98年の春から夏を、トゥールーズで暮らした。今思い出しても、どうしてああまでもすばらしい日々だったのか、とため息が出るくらい、美しく楽しい思い出に満ち溢れた滞在だった。マリ−アンヌとエムリック、それにとんでもなくかわいらしいベベ(あかちゃん)、ヴァランティヌに囲まれてのホームステイ。サンパでアットホームなアリアンス・フランセーズでの勉強(一応、したんだ)。学校の仲間たちやフランス人の友達たち。スミレの香りと暖かなレンガ色に包まれガロンヌ河に抱かれた街は、本当に忘れがたい日々を私にくれた。
5ヶ月ほどの滞在も終わりに近くなった頃、せっせと通ったレストランがあった。「ミシェル・サラン」。当時ミシュラン1つ星、今年からミシュランの2つ星。もっとも、言わせてもらえば、5年前から既にこの店は2つ星の雰囲気と料理を持っていた。
最後にこの店を訪ねたのは、98年7月。ヴァカンス直前の店で、樹が生い茂る中庭のテラスで、「近いうちに絶対にまた来るわ」と、サランさんと握手をした。
“近いうち”は、5年という長い期間に及んでしまったけれど、5年ぶりのトゥールーズの街に心震わせ、ドキドキしながら再訪したレストランは、あの時となんら変わることのない、幸せなひと時をくれる。
のんきな地方都市のレストランと思えない、シックなレストラン。モダンアートが飾られ、ゆったりとテーブルが配置された室内に身を置くのは、実は初めて。夏にしか来たことがなかったから、いつもテラスでの食事だった。
一段とシックになった感のあるマダムに迎えられ、テーブルにつく。シャンパーニュと懐かしきトマト飴を楽しんでいるところに、サランさんがやってくる。
「サランさん!」
「ボーンソワー、マドモワゼル。お元気でした?」
「私のこと覚えています?もう、5年以上も来てなかったのだけれど」
「もちろんですよ。もう一人、別のマドモワゼルとよくいらっしゃいましたよね」ふむ、美人さん(美奈子さん)と行くと、顔を覚えてもらえるのねえ。
2つ星獲得のおゆわいを告げ、夕べはマモン・サランのところ(サランさんのママがやってるオーベルジュ)に泊まった話や近況報告をしあう。日本にまたフェアに行ったばかり。私なんかより、ずっと日本のことを知ってるね。トゥールーズはラグビーの街。ワールドカップを応援しに、もう少ししたらオーストラリアまで行くんだと。
「明日は、フランス・日本戦だよ!」
「あー、そーいえば、、、。どーせフランスが勝つんでしょう?」
「もちろん!悪いけど、強いもん」嬉しそうに目を細めるサランさん、痩せたよねえ?ちょっと前に出た業界誌に特集されていて、写真見てびっくりした。5年前と全然変わらない。と言うより、若返って痩せた?質問してみる。
「うん、10キロ痩せたんだよ」
「10キロ!?スゴイ。どうやったの?」
「ポタージュ、魚のグリル、それにヨーグルト」なるほど、見習わねば。「ミシェル・サラン」で食べてる場合じゃない。
また後でゆっくりね、仕事しなくちゃ!と厨房へ戻るサランさんを見送り(でも、10分後にふと奥のテーブルを見ると、そこにはサランさんの姿。おいおい、仕事してないじゃん(笑))、カルトをうっとりと眺める。い〜ね〜、やっぱり好み。料理名を見れば、その料理人が自分のタイプかどうか、一目瞭然。サランさんの料理は、どれもこれも、その文字だけで私をワクワクさせてくれる。
