オペラのチケットが取れなくてよかった、なんて思った夜は初めてだった。ああでも、本当に素敵な夜だったな。
11月に入って、一気に冬がなだれ込んできたパリ。冷たい風が吹く中バスティーユに向かう。
オペラ好きだった私は、いったいどこに行っちゃったんだろう?そのくらい、すっかりバレエバレエだった昨シーズンに引き続き、今シーズンも、バレエばかりで、まだ一度もオペラを見ていない。
「ナブッコ」も、まあいいや、にしちゃったし、「ドン・キショット」も、そのまま流した。でもね、「トスカ」はやっぱり観たいでしょう。元々はドイツオペラっ子の私だけれど、イタリアオペラで積極的に好きなのは、典型的に泣かせてくれる、この「トスカ」と「ラ・トラヴィアータ」だったりする。
今シーズン、好きなオペラはそんなにないので、やっぱり「トスカ」は観られるといいなあ、なんて期待しながらバスティーユに並ぶけれど、やっぱりチケットは手に入らなかった。仕方ないか。コレスポンダンスでもインターネットでも、めちゃめちゃ予約が殺到して、大混乱をきたしてた、って言うし。まあ、いいよいいよ。夕べのバレエの幸せな余韻も残っているし、来週もまた、バレエ行くし。この際だから、オペラはもう、忘れちゃおう。そんな訳で、わりとがっかりもせずに、「んじゃ、美輪おばちゃんのところに行く?」と、道路を一つ渡って、早めの夕食をしに行く。
《美輪おばちゃんのタパス屋》と呼んでいる、小さな小さなスペインタパス屋さんは、オペラ・バスティーユの帰りに、必ずといっていいほど寄っている、大のお気に入りのお店。美輪明宏ばりに、ばっちりと化粧をしたゴージャスで大きなスペイン人のおばちゃんが看板。それに美人のお嬢さんとぐーたら親父とでやっている、なかなか美味しいタパスを食べさせてくれる場所だ。
さすがにこんな早い時間に来るのは初めて。人がまばらなカウンターに腰を落ち着け、まずは冷たいフィーノをあおって、ハモン・セラーノとトルティーヤを注文。ここのハモン・セラーノ(スペイン産生ハム)、かなり美味で、トロリとした甘みと絶妙な塩加減が、白の辛いお酒にも赤の濃厚なお酒にも、とってもよく合うんだ。トルティーヤ(スペイン風オムレツ)も、甘く柔らかく、ここでのお気に入り。とりあえず、この二つを注文して乾杯してから、次の料理を決めていくのが、ここでのやり方になってきている。
次回の「トスカ」にチャレンジするか諦めるか。そんな話をしながら、さらに、タラのコロッケやエジプトマメとチョリソーの煮込みなんかをパクパク。
たばこの煙がひどくなり、店内に流れる音楽が大きくなる頃、早々に店を出る。またね、美味しかった。でも、おばちゃんがいなくて寂しかったわ。
「飲みに行く?」
「いいよ。でも、バスティーユはやっぱりいや。居心地悪い。シャンに行こうよ、シャンに。見てみたいところがあるの」
「オッケー。じゃ、移動しよう」
ロン・ポワンでシャンに降り立って、ほっと一息。ああ、やっぱりシャンの空気は好きだなあ。久しぶりに「イヴァン」にちょっと顔出して、ビック・ニュースに仰天した後、シャンの裏道を歩く。
んー、確かこの辺りだと思うんだけど、、、。あ、あれだ、絶対!きょろきょろしながら路を歩いていると、黒いティーシャツと黒いパンツに身を固めた、体格のいいおにーさんたちが数人群がっている場所を発見。きっとあれだ。上を見上げると、エキゾチックな書体の Le Tanjia の文字。ビンゴ!大当たり!
出来たのはいつだったっけ?確か秋の初め、9月だったと思う。「レ・バン」のオーナー、キャシーとダヴィッド・グエッタ夫妻が、だれだったか別の有名人と作ったレストラン・バー。クスクスやタジン、パスティーヤなどの北アフリカ料理を出すレストランは、オープン当初から、イザベル・アジャーニらをゲストに向かえ、この秋一番のジェット・セットなスポットになっている。
アフリカンでオリエンタルな、なんともエキゾチックな内装のレストランもクールだけど、まあこちらは、「ブッダ・バー」や「バリオ・ラティーノ」っぽいと言ってしまえば、それまで。
ここのイチオシは、なんてったって地下のバー。モデル顔負けの黒人のおねーさんが仕切る受付をするりと抜けて、素晴らしいバラのブーケが飾られた暗い階段をトントンと降りると、そこに広がるのは、暗く広い、アラビアン・ナイトの空間。
一目見た瞬間に、思わず感激の声を上げる。「うわぁ、なんて素敵なの!」革のスカートにピチピチティーシャツが決まっているおねーさんに連れられて、ソファに座ってから1時間。私はいったい、何度ため息を吐いて、「素敵だなあ」という言葉を吐き出したんだろう?
暗く沈んでいくような空間の壁に沿って、くすんだ赤の照明が置かれる。細かな隙間から流れ出す光が壁にあたって、すごくきれいだ。壁際には、キングサイズのベッドとしか思えないような奥の深いソファが並べられ、細工の美しいクッションや枕がたくさん散らされている。
おいおい、ここは家じゃないだから。って言えないな。思わず納得しちゃうような心地いいベッドソファに、すっかりくつろいで2人の世界に入っちゃってる人たちもいるし、これまた美しい水ギセルをいじっている人もいる。なんだかもう、ほんと、シエラザードの世界だわ、これは。
所々に置かれているいろんな色のバラがすごく素敵だ。「オ・ノン・ドゥ・ラ・ローズ」系のアレンジメント。持って帰りたいなあ。このバラは、レストルームの洗面台の周りにも花びらがちりばめられ、なんともまあ、素敵な演出に使われている。音楽は、んー、プラザ・アテネの「バー・アングレ」を想像させる。オリエンタルでエキゾチック。悪くないよ、全然。
次から次へと目の前を流れる、明らかに女優やモデルを引き連れた怪しげな金持ち達や、美しいゲイのカップル達、忘れちゃならない、バービーガール、バービーボーイな従業員達を飽くことなく眺め、期待していたよりもずっとずっと素敵だった「ル・タンジア」にとっぷりと浸かる。
「トスカ」を観られなくてよかった。おかげで、ずっと気になっていた「ル・タンジア」に来ることが出来たんだもん。バスティーユで繰り広げられるローマの古城や礼拝堂もいいけれど、シャンで味わうマグレブな世界もなかなかだ。
異国情緒漂う飛び切りクールな空間を久しぶりに手中におさめ、シャン・ゼリゼは、その輝くような魅力を一層と増した。
ven.3 nov.2000