今年はコートダジュールに行けないまま終わりそうだ、、、、と、悲しいため息をついた夏の終わり。あまりに切なげなため息を、南仏の太陽の下で日光浴をしながらウトウトしていた(と想像する)神様のお耳に届いたか、出張の話がまとまり、たった一日だけとはいえ、嬉しいニース行き。1日だけの滞在にすら狂喜した私に、神様は更なる情けをかけてくれたか、10月下旬に再び、ニース・コートダジュール空港に降り立つ幸せを、私に与えてくれた。神様と私の間にたって、2度のコートダジュール行きをかなえてくれたのは、ニースにあるレストラン。2002年12月にオープンした、日本人オーナーシェフ松嶋啓介さんの「ケイズ・パッション」だ。
松嶋さんと最初に会ったのはパリ。99年の春だったと思う。フランス料理の修業に来た松嶋さんは、地方の名店をいくつか経験し、一度は日本に戻ったものの、フランスへの愛情が深すぎて再度渡仏。さらに地方レストランでの修業を重ねて、02年12月にニースに自分の店を開いた。フランスに店を開くと決め、場所をニースに定め、物件を見つけて準備、そしてオープン。店が出来上がるまでの様子を、随時細かく報告してくれて、パリにいながら、ニースの松嶋さんの熱気を感じ、これからできあがるレストランへの期待に胸を膨らませた。
オープンのおゆわいには駆けつけられず、初めて「ケイズ・パッション」を訪ねたのは、翌年4月。海から一本入った道の、小さな広場に面したかわいらしい店で、感動的においしいアニョーを食べた。ピコちゃんち(モナコの「ルイ・カンズ」ミシュラン3つ星)と同じ肉屋で仕入れているというアニョーである以上、そりゃまあおいしいに決まっているのだけれど、そもそも、ピコちゃんちと同じ肉を仕入れていること自体がびっくりするし、南仏の香りを過不足なく効かせた味付けも火入れも、抜群だった。
この夜食べた、マグロのガレット仕立てや丸クルジェットのカニ詰めもおいしかったけれど、正直言うと、アニョーの比じゃない。(ごめんね、松嶋さん。)このアニョーは、生涯食べたカレ・ダニョーの中でも、ピコちゃんち、「トロワグロ」などと並んで、トップクラス。
次にこの店に来たのは、一月ちょっとたった6月のはじめ。日本人シェフがニースでとてもいい店を開いています!と、取材の機会を作り、すっかり夏の装いになったニースを訪ねた。当然、アニョーを食べて、再び恍惚。付け合せは、すごぶる美味だった手作りニョッキから、食感がすばらしいトロンペット種のクルジェットに変わってた。アントレになにを食べたかは、全然覚えてない。(またまたごめんね、松嶋さん。)すっかり地元の人気店として定評を得ていていた。
そしてしばらく、コートダジュールに行く機会のないまま日々が流れ、今年の秋の初め。モナコで取材を、というオファーに、モナコもいいけどニースもぜひ!とアピールし、モナコの話は結局なくなってしまったけれどニースだけで実現し、嬉々としてエールフランスのチケットを買いに走った。
一年以上の間をあけて再訪した「ケイズ・パッション」は、内装にも手を加え、1年目の、いかにも手作り風の装いを脱ぎ捨て、センスのよい空間で極上の南仏料理を食べさせる、ニースはもとより地域一体でも人気抜群のレストランになっていた。
食べた料理?当然アニョー(笑)。「またですか?」と松嶋さんにあきれられながらも、愛する仔羊ちゃんと再会する。好きになったら一途なんです。おまけスしてくれたのか、骨5本分もある大きなカレ(背肉の塊)のジューシーで柔らかい肉に、うっとりしながらナイフを入れる。風邪で半分鼻が利かなかったカメラマンさんは、香りを半分しかかげないながらも、泣いて喜んでる。気持ち、分かる。
アントレに、と、ご馳走してくれたセップのリゾット(だったよね?)も、品よくまとまった味わいで、レモン風味のオリーヴオイルが抜群のアクセントになっていていたって美味。サランさんの飴がけトマトを含めたアミューズも全ておいしいし、カメラマンさんと2人で絶賛したオレンジのパンナコッタ(だったよね、ね?)を含めたプチフールも上出来だし、おやつの抹茶モンブランと森イチゴ&マスカルポーネもなかなか。料理が、どんどん進化し、こなれ、チャーミングになっているのを目の当たりにする。この料理なら、地元紙や各種ガイドブック、一般誌が絶賛するのは当然だ。