体調がよければ、ア・ラ・カルトでサランさんの代表料理をしっかりといただきたいところだけれど、連日連夜のがっちり南西部料理漬けの日々で、体調万全とは言いがたい。ダイエットを成功させたサランさんを見習い、ポタージュから始める、ムニュ・トゥールーズ(名前がいいよね♪)にしましょうか。
アミューズの「ビスクとパセリのムース仕立て」、色がきれいだ。テーブルの白いクロスに落ちる照明を受けて、オブジェのように光ってる。きっちり丁寧に仕立てたムースたち、ソツなく美味。フレッシュなオリーヴがぎっしり詰まったパンをいただきながら味わう。
アントレがすごい。長いドライブで疲れた体と神経が覚醒する。
「カボチャのスープ、カルダモン風 カキを添えて」。ご存知の通り(知らないか?)、私はカキが好きじゃない。カキフライ以外は。生ガキなんて、シーズンに2個食べれば十分。そして、今シーズンの2個は、この間リールに行った時に消費済み。本来、もう食べたくないカキなのだけれど、カボチャスープ好きなのと、サランさんの腕と味覚を信じて選んだこの料理のカキが、感涙もの。
生ガキを、一度だけ心から美味しいと思って食べたのは、「ル・レジャンス」時代にブリファーさんが作った、アミューズの「カキの青リンゴグラニテ仕立て」。カキフライ以外のカキ料理を愛したのは、あれが最初で最後だったけれど、ついに今夜、カキに2度目の恋をする。
カルダモンのインパクトが絶妙の、口当たりのよいカボチャスープが、まず絶品。秋だねえ。カルダモンにカボチャ、すてきだなあ、、、と、すっかりカキの存在を忘れていた矢先に、皿の奥深くに隠れていたカキがトロンとスプーンに入ってくる。つややかなカキを口に滑り込ませて、思わずうなる。ん〜、おいしすぎる〜。火、通ってるのかしら、ごくわずかに?私には、スープの余熱で温まった程度、としか思えないけど。トロトロのカキが放つ磯の香りが、どういうわけか、カボチャとカルダモンの味にびっくりするくらいにマッチしている。カボチャとカルダモンの組み合わせも初めてなら、カキとカボチャ、カキとカルダモンという組み合わせも初体験。どーやって考えついたのかしら?すごい、この組み合わせの妙は。
サランさんに惚れ直す。やっぱりこの料理人はただ者ではない。
うっとりとスープを終わらたあと、サラン式ダイエットに従えば、魚のグリルにしなくちゃいけないのだけれど、今夜は「バー(スズキ)のテンプラ」。あーあ、ダメだこりゃ。ダイエットになりゃしない。珍しい、バーを揚げるなんて。こんな高級魚、普通は焼いたり蒸したりするものね。初めてかもしれない、揚げたバーを食べるのは。
で、そのバー。フリッターになったバーは、まあこんなものかな。ディルを利かせたクリームベースのソースがちょっと苦手。丁寧にソースをよけながらいただく。インゲンやアスペルジュ、ミニニンジンなどの野菜のフリッター(テンプラ、ともいう)が、すばらしい。なんて濃い野菜の香りなんだろう。友達が食べた、野菜のタルト仕立ても、野菜の味が見事!
あとから、サラン通の友達に聞くと、この野菜は、マモン・サランの近くの農家が作っているもので、南西部の有名どころのレストランは、ほとんどみな、ここから野菜を分けてもらっているんだと。ゲラールさんのところも、最近、こことの取引を始めたんだって。なるほど納得、ゲラールさんのアスペルジュに通じる美味しさがあるはずだ。
友達たちが食べた、「ランド産鶏のフリカッセ」に感動する。タマネギをベースに煮詰めたソースは、濃い焦げ茶色に光り、結構味は濃い。でもこのソースの味の濃さが、肉自体に迫力と個性のあるランド鶏にピッタリ。ブラヴォ!
