちを一通りいただき、お茶を待つ。このレストラン、お茶の出し方も普通じゃない。シャリオに乗ってやってきたのは、鉢植えの各種ハーブ類と、何種類もの茶筒。鉢植えになったタン(タイム)やソージュ(セージ)、ロマランやメリッス(ハーブの一種)などは、その場で摘み取って煎じてくれる。チャーミングなプレゼンだなあ、これ。せっかくだから、とソージュを摘み取ってもらう。なかなか煮出されなくてサーヴされるまでに時間がかかるのが玉に傷だけれど、これはほんと素敵だわ。

そしてまた、今夜も最後の客としてレストランを引き上げる。「今夜の記念に」と、レストランの受付で手渡されたのは、特製のパンと、きれいな台紙に差し込まれた、料理とデセール、2種類のカルト。パンはともかく、カルトをくれるなんて、なんとまあ、心くすぐるサーヴィスでしょう。お客様が、どうすればウヒャウヒャ喜んでくれるか、デュカスはちゃんと知っている。

ババ、アンフュージョン、おみやのカルトとパン、ラスト1時間あまりにいたく感動する夜。終わりよければ全てよし、とまでは言えないけれど、「アラン・デュカス」はやはり、世界中をうならせるレストランであることは確かだ。レストランを作っていく上で、これほど参考になる店はそうはない。好き嫌いは別にして、ここはやっぱり“世界で一番”なレストランの一つであることは間違いない。「ほほぅ」よりも「うわぁ」が好きな私でも、このレストランに対して敬意は表そう。次に来る時には、もう少し感動できることを期待しつつ、、、、。


mar.4 sep. 2001



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