日帰りニースの幸福感を残したまま赴いた日本で、パリで修業中の料理人のルポを撮りたい、と知り合いのジャーナリストさんを通してテレビからの問い合わせ。修行中よりオーナシェフ、そしてパリよりニースです!と、神楽坂で鴨鍋をつつきながら製作会社と代理店を口説き、パリに戻った直後、珍しく不機嫌な天気のニースに、意気揚々と乗り込んだ。
テレビ取材を横で眺め、インタヴューを聞きながら、松嶋さんが今に至るまでの歴史をおさらい。ふむふむ、なるほどねえ。78年生まれだから、今26歳。店を開いたときはまだ24歳。この年であれだけのことを考えて店をオープンさせ、わずか2年でここまでの店にさせた、経営手腕に改めて頭が下がる。料理人としての感性や技術ももちろんあるのだけれど、彼の強みは、経営センスと人脈だ。シェフではなくオーナーシェフに必要な力は何か、ということを、松嶋さんを見ているとよーく分かる。
で、食べた料理。取材前夜、雨上がりの匂いが残る遅めの時間にふらりと店に寄った私に食べさせてくれたのは、この間もいただいたアミューズのウニとポティマロンのジュレ。シリノさんと同じマルシェで仕入れる極上ガンバス(エビ)を丸ごと串焼きしたもの。
そして、「今日仕入れたばかりなんです。見てください!」と恭しく、タッパーウェアの蓋を開ける。と同時に、強烈な匂いが鼻を刺激する。米に埋もれたクリーム色のダイヤモンド、いや違った、アルバ産の白トリュフだ。ピコちゃんちやパリのデュカスの店にあってもよさそうな、それは見事な大きな塊がゴロリゴロリ。このクラスの店(失礼)にあること自体、目を疑う。だって、1グラム7〜800円とかするシロモノなんだよ!?(だよね、だよね、松嶋さん?)満員御礼の店内からあふれて、1人テラスで酒をすすっていた私の周りにあった雨の匂いは一気に吹き飛び、なまめかしく官能的な匂いがあたりを支配した。
少し経ってから店内に移ったところで、タッパーウェアの中身がリゾットと姿を変えて、目の前に運ばれる。異臭が店中を多い、店内が色めきたつ。横のテーブルのイタリア人は、もう黙っていられない。本能が導くままに鼻をひくつかせ、松嶋さんを捕まえて、恍惚とした表情でトリュフ談義を繰り広げる。
味?言葉にできるものならしてみたいものだ。フランスが誇る黒いダイヤモンドとは、残念だけれど比べるべきものではない。アルバの白トリュフ。これはもう、黒トリュフとは別物として捉えるべきだろう。生ハムとイベリコハムが似て非なるものであるのと同じだ。
翌日、取材中のお昼ご飯に作ってくれたのは、この店のスペシャリテ、牛肉のミルフォイユわさび風味。ドイツ産の牛肉を薄くスライスし、わさびを挟んで焼いた看板料理を、私は今まで一度も食べたことがなかった。仕方ないよ。いつも仔羊ちゃんがメエメエと私を呼ぶんだもの。松嶋さんがいつも、「アニョーじゃなくて、ミルフォイユも食べてくださいよ。人気の料理なんですよ」と言っていた皿と、ようやくのはじめまして。彼が強く勧めるだけあり、これもまた、アニョーに負けず劣らない、すごぶる美味な料理。傑作だ、このわさび使いは。あのアニョーのロティは他の料理人も作れるかも知れないけど、この牛肉のミルフォイユは、日本人である松嶋さんにしか発想できない、まさに彼のスペシャリテだ。ああ、次に来るときには、どっちを食べればいいんだろう???深く深く悩みそうだ。
業界からの注目も高くなりつつあり、レストランガイドも高い評価をつけ始めている。来年のミシュランの評価はどうだろうか?星を狙える圏内にいるのは、本人も周囲も分かっている。料理とワインリストは問題ない。私がもしもミシュランの調査員なら、トイレの扉を変えてセルヴィエットを新調して、そしてそして、首をかしげたピコちゃんをテーブルに置いてくれれば、文句なしに一つ目の星を進呈するんだけどなあ。新しくなったミシュランの編集長は、“評価対象はあくまでも料理である”と言っているので、ピコちゃんがいなくても、この店が高い評価を得る可能性は十分にある。
コートダジュールに行くときは、決まってレストラン巡りをする。マストレストランは、ピコちゃんち。あとは、そのときの気分に応じて、東に西にと、お気に入りの店や行ってみたかった店を日数に応じてセレクト。ピコちゃんちだけだったコートダジュールのマストレストランが、ついに2軒になってしまった、、、。
dim.31 oct.2004