昼に、こちらはジェール産(ランドのお隣県)鶏の極上ロティをたっぷり食べたばかりな上に体調もいまひとつだったので、鶏に心を残しながらもバーを選んだけれど、これは鶏を食べるべきだったかなあ。付け合せのジャガイモもすばらしく、文句なし、完璧に好みの料理。
「トロペジエンヌのアナナ(パイナップル)添え」で、ふんわり軽いトロペジエンヌ(なぜ、トゥールーズで?)と、素敵なできばえのアナナソルベを堪能して、カフェとプチフールで、憩いのひと時。
かわいいなあ、このプチフールのお皿。欲しいな。売っている店を聞いて翌日訪ねたのだけれど、同じ形はなかった。ここのオリジナルなんだって。ヴェネツィアはムラノで作っている、色のきれいな手作りお皿。今度食べに行くときに、譲ってもらえないか交渉しようね。
改めて、サランさんとおしゃべり時間。
秋には、カボチャをベースにしたデセールが登場するんだって。いいなあ、食べに来たい、、、。飛行機に乗っちゃえば、たった1時間なのだけれど、どうしてもなかなか来る機会がない。だって、他に目的がないんだもん。コート・ダジュールやプロヴァンス、バスクにアルザスといった辺りは、何件も行きたいレストランがあって風光明媚でヴァカンスに最高なのだけれど、いかんせんトゥールーズは、住むには天国だけれど、風光明媚な土地とは言いづらい、、、。
でもまた来るよ、絶対に近いうちに。12月には、市内にビストロを作る予定で、その準備にも追われてる。(なのに、オーストラリアには行くんだよね(笑)。)そっちのビストロにも行きたいしね。
幸せな夜だった。
5年前と変わらず、私好みのサランさんの料理とチャーミングなマダムの応対。パトロンの人格というか人徳をしみじみ感じる、最高のスタッフ陣。メートル、セルヴール、ソムリエ、お手伝いの女の子にいたるまで、全員がとてもいい感じでサーヴィスに臨んでいる。感服する、その質のよさに。特に、若い方のソムリエ君は完璧だ。そのルックスのよさもさることながら、どこまでもエレガントでお客様思いのサーヴィスに胸がときめく。自分のレストランを持つことがあれば、ぜひスカウトしたいね。
「ヴォナの「ジョルジュ・ブラン」(3つ星)から移ったメートルがいるはず。なかなか出来がいいやつですよ」と友達に聞いていて、どの人かな、と、探してみた。メートル風の立ち振る舞いをするセルヴールが二人いるうちの、より朴訥で田舎っぽい雰囲気を持っている、背の低い方の彼がきっとヴォナ君だね、と、食事をしながらみんなで推測した。何度目かに会話を交わした折に、「あなたがヴォナ君?」と聞いてみると、あたり。
「なんで辞めちゃったの、ジョルジュ・ブラン。居心地悪かった?」
「3年いたんですよ。それだけいれば、もういいかな、と」
「鶏に囲まれるのに飽きちゃったのね(ヴォナは世界に名を誇るブレス鶏の産地)?」
「アハハ、そうです、それです」
「でも今度は、鴨に囲まれる日々じゃない(トゥールーズ辺りは、鴨料理が有名)?」
「そんなことないです。ムッシュ・サランの料理は、鴨ばかりを使う郷土料理ではありませんし。オリジナリティーのある、すばらしいな料理です」そう、全く、ヴォナ君の言う通り。地方の名店にしては、土地の香りが強くない。もちろん、南西部の優れた食材を使うけれど、南仏の香りもするし、なによりも、独特の洗練を持つ“サラン料理”がここにはある。彼でないと考えつかないような、彼でないとうまく表現できないような料理。自分の世界と料理観をしっかりと構築した料理人、とでも言えばいいのか。料理一つ一つに、自信と誇りを感じられ、それが、サランさんの料理に好感を与えていると思う。
出来のいいはずのヴォナ君は、私たちのタクシーを呼ぶのを忘れる。
「まだ来ないのかしら?」の問いに、パチンと頭をたたいて、「あー、忘れてました!」と、あわてて電話に手を伸ばす。出来、悪いじゃん、ヴォナ君。ブランさんのところ、飽きて辞めたんじゃなくて、追い出された(笑)?とても感じのよい、素敵なメートルです、念のため。とぼけたところも、チャーミングで。パトリス風だね。
常連とグルメたちという、質の高いお客様たちが三々五々店を去っていく。ようやく私たちのタクシーも到着し、不本意極まりないながらも、席をたつ。またぜひ近いうちに。できればやっぱり夏に、あのテラスに座りに来たい。トゥールーズで得た親友たちと一緒に。
「ミシェル・サラン」は、トゥールーズという街と同じタイプのよさを持ったすばらしいレストランだ。この薔薇色の街に住んだことがある人ならば、そのよさを感じ取ってくれるだろう。心から大切にしたいと思う、とてもよいレストランです
Ven.17 oct. 2003